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#4 「キックの目盛り」 【あべしょーのKick Story】

阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。第4回の今回は市立船橋高校編の後編をお届けします。

前編はこちら

全国高校サッカー選手権に出場した当時の出来事を中心に、その後のエピローグ的なエピソードも伺うことができました。特にヴァンフォーレ甲府のファン・サポーターの皆さんは必見です!どうぞ、以下のインタビュー(高校生編 後編)をご一読ください!

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自身3度目の選手権

――阿部選手は高校3年生のときに、キャプテンとして全国高等学校サッカー選手権大会に出場しています。 阿部選手はどのような気持ちで第80回大会に臨みましたか?

1年生のときはぎりぎりベンチ入り、2年生のときはスタメンで出させてもらいましたが印象に残るようなプレーができませんでした。
(編集注:阿部選手が1年生のときの第78回大会で市船は全試合無失点で優勝を果たしており、翌年の第79回大会では2回戦で明徳義塾高校にPK戦の末に敗れています)

大会前は下馬評が低くて「狭間の年」みたいに言われていました。春先は特に勝てなくて、関東大会でも負けてしまっていました。なので、自分では優勝を狙えるほど強いチームだとは思っていませんでしたが、夏のインターハイは優勝することができました。インターハイで優勝できたことで、ある程度の自信とともに選手権を迎えることができ、もちろん優勝を狙いました。ただその一方で、自分たちが強いチームではないことはわかっていたので、チャレンジャー精神を忘れることなく戦うという意識で臨みました。

――敗退が決まってしまった3回戦の岐阜工業高校戦について教えてください。

第80回全国高等学校サッカー選手権大会
2回戦 市立船橋 6 - 0 広島皆実
3回戦 岐阜工業 2 - 2 (7 PK 6) 市立船橋

3回戦で当たった岐阜工業高校とは夏のインターハイですでに対戦していて、そのときはギリギリで勝っていました(インターハイ準決勝で対戦し、2−0で市船が勝利)。ただ、岐阜工の片桐(淳至)が勢いにのっていて調子がよかったので、接戦になるだろうと思っていました。3回戦の岐阜工戦がひとつの山場になると予想していて、「ここで勝てば準決勝までは順当にいくだろう」とも話していたほどです。

試合は、その片桐にスーパーゴールもあって逆転を許してしまう展開でした。それでも試合の流れはそこまで悪くはなかったです。僕もクロスの折り返しを受けて、左足でキックフェイントを入れてから右足で流し込んでゴールを決めました。多分そのときはゾーンに入っていたんだと思います。相手DFがたくさん目の前にいたけど、「相手は自分の左足を警戒しているからキックフェイントでかわして、そのときに股があいて、右足でここに流し込めば入る」みたいに思って打ったら本当に入りました。 

選手権から12年後の甲府で

――最後のPK戦で阿部さんは決めることができませんでした。

PK戦で僕は4番目のキッカーで、決める自信はありました。というのも、3人目までGKはすごく早く動いて逆にとんでいたので、落ち着いて蹴れば逆にとぶから大丈夫だと思ったからです。実際にもそのとおり、GKの動きを見て逆側に流し込もうとしました。だけどそれはフェイントで、GKにキャッチされてしまったんです。それ以来「どうしてキャッチされてしまったのだろう」と疑問に思っていました。後にヴァンフォーレ甲府に入って、当時の岐阜工業のGKだった荻(晃太、現ヴィッセル神戸U-15GKコーチ)っていう選手とチームメイトになりました。そのときに「あのときの試合、どうしてあそこに動いたの」って聞いてみたんです。すると「4番目に阿部ちゃんが並んでいたからそこで止めようって思っていて、そこまではエサをまいてた」って言われました。純粋に「くそーっ」って思いました(笑) 相手の手中にハマったわけですから! ただ、そのことを本人から聞けてすごくよかったです。

当時を振り返って

――当時の阿部さんは自分のキックやプレーをどのように評価していましたか?

細かく蹴るよりもリスクを負わないように大きく蹴るキックが多かったかもしれません。裏へのパスやサイドチェンジもこの頃から武器と認識するようになりました。ただ、3年生になるまではキックについては一部しか通用しないと思っていました。それでも3年生になって改めてまわりを見渡したときに、同年代のなかで自分は少しだけ長けているとは感じられたので、全国大会でも自信を持ってプレーすることができました。

――当時の自分に今の阿部選手からアドバイスをするならどんなアドバイスを送りますか?

「遠くに飛ばすキックだけじゃなくて、その他のキックの練習もしなさい」

つまり、短い距離のキックです。当時の自分には「小」か「特大」のキックしかなかったように思います。もっと「極小」だったり、「中」だったりというような、キックの目盛りをつけなさいということは監督にもよく言われていました。「キックの種類を増やしたほうがいい」ということですね。

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次回、5月21日(金)に公開予定の「あべしょーのKick Story」では阿部翔平選手の筑波大学時代にせまるインタビューをお届けします。高卒でプロの道には進まなかった阿部選手。大学での4年間で学んだことについてうかがいます。次回もどうぞお楽しみに!


監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)

取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)


「あべしょーのKick Story」バックナンバーはこちら

阿部翔平 公式YouTubeチャンネル「阿部翔平/Abe Shohei」

阿部翔平 公式Twitter(@abeshohei21)

SHIBUYA CITY FC 公式サイト

阿部翔平(あべ しょうへい)
1983年12月1日生まれ。神奈川県横浜市出身。主なポジションは左サイドバック。横浜フリューゲルスジュニアユース、市立船橋高校、筑波大学を経て2006年に名古屋グランパスでJリーグデビュー。2009年には日本代表にも招集されると、2010年には左サイドバックの主力として名古屋のJ1優勝に貢献した。ヴァンフォーレ甲府やジェフユナイテッド千葉でもプレーしたのち、2019年に当時東京都2部リーグ所属のTOKYO CITY F.C.(現 SHIBUYA CITY FC)に加入。Jリーグ通算355試合出場4得点。

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