グローバル奴隷計画と職場体験反対論

職場体験のどんなところがよくないと思うかというと、たとえばコンビニで職場体験することに教育的意義があるのか、どうか。コンビニのバイトなら、高校生になればいくらでもできる。あるいは勉学のために禁止している学校もあるかもしれないが、だったらなおさら、それを中学生に無償でやらせる意味がわからない。
 コンビニの店頭は、搾取のひとつの現場である。その証拠にコンビニの時給でフルタイムワークしても、結婚して子どもを生み育てるには、不安があるではないか。
 と、ここまで考えて、搾取と人件費の定義を思いついた。人件費とは、週五日フルタイムワークするならば、その人間がその社会の一般的な価値相場において、男女が協力して子どもを生み育てるに値するお金を得る(雇い主は、渡す)ことだとしたい。もし、そういうお金をもらうことができずに働き、誰かがそれ以上のお金を得ることを支えているなら、それは搾取されていることになる。もし、それが成り立たないなら産業として成功していないのだ。

たとえば吉野屋、ローソン、スタバの時給でフルタイムワークしても子どもを生み育てられないなら、それは本当は産業として成立していない。その被害は、直接搾取されている労働者だけではなく、それがために、食堂をやって子どもを生み育てたおばちゃんの食堂が競争に負けてつぶれたり、商店街の小売店がつぶれたり、ジャズレコードをたくさん集めていたマスターの喫茶店がつぶれたりして、本来なら循環の中で人件費を割り出せていた産業が破壊されるという間接的被害もある。これこそがグローバル搾取社会、一般市民奴隷化計画なのである。

それなのにその破壊者側の経営ノウハウばかり取りざたされる。

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