新インド仏教史ー自己流ー

その7
 さて、今まで見てきたウパニシャッドは、西欧の学者をも魅了します。その様子を紹介しておくのも無駄ではないでしょう。
 〔タージ・マハールを建造した、ムガル王朝第五代の皇帝シャー・ジャハーンの息子、ムハマッド・ダーラー・シコーが〕ペルシャ語に訳させたウパニシャッドを、ラテン語に重訳したのは、フランスの東洋学者アンクティユ・デュペロン(一七三一 -一八〇五)である。・・・デュペロンはウパニシャッドに心酔(しんすい)し、その翻訳に着手した。彼はこの古典を、初めはフランス語に訳したが、その荘重(そうちょう)な思想を伝えるためには、ラテン語の方が適切だと考えるに至った。・・・辛苦(しんく)の末に成った彼のラテン語訳は、一八〇一 -〇二年に、大型版の二巻本『ウプネカット』(Oupunek’hat)として出版された。こうしてウパニシャッドは西洋の知識人の間に読者を持つこととなった。・・・〔デュペロンのウパニシャッドの訳を見て〕、ショーペンハウアーはウパニシャッドの中に、彼自身の思想が表現されているのを見出して感動したのであった。彼の主著『意志と表象(ひょうしょう)としての世界』の初版の序言(じょげん)に、そのことがはっきりと記されている。・・・そして、「ウパニシャドを構成している個々の、断片的な言辞(げんじ)のひとつひとつは、私が伝達しようとしている思想から結論として導きだされるものである」と言明しているのである。・・・主観から独立に、現象の背後に実在するのは、彼によれば、意志(´´)である。主観的に構想された表象としての世界は、究極的には、主観の根底をなす意志によって造り出されているのである。意志はあらゆる現象的存在の基底にあり、それは本来は個別的に分化されていない。・・・ショーペンハウアーはこの意志を、ウパニシャッドに説かれ、ヴェーダンタ哲学の中心概念となる「ブラフマン」と同視(どうし)した。・・・ブラフマンは、本来、現象界の多様性(たようせい)をまったく離れているが、実在しないものを実在に付託(ふたく)する幻力(マーヤー)によって多様性を持つかのように現れる、というヴェーダンタ学説に親近感を見出した彼は、幻力を「個体化の原理」として理解した。・・・意志の否定は決して生存の停止や消極的生存を意味するのではない。それは個体化の原理を離れて、現象の背後にある実在と一体化することであり、ショーペンハウアーはそれを「ブラフマンとの再結合」「ブラフマンへの再帰入(さいきにゅう)」と表現している。(服部正明『古代インドの神秘思想 初期ウパニッシャドの世界』昭和54年pp.17-23、ルビ私)
インド思想が、西欧に伝わり、世界的哲学者アルテゥール・ショーペンハウアー(ArthurSchopenhauer,1788-1860)を如何(いか)に魅(み)了(りょう)していったかがよくわかる記述です。しかし、ショーペンハウアーは、ヴェーダーンタという後代の成立した哲学を通して、ウパニシャッドを理解したわけで、ウパニシャッドそのものの思想を評価していたのではありません。自分
の思想に符号させるかのように、ウパニシャッドを遇したのです。こういうことは、よくあることです。我々は、ウパニシャッドの呪術的思考を学んだので、ショーペンハウアーという西洋哲学の大物の考え方にも、疑念を持つことが出来ます。
以上見てきたヴェーダ・ウパニシャッドの後に、いよいよシャカが登場します。肝心なのは、いきなり仏教が誕生したのではなく、確固とした先立つ思想があったという点です。概説書の説明を引用してみましょう。
 ウパニシャッドにつづく約千年のあいだは、インド思想史上、最も実りの多い時代であった。その初期には、多くの自由思想家の群(む)れが輩出(はいしゅつ)した。それらの思想かのなかで最も重要なのは仏教の開祖仏陀(ぶっだ)であるが、その他にジャイナ教の開祖マハーヴィーラをはじめ、いわゆる六師(ろくし)とよばれる哲学者の名が伝えられている。これらの人々は、すべてヴェーダの教権(きょうけん)に反旗(はんき)をひるがえし、伝統にとらわれずに自由思想を説いた。(長尾雅人『世界の名著 1 バラモン教典・原始仏教』昭和54年、p.27、ルビほぼ私)
シャカの時代を、別な本ではこのように解説しています。
 当時は二種類の宗教者があった。それはバラモンと沙門(しゃもん)とである。伝統的な宗教者はバラモン(brahmana)と呼ばれた。彼らはヴェーダの宗教を信奉(しんぽう)し、その祭式を司(つかさど)るが、同時に梵我一如の哲学に心をひそめ、そこに不死の真理を獲得しようとしたのである。・・・このようなバラモンの修行者に対して、この時代になって全く新しいタイプの宗教修行者が現れた。彼らを沙門(しゃもん)(sramana,samana)という。これは「努力する人」というほどの意味である・・・(平川彰『インド仏教史』上、1974年、p.23、ルビほぼ私)
シャカは、沙門と呼ばれる修行者の1人でした。次に、シャカ当時の思想家達等について見ておくことにしましょう。

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