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勤労感謝の日は新嘗祭を起源とするというより、新嘗祭の超克としての意味が大きい

勤労感謝の日を天皇家の収穫祭である「新嘗祭」を起源とするという人がいる。

しかし、その言い方はむしろ不正確ではないか。実際には現在の勤労感謝の日は新嘗祭と切り離す意図が強いものだ。

実際、人々の勤労と天皇家には関係がない。天皇家とはむしろ勤労の上前をはねる強奪者に過ぎない。

神事がどうのこうのとかは神話的言い訳に過ぎないが、百歩譲ってそれを信じるかは信教の自由である。

法律で皇室神事の新嘗祭を祝日とするのはクリスマスが祝日となるのと同じぐらいおかしいだろう。

ところで、新嘗祭は1873年に大日本帝国憲法下で、休日と定められた。天皇家の新嘗祭の行われる11月の二回目の卯の日は太陽暦の11月13日 11月24日の間で変動する。がこの年は11月23日だった。それで1874年以降も11月23日に固定された。

第二次世界大戦後、新しい日本国憲法下で、祝祭日の見直しが行われた。

一部官僚や政治家、ネット記事では、GHQの命令により米国のThanksgiving Dayに相当する祝日を設けることとなったと書かれているものがある。が、根拠は薄弱である。(GHQが国民の祝日と、皇室行事を切り離すように指導したこと自体は史実である。これは天皇の名の下にあれだけの犠牲があったあと、日本人から見ても正しい。)

Thanksgiving Day押しつけ説は、史観の争いであり、新嘗祭復活への布石かもしれない。

はっきり記録されていることとしては、衆参合同委員会で「感謝の日」案が出た。それでは何への感謝かわからない。収穫祭としての色彩が強いと農業従事者への感謝だけが強くなる。(それがいいという気もするが・・・)

しかし、現実の産業構造から云っても、すべての生産者への感謝の日の意味合いを持たせたいという案は説得力をもっていた。

そして、衆議院文化委員会において、日本社会党などの委員による賛成多数で「勤労感謝の日」が採択された。

故に現在の勤労感謝の日は社会党の力が強く働いているといえる。自公政権は皇室色を強めた定め直しを狙っているかもしれない。

それより、資本主義の権家米国ですらレイバーデイは祝日なのに日本のメイデイはなぜ祝日ではないんだろうか。

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