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夢喰獏

獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。人の夢を喰って生きると言われるが、この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えるとその悪夢を二度と見ずにすむという。
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 頭の上がらない動物がいる、というと驚かれるかもしれない。私の場合、獏だ。獏は皆さんご存知だろうか、白と黒のコントラストが美しいクマのような哺乳類だ。私は動物園に行くと真っ先に獏の元へ寄り、お辞儀をする。というのも、私は以前獏に助けてもらったことがあるからだ。

 小学校2年生の時だった。その日の夕食はいつもと違った。誰も何も言わないのだ。いつもならにぎやかな夕食だが、皆一言も口を利かず、ただ機械的に食べ物を口に運んでいた。母も父も死んだような目をしている。いつも私を気遣ってくれる祖母も、今夜ばかりは何も言わない。
「ねえ」と声をかけたが、誰も何も言わないどころか、こちらを向くでも視線を交わすでもな勝った。反応が一切ない。ただ物を食べる機械になってしまったようだ。
 当然、子供だった私は意味も無く無視をされ、悲しい気持ちになった。夕食を早々に終え、家族を残して一人二階へ上がった。
 廊下を歩いていると、納戸の奥からひそひそと声が聞こえる。当時の私は狭い所がやたらと好きで、ハウスダストアレルギーのくせによく納戸や押し入れの中に入っては鼻血を出したものだった。その日も私は、何度の中で思いっきり一人になりたかった。と同時に、その声の主が気になった。
 開けてみたらなんと、先ほどまでいた母、父、祖父、祖母、妹、家族全員の姿がそこにあった。びっくりした。皆、瞬間移動でもしたのだろうか?どうやって納戸の中に入ったのだろうか?訳が分からなかった。しかも様子が変だ。全員、口にガムテープが張られ、両手両足はロープで縛られていた。体育座りをさせられ、ぎゅうぎゅうに皆肩を寄せ合っていた。
「どうしたの?」子供心に、これは何か危険だ、と思った。例え何歳でも、異常なことがあれば、アラームを察知できるのだろう。私は母親が苦しそうな表情するのを見ていられず、彼女の口に覆われていたガムテープをはがした。私はその時急いでいたのでロープで右手の親指を切ってしまった。だがそんなことを考えている暇はない。私は一刻も早く家族を助けたかった。
 ロープとガムテープを解いた後、はあ、と母は深く深呼吸をした。
「今、下の階にいるのは全員偽物なの。」
母は息粗く説明してくれた。下の階の者に今の状況が悟られぬよう、耳元で囁いてくれた。
私は母と全員の身柄の拘束を解いた。
「とにかく今はやり過ごして。何も知らないふりをするのよ」と、母。
「ずっとここにいると怪しまれる。下の階にとりあえず言って、悟られないようにしなさい』と、父。
「何を言われても黙るんだよ」と、祖母。
 一階に降りると、偽の家族はまだ食事をしていた。
 ドアの真ん前に、身長2メートルは超えるであろう、鬼がいた。
何故か私は一目見て、あ、鬼なんだ、と分かった。
赤く、金色の装飾の入った着物に、白いふわふわした毛皮のようなものを首に巻いていた。髪は白く長く、ぼさぼさとしていた。とても大きい。彼は何もせず、ただ家族を監視していた。黙々と何も言わず食事を続ける偽の家族を、異常が無いか確認する工場の点権者のような目で見ていた。ただただ観察していた。
 私はもう一度夕食に取り掛かろうか迷った。本当に食べなくても、食べるふりをするだけでも良かった。何となく、鬼は皆に食事をしなければならない、と目で訴えている気がしたのだ。鬼にじっと見つめられていると何となくやりづらく、緊張する。しかし偽の家族はそんなことも気にせず、そもそも鬼の気配にも気づいているのかわからないように黙々と食事をしていた。
 ああ、これは夢なんだ。唐突に悟った。こんなことがあるはずもないし、鬼がこんなにも堂々と私の目の前に出てくるわけはない、これは夢だ。ああ、夢なら醒めてほしい。
 偶然だった、本当にふとしたきっかけだった。
私は授業の合間に、担任の先生が「獏は夢を食べてくれるんだよ」と教えてくれたことを思い出した。雑談の好きな先生で、よく皆から慕われていた。大学時代に霊的な恐怖体験をしたことがあるとも語っていたが、いくら全貌を聞かせてと皆が願っても、「あれだけはだめだ」と頑なに教えてくれなかった先生だった。
 やって見よう、大した考えは無かった。気づいた時には叫んでいた。
「獏、夢、食べろーーーーーーーーーーーーーーーーー…………」
ろーーーーーーーーーーーー
ろーーーーーーー
ろーー

 起きた。布団の上にいた。二階の寝室にいた。誰もいなかった。何度にも誰もいなかった。朝だった。何時もの、平日の朝だった。
 一階に降りると、母が朝食を作っていた。父がそれを食べていた。祖父は寝ていた。祖母は庭で草をむしっていた。
「おはよう」と母が言った。目玉焼きがテーブルに出された。
「早く食べちゃいなさい」父は新聞を読みながらパンをかじっていた。
「おはよう」と私は言った。パンと卵も食べた。
「なんか変な夢を見た」と私が言った。
「そう?」と、母が言った。
「うん」
 ずきん、と右手の親指が痛んだ。見ると、ロープで切ったような一直線の傷ができていた。

 この一件以来、私は獏に頭が上がらないのである。



画像提供:Saica様

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