今日のおやすみミュージック(2023年10月31日)

The Weather Station "Tried to Tell You"
(最近、見つけた「新しい」音楽の中から。と、云っても三年前の曲らしい。)

最近になって、ようやく「新しい」音楽とか映画に目を向ける気持ちが芽生えはじめてきた。少し前までは、今のトレンドには共感できない、前時代の良いものの方がすぐ見つかるし苦労して新しい無名のとこから探さなくても、と億劫だったのだが、ふとこの頃になって、今この時代に目を向けようという気分が湧いた。なにか明確なきっかけがあった、というわけでもないのだが、いざ本腰を入れてディグってみるとやっぱり楽しい。し、いろいろな発見もある。ものの見方とか、情報の取り入れ方が変わってきたりするのだ。楽しい。

とはいえ、前述の苦労(?)は、やっぱりあるのである。昨夜も、ある新作邦画を観たわけだが、もうまったく共感できなかった。最近よくある、何と言うのか「あるあるネタ」の集合体みたいなゆるーいやつだ。ちょっと合わないかもとは思ったが、評判が良かったので観てみたのだった。結果、合わなかった。

映画に限らず、この類のコンテンツに触れると思い浮かぶフレーズがある……技術はある、技術しかない。すなわち、完成度は確かに高い。でも、その精度の高さを用いて何が描かれているかと云うと、特段なにも描かれていない。映画で云うならば、何も起こっていない。そのうえ人間描写まで幼稚、未熟だったりすると、最早なんのシーンもキャラクターも印象に残らないまま、ただ二時間を費やし、ただただ虚しい気持ちで劇場を出る/テレビを切ることになる。

技術はある、技術しかない。大胆さとか繊細さ、感性、知性が感じられない。作者の鼓動というか、人間が感じられない。人間が感じられない「作品」には、その存在意義そのものが感じられない。そういうやるせなさを表現するとき、用いられる言葉が「物足りない」ではないかと思う。

そんなレビューを映画サイトに書いてやろうとも思ったのだが、寝て起きて今朝になり、ずいぶん冷静になってやめた。そんなものは「観なきゃいいじゃない」と一蹴されて終わりだ。いや私が言いたいのは、何故だかこんなにも高評価を得ている作品だけれど、私から見ればその実はこうも虚無的で……という切り口もまた「いや、それが好きな人もいるの」と言われたら、ぐうの音も出ない。

そう考えると、きっとこういう作品はずっと昔から綿々と生まれ続けていて、ずっと人気を博していて、そのことにモヤモヤしてしまう自分みたいな人間もまた、ずっといたんだろう、、そんなことを今朝、思った。
トレンドは厄介である。みんながみんな安心して観られる映画なんて面白いわけがない。うんざりする。どこでなにをどう感動すればいいのか分からない、という意味で、さっぱり共感できない。

表現は「人間」だ。それぞれの感じ方の差はあれど、人間を感じられない作品には存在意義がない。そこそこの気分でチケット買って、そこそこの気分で観て、そこそこの気分で劇場を出られるようなそこそこの映画なんて、クソクラエだ、というのを、格好つけみたいだけど書いておきたい。あくまで個人的見解として。

(……とはいえ、ずっと昔から〜とは書いたものの、技術はあるけど「人間」がない、物足りないというのは、今の世界全体の雰囲気そのもの、と言い換えられたりもするのではないか、と思ったりはする。)

ぐちぐち書いてきたけれど、今はその気になれば、いわゆる「トレンド」というものから(ほぼ)完全に距離を置くことも可能な時代である。それを、新しい音楽をいろいろディグる過程のなかで感じた。良いもの(というか、好きになるもの)は確かにある。そして、良い(好き)と、たとえば何十億の再生回数とか、何とか賞の受賞歴とかは、まったく一切の相関を持たないというのがよく分かる。数十年来メディアがでっち上げてきた虚構が、こうも簡単に見破れてしまう時代が到来していたことに、なんだか一歩遅れて気付いたような気持ちである。でも、メディアはいまだに、平気な顔をしてこれまでと同じことを繰り返し続けている気がする。たぶん、もうそうするしかないのだろう。引っ込みがつかないのだろう。

著名なミュージシャンや映画監督の本などを読むことがあるが、どんなふうにしてこの人は「のし上がった」のだろうと興味を持って読むと(もちろん書き方/語り口の影響もあるとは思うが)その大抵はやっぱり「運」と感じる。これは嫌味とかじゃなく、明石家さんまさんが坂本龍一さんに言っていた「もう、どんどん巻き込まれちゃうでしょ?自分の意思じゃないでしょ」の、ニュアンスである。

著名とは、世の中の巨大な「知る/知られる」のシステムは、所詮はそういうふうに決まってしまうものである、という印象。そして勿論、例えばキャメロンだろうとヘネンロッターだろうと、結局はひとりの人間でしかない、持ちうる視点は一つでしかないというのが現実である。資本が(というか、ほとんど何物も)作家を拡張するなんてことはありえないし、資本に「優遇されるべき」作家などというものも、実際いないのである。だから『ターミネーター』が『バスケットケース』よりも偉い、とかいうことは、まったくないわけである。

トレンドにモヤモヤする。運にモヤモヤする。そういう「人間」が歌や、映画になれば、それはモヤモヤの同士に届く。そういうことを、上手くやれば成し遂げられる時代に私たちはいる。そう考えてみると、幸運なことだと思う。

……まとまりのない、思いつきのままの文章だが、ノートはいつも考えすぎて「下書き保存」になってしまうので、もう切れ端のかき集めみたいな気持ちで投稿してしまうことにする。こういうことはツイッターでは書けないし。
今日はこれから映画を観る。ずっと観れていない『ドライブ・マイ・カー』を観ようと思っていたが、あれ確か三時間くらいあるから、もう遅すぎかもしれない。ちなみに明日は劇場に観に行く。韓国のホラー、タイトルは忘れた。来月以降、観たいタイトルが満載だから、ちょっとお金のやりくり考えないといけない。

それでは、おやすみなさい。
10月31日


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