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おばあちゃん、ありがとう!

こんにちは、
声優のあべそういちです。



先日、最愛のおばあちゃんが亡くなりました。
91歳でした。
母方の祖母です。



去年の8月、小倉の実家で親戚一同が集まっておばあちゃんの90歳の誕生日会をしました。
私と娘で作った銀のブレスレットを喜んで受け取ってくれました。
それが最後に会ったおばあちゃんでした。
あと数週間後の年末には会いに行く予定だったのにな。



去年までは、入退院はあったけど、おばあちゃんは基本的には自宅で過ごして、週に1回ヘルパーさんが来てくれるという生活でした。

認知症はありつつも、親戚のことはちゃんと認識していて、むしろ直近のことをあんまり覚えてないという感じでした。



今年に入ってから、肺がさらに悪くなり、主に入院生活になり、夏から老人ホームで過ごすようになりました。
老人ホームでコロナにかかったり、骨折して車椅子生活になったり、あまりよくないこともありつつも、スタッフさんとたくさんしゃべったり、車椅子で散歩したり、レクレーションに参加したり、楽しく過ごしていたようです。



かわいいエピソードをひとつ。
たまに老人ホームにコンビニが出張に来るらしく、必要はものは揃っているけど一応小銭を渡しておいたら、おばあちゃんはバナナを買ったそう。
そして1本しか食べられないからと、残ったバナナはお気に入りの男性スタッフにあげていたらしい。
おばあちゃんおちゃめすぎる。青春してる。




亡くなったその日は、スタッフさんが早朝に様子を見に行くと、すでに息をしてなかったそう。
誰にも看取られずに亡くなった。
けど、苦しんで入院して亡くなるよりよかったのかもしれない。



母は東京で孫(私の娘)の学芸会を見るために北九州空港におり、一報を受けて老人ホームへ。
その知らせを受けて、私たち家族も学芸会を終えたあと小倉へ。
その日にお通夜、翌日に葬式となりました。

娘もひいばあちゃんのことをちゃんと認識しているので、一緒に行きました。
斎場に泊まり、おばあちゃんと一緒に寝ました。




私はおばあちゃんっ子で、というかもう親同然で、両親は共働きだし一人っ子だしで、ほとんどおばあちゃんに育てられました。


おばあちゃんにとって私は「人生の後半で突然現れて世話をすることになった孫」だと思うけど、
私にとっては人生で1番多くの時間を過ごした存在。
私はいま37歳で、18歳まで実家にいたことを計算すると、誇張なく最も関係性が深い存在です。


家に帰るとおばあちゃんがいて、ご飯を作っていたり、相撲を見ていたり、詩吟を歌っていたり、寝るのも小学生まではおばあちゃんと2人。
寝るときは色んな本を読んでくれたり、色んな話をしてくれた。
(1番読んでくれた本『窓ぎわのトットちゃん』の続編を年末にプレゼントする予定だったので、持っていって棺に入れました。映画も見たよ。)

中学高校の6年間は、朝も起こしてくれて、毎日お弁当をつくってくれた。
6時台、時には5時台のバスに乗らなきゃいけない高校だったから、おばあちゃんは何時に起きていたんだろう。
おばあちゃんとのエピソードを語ることは、自分の人生を語ることとほとんど同じだ。

東京にも最初の頃は来てくれたけど、徐々に飛行機に乗ることが辛くなり、耳も遠くなったので、おばあちゃんは私の声をテレビから聞いたことはないと思う。
声優という仕事についても、もしかしたらあんまりわかってないかもしれない。

10年くらい前に愛犬のティラが具合が悪くて何日か実家に帰ったら、「仕事がないのかい?」と心配されたけど。




斎場の部屋の外に、私がいままでおばあちゃんに贈ったものが飾られていた。
80歳や88歳の節目のときはちょっと豪華なもの、東京生活で全然お金がないときは色紙に一言書いただけのものとか、上京後の自分の人生を見ているようだった。


その中のひとつに、塗り絵の本があった。
おばあちゃんが耳が遠くなって、外出が億劫になっていると聞いたので、家の中でできる塗り絵を贈ったのだ。
新宿の世界堂で選んだ、ちょっといい色鉛筆とセットで。


ただ贈ったはいいものの、塗ったかどうか確認するのも野暮だし、唐突に塗り絵というのも違ったかなと、すっかり記憶の彼方だった。
電話は聞こえないし、帰省は年に1回していたものの、実際に会っても男性の声は特に聞き取れないらしく、そんなに会話はできなかった。


その塗り絵の本が飾られていたので、何となく手に取って開いてみたら、驚いたことに、全ページ残すところなく塗られていた。
花の絵の塗り絵だったけど、きちんとその花の色で塗られているようだった。
当時のおばあちゃんと気持ちが通じ合ったような気がした。


その色鉛筆は、いまはうちの娘が使っている。
プリキュアやプリンセスの塗り絵をせっせと塗っている。

娘が保育園で使っているお昼寝用のシーツも、おばあちゃんの作だ。
掛け布団用と敷き布団用、洗い替えもあって全部で4枚。子ども用とはいえ結構大きい。
5年前、娘が保育園に入るときに、おばあちゃんに作ってほしいと頼んだのだ。
おばあちゃんは裁縫がとにかく得意で、若いときは服飾の仕事もしていたとか。
私が学校で使っていたたくさんの巾着や、家の枕カバーは全部おばあちゃんの作だ。

それでももうずっと裁縫から離れていたおばあちゃんが、ミシンの使い方をゆっくり思い出しながら縫ってくれたのが娘のシーツだ。チャックも付いている。
卒園まであと1年。ばっちり現役だ。

受け継がれていく。
おばあちゃんのように強くて優しい人に、私もなれますように、娘もなりますように。



葬式の中で孫から祖母へということで話す時間をいただいた。
原稿をつくらないとしゃべれない方が多いとスタッフの方に言われたけど、そんな心配はなかった。



もうおばあちゃんの耳は聞こえるかな?と思ったので、メッセージの最初は、マイクをよけて、こう言いました。



「おばあちゃん、ありがとう!」







じゃあまたね

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