新インド仏教史ー自己流ー

その3
少し先取りになるかもしれませんが、デーヴァダッタに関する面白い論文があるので、触れておきましょう。仏教のあり方、シャカ当時の雰囲気を考える上で、参考になると存じます。
中村元氏は、次のように論じます。
 仏教とはブッダになるための教えであり、またブッダの説いた教であるということは、万人(ばんにん)の承認する事実である。ところで、世人(せじん)のみならず一般の学者はここで無批判的な論理の飛躍(ひやく)を行っている。〈ブッダの説いた〉ということはすなわち〈釈尊の説いた〉という意味であると暗黙(あんもく)のうちに了解している。・・・しかし思想史的現実は決してそのような単純なものではない。・・・ブッダは決して一人の人物を意味していなかった。そこで理論的にはこういう可能性が考えられる。ブッダと称する人によって説かれ、ブッダとなるための教えは、釈尊の説いた教以外にもあったのではないか?しかり。当時いくらでもあったのである。ただそれらは、後代のインドに「仏教」(Buddhasastra,Bauddha)としては伝えられなかった。異端者(いたんしゃ)デーヴァダッタはこの視点から再評価されるべきであろう。かれはブッダになることを教えていた。その意味でかれは仏教徒である。(中村元「釈尊を拒む仏教―デーヴァダッタなどー」『印度学仏教学研究』17-1、1968年、pp.7-8,ルビ私、現代表記に改めた)
深くインド思想全般に通じている中村氏ならではの、鋭い切り込みだと思います。伝説上の極悪人の実像を探っているのです。中村氏は数々の資料を提示し、こう述べています。
 こうみると、多くのデーヴァダッタ伝説を通じて共通なことは、かれが教団(・・)の(・)分裂(・・)を(・)はかった(・・・・)、すなわち〈仏教〉と称しながら、主(・)流派(・・)と(・)は(・)別(・)行動(・・)を(・)とった(・・・)ということだけである。(中村元「釈尊を拒む仏教―デーヴァダッタなどー」『印度学仏教学研究』17-1、1968年、p,15、現代表記に改めた)
さらにこう付け加えています。
 〈ブッダ〉という呼称が、釈尊のことだけでなく、また〔シャカの前にいたとされる仏〕過去仏(かこぶつ)のことだけでもなく、当時の修行者一般を意味する呼称であったということは、仏典自身の認めているところである。〔シャカの前世を伝える〕『ジャータカ』によると、釈尊の名声が高まるにつれて外道(げどう)のものども(titthiya)はそねんで言った。
『どうして修行者ゴータマだけがブッダなのであるか?われわれもまたブッダなのだ』これらの諸事実から知られるように、デーヴァダッタはこの思潮(しちょう)を受けていたのである。ただかれはシャーキャ・ムニ〔=シャカ〕を拒否(きょひ)していただけなのである。論理的に厳密に検討すると、後代の仏教徒は思想的に大きな錯乱(さくらん)がある。それはブッダとシャーキャ・ムニとを同一視(どういつし)し、しかも両者は互いに可逆的(かぎゃくてき)と考えている。しかし〔ブッダになることを勧める教え〕という立場に立つならば、何もシャーキャ・ムニだけを絶対(ぜったい)視(し)する必要はない、ブッダとなることを教えた人々は当時幾人(いくにん)もいたのであり、シャーキャ・ムニ一人だけではなかった。だから仏教徒のうちにはシャーキャ・ムニを捨ててデーヴァダッタのもとに走った人々もいた。(中村元「釈尊を拒む仏教―デーヴァダッタなどー」『印度学仏教学研究』17-1、1968年、p.18,ルビ・〔 〕私、現代表記に改めた)
中村氏は、広い視野で、最後をこう締めくくっています。
 〈仏教〉というと釈尊教のことであると解され、浄土教でさえも釈尊にかこつけて説かれているが、それと異なったブッダ教なるものをもう一度考え直してみる必要があるのではなかろうか?(中村元「釈尊を拒む仏教―デーヴァダッタなどー」『印度学仏教学研究』17-1、1968年、p.20,現代表記に改めた)
先に見たラーフラについても意外な指摘がありました。半ば常識化している仏教の教理や伝説も、少し、疑いの目で見ると、全く違った姿を現します。
さらに平川氏の記述を見ていきましょう。
 苦行を捨てた釈尊は、この極度に瘠(や)せた身をもってしては、初禅(しょぜん)の楽は得がたいと考えて、固い食物や乳(にゅう)粥(しゅく)を取って、身体を鍛(きた)えた。このとき乳粥をささげたのはスジャーターという娘であったという。さらに、ネーランジャラー河に入って汚れた身を洗い、その水を飲んだ。これを見て釈尊に従っていた五人の修行者は、「沙門ゴータマは贅沢(ぜいたく)に陥(おちい)り、努力精進(しょうじん)を捨てた」と言って、立ち去ったという。釈尊は固い食物と乳粥とによって体力を養い、近くの森のアシュヴァッタ樹の下に坐を設け、そこで禅定に入った。そしてついにこの木の下で悟りを開いて、「仏陀」となったのである。この悟りを「正覚(しょうがく)」(abhisambodhi)という。仏陀とは「目覚めた人」という意味である。アシュヴァッタ樹(asvattha)は無花果樹(いちじくじゅ)の一種であり、のちには「菩提樹(ぼだいじゅ)」(Bodhi-tree)と呼ばれるようになった。(平川彰『インド仏教史』上、1974年、pp.38-39,ルビ私)
苦行に疲れたシャカに乳のお粥を捧げたのは、スジャーターという村娘ということになっ
ています。コマーシャルで「褐色(かっしょく)の恋人」として宣伝されているスジャータのもとになった名です。原語に忠実であれば、スジャーターと伸ばすのが正しい発音です。日本語で言えば、「良子」くらいの意味です。五人の修行者は「五比丘(びく)」と漢訳され、シャカの父王に命ぜられ、苦行にも常に同行していた人達です。菩提樹の菩提は、悟りの原語ボーディを音で訳したものです。ともあれ、シャカの悟りは様々な経緯を経てこうして得たわけです。これを成道(じょうどう)と表現することもあります。日本では、12月8日を成道会(じょうどうえ)として記念します。


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