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空の教室(小説)

ぼくの学校は新校舎と旧校舎に分かれている。旧校舎はぼくらが普段勉強する教室や職員室があり、先生や生徒は主にこの旧校舎で過ごしている。新校舎は一昨年造られたばかりで、特別教室が入っていた。この学校の生徒はみんな、この新校舎が大のお気に入りだ。

ぼくがいつも過ごしている4年2組も、もちろん旧校舎に入っている。が、今日の3時間目は待ちに待った総合学習の時間だ。4年生の総合学習の時間は主に新校舎の特別教室で行われる。ぼくは一週間ぶりの新校舎での授業に胸が躍った。

2時間目が終わると、特別教室での授業が待ちきれないようにみんな一斉に教室を飛び出す。ぼくも後れを取るまいと立ち上がった。

「コウタ!一緒に行こうぜ!」

教室を出たところでかっちゃんに声を掛けられた。かっちゃんはぼくの一番の友達だ。短く刈り込んだ頭に、夏はいつもタンクトップを着ている。

「うん!」

「よし!じゃあ特別教室までどっちが速く行けるか競争な!」

「わかった!」

特別教室競争に勝つためにはまずはポジショニングが重要だ。まずはなるべく短い距離で渡り廊下まで行けるよう、インコーナーを駆け抜ける。渡り廊下には特別教室へと伸びる長いリフトがある。リフトは横並びに3台。ぼくはインコーナーのまま、1番右のリフトに飛び乗った。少しだけ遅れてかっちゃんが隣のリフトに乗り込むのが見えた。

リフトに乗ってしまえばあとは頂上に着くのを待つだけだ。リフトは台によって若干速さのばらつきがある。でも整備員さんがスロープの摩耗を調整するために定期的にリフトの位置を入れ替えるので、どのリフトが速いかは運次第だ。

リフトはぐんぐん上に昇っていく。窓の外はいつの間にか学校の隣山の木のてっぺんを超え、学校の上に立つ避雷針を超え、真っ青な空を映した。この、空をリフトで駆け上がっていくのがぼくは飛び切り好きだった。

高度が上がるにつれて少しだけ廊下の空気が冷たくなる。それさえもぼくを興奮させた。

左横を見ると、リフトに乗り込んだときには少し後ろにいたかっちゃんのリフトがすぐそこまで迫っていた。頂上まではあと少し。

いけ!このまま逃げ切れ!!ぼくはリフトの手摺りを思い切り握り込んで祈った。後ろからはかっちゃんの「追いつけ追いつけ!」という声が聞こえる。

頂上まではあと10mほどというところでかっちゃんのリフトと横並びになる。かっちゃんはリフトから身を乗り出し、「おれの勝ちだ!」と叫んだ。リフトから今にも落ちそうな様子に、新校舎の入り口に立った先生から叫び声が飛んできた。

「克実くん!ちゃんとリフトに座りなさい!」

ぴしゃりと放たれた言葉にかっちゃんは身を竦めると、すぐに背筋を伸ばしてリフトに座りなおした。そして横目でぼくを見ると、肩を竦めて少しだけ笑った。

結局頂上にはかっちゃんが少しだけ早く着いた。だけどそんなことは関係ない。だってリフトが着いた先には先生が腰に手を当てて待っていたからだ。

「ここは上空1500㎞にあるの。もしリフトから落ちてしまったら怪我をするだけじゃ済まないのよ。空の上に来てはしゃぐのもわかるけれど、リフトは深く腰を掛けてベルトをすること、このルールは必ず守りなさい」

リフトがどんどんと運んでくるクラスメイトが通り過ぎる横で、ぼくとかっちゃんはしっかり叱られた。

「はあい。ごめんなさい」

二人で声を揃えて言うと、ようやく先生から解放された。

新校舎の特別教室はいつものクラスと違い、座席が決められていない。だからぼくとかっちゃんはいつも隣同士で座っている。前から4番目、横に3人座れる長机の左と真ん中に座った。

「空の教室って来るのは楽しいけど、授業だるいよな」

かっちゃんが机に突っ伏しながら呟いた。特別教室に出入りできるのは3年生以上。でもここからの飛行訓練が許可されるのは5年生からだ。それまでは体育の時間に校庭でちょっと浮く練習をするくらい。

浮くのなんて大体2年生にはみんなできるようになるし、校庭で低いところを飛ぶだけなんて、ぼくたちには刺激が足りない。

クラス全員が席について、授業が始まった。今日はこの特別教室が設置されるようになった歴史の授業だ。隣を見ると、まだ授業が始まったばかりなのにかっちゃんはうつらうつらしている。

教壇では先生が片手を腰に当てて話している。

「今から50年ほど前、空に人間が立つことのできる島、通称雲島が発見されたことは前回の授業でお話ししましたね。空に島があるなんて夢の世界のようでした。たくさんの人たちが空と陸を自由に行き来するための機械を開発しました。当時から飛行機やヘリコプターの技術はありましたが――」

横からはとうとうかっちゃんの寝息が聞こえてきた。ぼくだってそんなに眠かったわけではないけれど、なんとなく眠気を誘われて、下を向いてあくびをかみ殺した。

どうにか目線を先生のほうへ向けるけれど、段々と話は頭に残らなくなってきた。

「そして今からおよそ10年前に開発・実用化されたのがみんなも体育の授業で使っているレゼルです。あの羽のような装置を使って――……なりました。――ということで空も人間の住処となったのです。しかしレゼルの扱いは難しく――……」

