#5 「サッカーってこんなに簡単だったっけ」 【あべしょーのKick Story】

阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。第5回は筑波大学在学時のエピソードを取り上げます。

◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣

プロではなく大学へ

――高校卒業後、Jリーグの舞台ではなく大学に進んだ理由を教えてください。

可能性があれば、高校から直接プロには行きたいと思っていました。でも、当時の監督が中途半端な能力ならばプロには行かないで大学でしっかり学んでからのほうが本人にとってもいいという考えの方だったので、その先生の存在もあって大学に進みました。実際には当時のJ2クラブからのオファーもいくつかあったらしいのですが、当時はオファーの話を聞くことは一切なかったです。実際にも自分の能力を客観的に見てみると順当な選択だったかなと思います・

――筑波大学を選んだのはなぜですか?

正直、当時の僕はサッカーが強い大学をよく知りませんでした。ただ、ひとつ上に筑波大学に進んだ先輩がいて、話を聞いてみるととても良さそうったので、その人からの話を参考にした部分もあります。

サイドバックの醍醐味

――筑波大学在学時にサイドバックに本格的に転向した背景には何がありますか?

僕自身は攻撃に特別な特徴を持った選手というわけではなく、運動量と身体能力で守るのが特徴としてあったと思います。「自分はサイドバックだな」とは高校時代からも思ってはいましたが、大学入って1個前のポジションに藤本淳吾(現SC相模原)という選手がいたので、なおさら「淳吾にはこういうプレーができるけど、僕にそれはできないかな」というようなことは感じました。こういう背景もあって、サイドバックにおさまるのがいちばんいいなと思いました。でもそれ以上に、自分でかわしてシュートを打ったり、ゴールを決めたりというよりは、性格的にも裏方に近い役回りのほうがプレー自体も好きになっていったというのはありますし、そこに魅力を感じていったのがいちばん大きい理由かもしれないです。

――当時、サイドバックでプレーするときに意識していたことはありますか?

1個前のポジションの選手であったり、近くの選手であったりがやりやすいようにプレーをすることは常に考えていました。サイドバックが目立ちすぎるというのは、最近ではよくあることかもしれないけど、当時はそれ以上に周囲の選手を活かすのが大事とされていました。それがチームの勝利やチームがうまくいくことに繋がっているようで楽しかったです。

サッカーの違い

――市立船橋高校での経験が活きる瞬間はありましたか?

筑波大学はパスを繋ごうとするチームでしたし、個人を見ても上手い選手が多かったです。そういった環境のなかで、「高校でやっていたレベルが低かったわけではない」「高校で積み重ねてきたことがここで本当に活きた」と感じることができました。特に体力面では、他の選手よりも走れたというのはありました。基礎体力、体の強さ、そのあたりの基礎能力は平均的な大学生プレーヤーと同じかそれ以上には身についていたと思います。

――高校サッカーと大学サッカーの違いは感じましたか?

フィジカル面では高校のときよりも身体ができている人が多いというのは感じました。技術面では一段階うまいなとは思ったけど、自分が高校までやってきたことある程度は通用すると感じました。入学当初は怪我をしていて、リーグの前期も外から見ていたのですが、そこまでレベルがかけ離れているとは思わなかったですし、実際に後期から試合に出場したときも自分のプレーはしっかりできたという印象でした。

――筑波大学のサッカーで印象に残っていることはありますか?

左サイドは同期の藤本淳吾と1個上の兵働昭弘選手(現清水エスパルス スカウト部)と僕の3人で崩していたイメージがあります。自分が3年生になったときには2個下に平山相太(現仙台大学サッカー部 ヘッドコーチ)という選手が加入しました。左サイドで崩して中にボールを入れれば平山相太が決めるパターンが確立されました。「サッカーってこんなに簡単だったっけ」と思いました(笑)

代表選出と怪我

――大学在学時にはユニバーシアード日本代表にも選出されていますが、怪我で本格的な活動参加とはなっていません。大学時代のサッカー生活と怪我について詳しく教えてください。

代表の活動は怪我で不参加でした。 「基本的に」と言うのはおかしいですが、選抜や代表はいけた回数のほうが少ないくらい怪我が多く、リハビリ期間などを合わせると大学の4年間のうち1年間ぐらいはプレーできていなかったと思います。

――怪我の原因についてはどう考えていますか?

不規則な生活だと思います。外食とかもあって、ご飯の時間が決まっていなかったり、睡眠時間の長さも不規則であったりで生活リズムがあまり整ってなかったと思います。きちんとした生活を送っていれば、多分怪我は減っていたと思います。実際にもプロに入ってからは規則正しい生活をしていたので、大きな怪我もしていません。

――大学時代に学んだことを教えてください。

体の仕組みや体の組成、どのように栄養をとるべきかとかも学べました。筋肉の活かし方なども大学時代に学べたことです。プレー面では高校のレベルとプロのレベルはかけ離れてると思うのですが、その間に大学というワンステップが入ることでプロに近いレベルでプレーできたのは大きかったと思います。実際には大学とプロの間にも2段階はあった感じはしますが、大学サッカーを挟んでおけたというのは自分にとってはよかったかなと思っているところです。

◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣

次回の「あべしょーのKick Story」では阿部翔平選手のプロ初年目にフォーカスしたインタビューをお届けします。筑波大学からいよいよJリーグ・名古屋グランパスに加入し、感じたこと、見えた世界についてうかがいます。どうぞお楽しみに!


監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)

取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)


「あべしょーのKick Story」バックナンバーはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?