Tips of Buddhism

No.20
We are faced in India by two quite different theories of a Universal Flux.The motion representing the world-process is either a continuous motion or it is a discontinuous,although compact,one.The latter consists of an infinity of discrete moments following one another almost without intervals.In the first case the phenomena are nothing but waves or fluctuations standing out upon a back-ground of an eternal、all pervading,undifferentiated Matter with which they are identical.The Universe represents a legato movement.In the second case there is no matter at all,,flashes of energy follow one another and produce the illusion of stabilized phenomena.The Universe is then a staccato movement.The first view is maintained in the Sankhya system of philosophy,the second prevails in Buddhism.
( F.Th.Scherbatsky,Buddhist Logic,vol.1,New York,rep.of 1930,p.83)
(hints,Matter根本原質、Sankhyaサーンキヤ学派)
 
 
(訳)
我々は、インドにおいて、2つの全く異なる宇宙変化理論に出くわす。世界の生成をなす瞬間は、一方は反復する瞬間であり、他方は凝縮しているが非反復的なものである。後者は、止むことなく、次々と続くバラバラの無数の瞬間を事とする。前者においては、現象は波や変動に他ならない。永遠で、すべてに遍満し、無区別化された根本原質を背景としているのだ。それらの現象は一体のものである。宇宙は、〔音楽用語の〕レガートの動きを示す。後者には、根本原質などあり得ない。エネルギーのまたたきが次から次へとつながり、既成化された現象という幻想を生むのである。その時、宇宙は、〔音楽用語の〕スタッカートの動きだ。第1の見解は、サーンキヤ学派の主張である。第2のものは、仏教で広く行われている。
(解説)
サーンキヤ学派は、古代インドを代表する宗教学派である。少し変わった観点から、サーンキヤ学派についての話題を紹介しておこう。夏目漱(なつめそう)石(せき)は、明治を代表する文豪。その彼は、漢訳を通じてだが、インドの非仏教思想の濃厚な影響を受けていた。その書は、題名を『金七十論(きんしちじゅうろん)』といい、インドのサーンキャ(Samkhya)という宗派の教義を説いている。『金七十論』は、真諦(しんたい)というインドの渡来(とらい)僧(そう)が訳したものである。この『金七十論』が、どうやら、漱石にインパクトを与えたらしい。サーンキヤ思想のことを簡単に述べると、1種の二元論哲学である。しかし、デカルトの二元論とは、全く異なる。専門家の解説を見ておこう。
 サーンキヤ哲学は、精神原理(プルシャ、自己)と非精神原理(プラクリティ、原質)とを峻別(しゅんべつ)する二元論です。自己は身心や環境とは別のものとされます。つまり、身心や環境は、非精神原理から流出したものなのです。ですから、同じ二元論というとすぐの連想されるデカルトの二元論とは内容がまったく違います。デカルトは、実体を精神的実体と物質的実体とに分けますが、精神的実体として彼が考えたのは心に他なりませんでした。…サーンキヤ哲学では、非精神的原理から流出したものが世界であり、自己は世界外存在だと考えられます。(宮元啓一『インドの「二元論哲学」を読むーイーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』2008,p.iii、ルビ私)
デカルトの「我」は、サーンキヤ思想では、物質である。次のような説明もある。
 一校時代にサーンキヤ哲学の講義を聴いて深く感銘を憶えた夏目漱石は、無関心こと非人情をテーマにした実験的な小説『草枕(くさまくら)』を著しました。そして、漱石が若すぎる晩年に理想とした境地は「即天(そくてん)去(きょ)私(し)」でした。これは天命に任せて非人情に徹するということでもあります。つまり、サーンキヤ哲学は、夏目漱石の人生のあこがれだったのです。(宮元啓一『インドの「二元論哲学」を読むーイーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』2008,p.iv、ルビ私)
サーンキャについては、前に「仏教の起源ではないか」と言う話を紹介した際にも、言及
した。それが回りまわって、夏目漱石にまで繋がっていく。仏教の面白さの1面である。


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