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保次郎一家の移民生活

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曽祖父・保次郎(やすじろう)一家の米国移民時代を辿る旅。明治〜大正時代のお話。
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記事一覧

私の曽祖父について

私の父方の曽祖父、保次郎(やすじろう)は、1898年(明治31年)に16歳で次兄とともにハワイへ…

abetomo
5年前
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曽祖父のハワイ時代(明治31年〜39年)

曽祖父の保次郎がハワイに渡ったのは、ハワイが米国に併合された1898年(明治31年)でした。こ…

abetomo
5年前
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曽祖父保次郎、カリフォルニアに移住する(明治39年)

1906年(明治39年)にハワイからアメリカ本土へ渡った保次郎は、カリフォルニア州のStocktonと…

abetomo
5年前
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曽祖父、日本から妻を迎える(明治45年)

1912年(明治45年)に、保次郎は23歳のヨキ(曽祖母)と結婚しました。 曽祖母は単身渡米でお…

abetomo
5年前
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曽祖父保次郎、父になる(大正3年)

1914年(大正3年)、カリフォルニア州のStocktonで、保次郎とヨキの長女として祖母が生まれま…

abetomo
5年前
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100年前の英文契約書をテキストデータにしてみた

このマガジンではアメリカに移民していた曽祖父・保次郎のことを紹介していますが、ハワイへ渡…

abetomo
5年前
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曽祖父、カリフォルニアで農業を営む

明治時代にアメリカへ渡った日本人移民の多くは、農業労働者として働いていました。彼らは渡米当初は小作人として低賃金で労働していましたが、やがて土地を借りて農業を営む人が出てくるようになります。曽祖父・保次郎もそのパターンだったようで、祖母(保次郎の長女)の子供時代にはカリフォルニア州のストックトン(Stockton)かオーウッド(Orwood)の辺りに農場を持ち、人も雇っていました。 これは農場の写真です。表には「September 7th,1910」、裏には「吾等の状態 其

いだてんと同時期に海を渡った曽祖母、そしてBuddhist Church(明治45年)

曽祖母のヨキが、カリフォルニアの保次郎に嫁ぐため、1人で船に乗って横浜港を出発したのは191…

abetomo
5年前
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曽祖父が農業を営んでいた場所(大正9年)

曽祖父・保次郎は米国カリフォルニア州のストックトン(Stockton)やオーウッド(Orwood)に住…

abetomo
5年前
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家族や友人たちと(明治38年〜大正13年)

曽祖父の保次郎は写真が好きで、家族写真以外にも、友人と思われる方や親族と思われる子どもた…

abetomo
5年前
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祖母が通ったアメリカの小学校(1920年〜1921年)

曽祖父保次郎一家がカリフォルニア州に住んでいた頃、娘である祖母とその妹ヒメコ(大叔母)は…

abetomo
5年前
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祖母のような日系二世が受けた教育(1920年代)

祖母のようにアメリカで生まれ育った日本人移民の子供(日系アメリカ人)は、どんな教育を受け…

abetomo
4年前
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曽祖父保次郎、42歳で日本に帰る(大正14年)

曽祖父保次郎のアメリカ生活はそれなりに豊かだったように思えますが、42歳の年に妻子を連れて…

abetomo
4年前
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帰国後の曽祖父一家:日本でも写真を撮る

日本に帰った曽祖父一家は、故郷の新潟県と福島県の県境にある山奥の村に滞在しました。 下の写真は、帰国した大正14年(1925年)の7月に新潟県三条市の水野写真館で撮ったものです。左が7歳の次女ヒメコで、右が11歳の祖母です。写真の台紙に「日本上陸第壱回ノ寫眞」とメモが書いてあります。 今までと違って子供たちは和服を着ています。これ以降の写真は、和服で写っているものばかりになります。下の写真は大正15年(1926年)4月撮影です。 それからなんと、保次郎・ヨキ夫妻には19