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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜54 『馬の娘、再び』

 わたしは馬である父と、人間である母を持つ「馬の娘」と呼ばれる女。

 以前、わたしは両親がどのように出会い恋に落ちたかを語った。

 今日これから話す物語の主人公は今回もわたしではない。わたしの両親でもない。それは、ある一頭の馬である。

 ジャンボ。それが彼の名前だ。

 ジャンボは父の唯一の親友だった。血気盛んな若者が集う競走馬界においては珍しく、彼はどこかひょうきんな様子で、競争よりも楽しく人生を過ごすことに価値を置く馬だった。そのことが父の気を許した。

 父と母が出会ったあのレースにも、パーティーにもジャンボは参加していた。パーティーでジャンボは母を見つけ、それから隣にいる父に言った。

「おい。あの娘、綺麗だなあ。世の中にはあんな美人がいるんだな」

「ん、ああ、そうだな」と父はとぼけて言った。

「彼女、さっきからお前のこと見てるぜ。なにか声かけてみろよ」

「え、いいよ。大体、なんて声かけたらいいんだ?」

「お嬢さん、オイラに乗ってみないかい? とかなんとかさ」

 父は鼻で笑った。

「馬には乗ってみよ人には添うてみよ、ってな」そう言ってジャンボはピューと口笛を吹いて母の気を引いた。

「馬鹿! やめろ!」

「俺は馬ではあるが鹿ではないぜ、はは。お、彼女こっちに来るぞ。健闘を祈る」

「おい、ジャンボ! どこに行くんだよ!」

 父が呼び止めたが、ジャンボは牝馬が集う一角に行ってジョークを披露していた。

 やがて母が父に乗ってパーティー会場を抜け出す所を、ジャンボは微笑んで見送った。


 父と母の交際が周囲に反対された時も、ジャンボは唯一の味方で相談に乗ってくれた。

「ふうん、なるほどな。たしかに彼女の両親や事務所にしてみれば、お前はどこの馬の骨とも分からん奴だ。ま、人間ってのは毛を見て馬を相するものだからな」

「でも、あのパーティーの晩に分かったんだ。この出会いは運命なんだって。僕と彼女は、なんていうのかな、馬が合うんだ」

「くぅ憎いね。よっ、色男」

「おい、茶化すなよ」

「すまんすまん。じゃあ聞くが、お前がこれから、もっとも大切にしていきたいものはなんだ?」

 父は質問の意図を汲み取ろうと、ジャンボを見た。

「最強の競走馬の称号か? それとも、彼女への愛か?」

「それは……」

「前者なら俺に手伝えることはなにもない。お前はただ走ればいいだけだ。でももし、もしもお前が、彼女のためならなにもかも投げ出してもかまわない、そう言うんなら、俺に協力してやれることはある」

 父はジャンボをじっと見つめ、答えた。

 こうして、ジャンボによる父と母の北海道行きの計画が始まった。

 その頃すでに父の馬主と、母の芸能事務所は二人に対する監視の目を厳しくしており、二人は会うことも出来なくなっていた。父に至っては厩舎に閉じ込められ、練習以外の外出は禁じられていた。だからジャンボが、二人の間に立ち、フェリーのチケットの手配や日程の段取りを行った。

「べっぴんさん」とジャンボは母に言った。

「最後にもう一度確認させてくれ。今の生活を捨てて、あいつと一緒になりたい。君は本当にそう思っているんだね?」

「ええ、ジャンボ。何度も言ったでしょ? わたしはもう、虚構の世界にはうんざりよ。彼の存在だけが、わたしを現実に引き留めてくれるの」

 決行は七月のある夜。とても暑い夜だったという。母が女優として最後の仕事、ドラマの撮影を沖縄で終え、誰にも告げず、すぐに飛行機で成田空港へ。そこからタクシーに乗り、父の厩舎がある茨城県の美浦村へ向かった。施設の外でジャンボと待ち合わせて、正面口のそばまで来た時、母は本当に最後の芝居を打った。

