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たった一度のお花見

   そのとき僕は電車に乗っていた。快晴。線路わきの満開の桜が、時折り車窓を流れる。

 向かい側の席で妙齢の女性が、友人らしき隣席の女性に話しかけている。 「毎年、桜が咲くと、孫を花見に連れていったことを思い出すわー」
 初めは聞くともなく聞いていた。しかし、話の流れでそのお孫さんというのはどうやら亡くなったらしいと気づくと僕は耳をそばだてた。

 「二歳のときに一回だけお花見に連れていって、次の春はもう迎えられなかったの」
 上品ないでたちをしたその女性は窓外の遠くを見つめる目をしてそうつぶやいた。
 「実はそのとき、嫁はお腹に三人目のこどもがいて、臨月だったのよ。だから無理はできなかった。でも、息子は仕事だったし、嫁が車を運転したの」
 友人らしき婦人は殆ど口を挟まず、時折り相槌を打ちながら聞いていた。
 「わたしは嫁に運転以外何もするなと言って、お弁当をつくり、桜の樹の下にビニールシートを広げてね・・・」

 電車が大きな川を渡る橋にかかり、堤防沿いの桜が遥かに続いていた。
彼女は鉄橋を渡る騒音のために口を閉じたのか。それともこみあげるもので一瞬話せなくなったのか。話はしばし途切れたが、まもなくまた話しだした。
 「でも、そうやって、孫をお花見に連れていってあげてよかったわ」
 隣の婦人が女性の眸を覗き込み、そっと肩に手を触れた。 

 「孫はね、満開の桜を見上げてね、小さな指で枝の花を指さして『おはなみ、おはなみ』と言ったのよ。桜という花だということもまだわかってなかったの」

 桜という花の名前さえ知らなかった。しかし、自分を囲んでいる「大きい人たち」が「お花見に行こう」「お花見に連れていってあげよう」と相談しているのをずっと聞いていたその子は、この花の名前が「お花見」だと思ったのだろうか。
 花を小さな指でさして、あどけない表情で覚えたばかりのその言葉を発した顔が、僕の脳裡にも浮かんだ。

 「腎臓が悪くてね、私のをあげたかったけど、六〇を越えた腎臓はだめだと言われて。
 若い人の腎臓であるほどいいと言われて。でも六歳の上の子のを切り取るわけにはいかないでしょ。
 お父さんとお母さんのをひとつずつ使ったの。
 だから二人ともかわいそうにお腹に大きな傷が残っているわー。
 そやけど、それでもだめで、孫は死んだんよ。
 あのときお花見に連れていってあげて本当によかったわー」

 電車の中、女性は友人に笑顔を保ったまま話していた。しかし、ひそかに聞いていただけの僕の胸はいっぱいになった。

 一度限りのお花見は、満開の桜と、束の間萌えあがった幼子の命が、深く呼応した瞬間だったのだろうと思えた。
 そう考えると、生命の祝祭のエネルギーが空いっぱいに向かって歓びを放ち、咲きほこっていたのが目に見えるようだ。
 一瞬だからこそ、その華やぎは「永遠の今ここ」であったのではないか。
 この世に生まれて、満開の桜を、愛しあう人たちと共に一度だけ見ることのできたその子の生涯。
それを思うと、いたたまれないようでもあり、命の歓びを共に噛みしめるようでもあった。

「わあ」
ふたりの婦人が僕の背後の窓を見つめて声を喚げた。
首をひねると、電車は線路沿いに続く桜並木に差し掛かったところで、今にもガラス窓に触れそうな枝先に、眩しく咲いている花々が、陽を浴びていた。

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