「きゃーー、助けてーー」

 守衛室から警備員が母の元へ駆けて来る。

「どうしました? 大丈夫ですか?」と彼が言うと、そこへジャンボの後ろ足が飛んで来て、警備員はあっさりと気を失った。

「悪く思わないでくれよ。二人のためなんだ」

 母は守衛室に忍び込み、父の厩舎の鍵を探した。壁にキーホルダーが掛けられていたが、大きな輪に百本もの鍵がぶら下がっていて、どれがどこの鍵なのか記されていなかった。

「ジャンボ! どれか分からないわ!」

「くそ、駄目だ時間がない。行こう、べっぴんさん」

 ジャンボは母を乗せ、父が閉じ込められた小屋へ向かった。小屋には大きくて頑丈な南京錠が掛かっていた。ジャンボはそれを何度も何度も蹴り上げやっとのことで破壊した。ドアが開き、中から父が出て来た。久しぶりの再会をはたし、母は父の首に抱きついた。

「さ、二人とも、愛を確かめあうのはあとでゆっくりやってくれ。急ぐぞ!」

母は父に乗り、彼らは走り出した。

 一向は大洗のフェリー乗り場へ向かった。

 道中、ジャンボは顔をしかめ立ち止まった。

「どうしたんだ、ジャンボ?」と父はふり返り言った。

「すまねえ、ちょっと足を痛めちまったようだ」

 ジャンボはさきほど鍵を蹴り上げる時に怪我をしたようだった。彼の足は血だらけだった。

「ここからは二人で行ってくれ、道は分かるな?」

「ああ。多分」

「べっぴんさん、俺の鞍にフェリーのチケットが入ってる、取ってくれ」

 母はチケットを取り出して、ジャンボの首に抱きついてキスをした。

「ああ、ジャンボ。愛してるわ! なにもかもあなたのおかげよ」

「嬉しいこと言ってくれるねえ、べっぴんさん。あいつに泣かされるようなことがあったら、いつでも俺の所においで」

「ええ、きっとそうするわ」

「さ、行くんだ」

「落ちついたら手紙を書くから。そしたら、この子にも会いに来てね」

 そう言って母はまだ膨らんでいないお腹をさすった。

「ああ。楽しみにしてるよ」

 ジャンボは母にウインクをし、それから父を見た。

 父とジャンボの間には言葉は必要なかった。しっかりと視線をかわし頷きあった。

 母は幾度となくジャンボをふり返った。

 ジャンボも二人が去って行くのをいつまでも見送った。


 例の警備員は事件当時の記憶をすっかり失くしていたため、二人の逃走劇にジャンボが関わったことが問われることはなかった。が、足の怪我のため、引退を余儀なくされた。

 彼は悠々自適に引退生活を送り、年に一度北海道にやって来た。

「よお、世界で一番イカしたお嬢ちゃん。君はお母さんに似てとってもかわいいねえ」

 ジャンボは会う度にわたしにそう言った。

 父が亡くなった時も、ジャンボはなにも言わず、ただわたしたちのそばにいてくれた。

 わたしのインスタグラムのフォロワーの方ならご存知だと思うが、わたしの右肩には「JUMBO」とタトゥーがある。三年前に彼が亡くなった時に入れたものだ。

 彼がいなければ両親は結ばれることはなかったし、わたしも生まれることはなかった。わたしも、人と人を結びつけ、幸せを生み出す、彼のような存在でありたい。そう願って生きてきた。そうして様々な人と出会い、わたし自身、ある人と恋に落ちた。けど、それはまた別の話。

 いずれ機会があればどこかで……。

 それまでみなさま、ごきげんよう。



・曲 忌野清志郎「競馬場で会いましょう」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は7月11日放送回の朗読原稿です。

二年半前、2022年1月に朗読されました「馬の娘」の続編と言いますかスピンオフのようなお話です。実はこの作品自体2022年の5月に書いていたのですが、一度没になりました。でも時間が経つほど、僕の中でジャンボが忘れられない存在となり、ある程度時間が経ったところで加筆修正し、採用と相成りました。
ようやく僕はジャンボを野に放つことが出来ました(彼が望んでいたかどうかは分かりませんが)。
行け、ジャンボよ! どこまでも走って行け!

朗読動画も公開しております。どうぞよろしく。


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