***

左肩をつつかれた感触がした。はっと目を開ける。左を見るとさっきまで寝息を立てて寝ていたかっちゃんがにやにやとぼくを見ていた。

「寝てんなよ。あとちょっとで授業終わっちゃうぞ」

かっちゃんこそ、と思いながら時計を見ると、授業終わりまであと5分だった。

「――そして警察は陸警察と空警察に分かれることになりました。陸は白バイ、空は白レゼル、白レで見回るようになったのね。今この国の平和はこの2つの警察に守られています」

ちょいちょいともう一度左腕が突かれた。横目でかっちゃんを見るとノートの切れ端を渡された。切れ端には「授業終わったらこっそりトイレにダッシュな」。こっそりダッシュってなんだよと思いながら肯いた。

「では今日の授業はここまで」

日直が号令をかけ、全員で先生に礼をする。

教室がざわざわとし出す。クラスメイトが友達としゃべりながら片づけを始めている。ぼくとかっちゃんはそっとトイレに向かった。

二人で個室に入る。

「ねえ、いったい何するの?」

鼻先がくっつきそうな距離のかっちゃんに問いかけた。

「お前さ、いっつも校庭からの飛行でつまんないと思わない?」

かっちゃんが悪い顔をしながら見つめる。

「この教室、予備のレゼルがあるらしいんだよ。……今日飛んでみようぜ」

「えっ!だってそんなことしたら先生に怒られちゃうよ。それにこの教室だって最後に出るのは先生って決まってるし……」

「大丈夫だって!絶対楽しいよ。それにおれらレゼルのテストいっつも高得点だろ?ミスだって2年生の頃にしかしてないし」

「でも……」

「それに先生だっておれらがトイレにいること知らないんだ。先に帰っちゃうよ。次は業間休みだしね」

「う、うん」

やると言ったら聞かないかっちゃんをそこから説得することはかなり難しいし、ここでびびって弱虫の称号を得ることは避けたかった。

「トイレに残ってる子はいないわねー」

先生の声が聞こえる。ぼくたちはそっと息をひそめて足音が遠ざかるのを待った。

「……よし、じゃあ出るぞ」

かっちゃんがそっとドアを開け、抜き足で個室を出る。特別教室にはもう誰も残っていなかった。がらんとした教室はいつもの楽しい特別とはちがう、不気味な場所に感じる。

「あったぞ!」

教室の入り口でぼうっとしているうちにあっという間にかっちゃんは予備のレゼルを見つけてきたらしい。

「早いね」

「すぐそこの物置に入ってたんだよ。なんだよ、やっぱりびびってんのか?」

「そんなことないって!」

そんなことないは嘘だったけど、気づかれないようにかっちゃんに駆け寄った。

レゼルはいつも使っているのと同じ、羽のような金属の装置を背負うのものだ。右肩の部分にアクセルやブレーキのスイッチがついている。

「はい、これお前の」

手渡されたレゼルを背負う。二人で飛び出し門に向かった。

飛び出し門は教室の東側の壁が大きく開く窓になった場所で、そこから空へと出発できる。ぼくとかっちゃんは窓のぎりぎりに立つと顔を見合わせた。

かっちゃんは少し緊張した顔をしている。きっとそれはぼくも同じだろう。一歩先の空は青く、地上は遠い。

「いくぞ」

かっちゃんが先に一歩踏み出した。負けてられない。ぼくも床を蹴って空へ飛び出す。

一瞬ふわっと浮遊感が体を包む。そしてすぐに急降下し始めた。慌ててアクセルボタンを押す。途端、体がぐんと前進する。いつもの校庭より少し冷たい風が頬を切った。

体が安定してきて、かっちゃんを探そうと首を回し、思わず声を上げた。

「すごい!」

青くて広い空を自分のものにしている。見渡す限り青い空と自分と同じ位置にある薄い雲。遠くに鳥の群れが見えた。

「すげえ!!」

右前のほうからかっちゃんの叫び声が聞こえた。

「コウタ!すげえぞ!」

興奮しきった大きな声は風の強い上空でもよく聞こえる。ぼくはかっちゃんに向かって体を傾け、アクセルボタンを強く押す。

「とりあえず学校見て回ろうぜ!」

ぼくとかっちゃんは横に並び、学校の上を一周し始めた。校庭で遊ぶ生徒が見える。プールは夏の日差しを反射し、きらきらと光っていた。ここから見ると水じゃなくて鏡のようだ。

「あれ?なんかおかしいなあ?」

かっちゃんが声を上げた。ちょうど隣にいたはずのかっちゃんはぼくが校庭を見るのに夢中になっているうちに少しだけ後ろに下がっていた。

「なんだかアクセルの効きが悪いんだ」

そう言うかっちゃんはアクセルボタンを押したり離したりしている。なんとなく悪い予感がして、ぼくは声を掛けた。

「まだちょっとしか飛んでないけど、一回戻る?」

「そうだな」

珍しくかっちゃんもすぐに同意し、特別教室に向けて体を回したときだった。隣にいたかっちゃんの体ががくんと下がる。あれ、というかっちゃんのつぶやきはすぐに叫び声にかき消された。

「うわああああああああ!!」

「かっちゃん!」

急降下していくかっちゃんを追いかけようと体を下に向けるが、授業でまだ急降下は習っていない。もたもたとレゼルを動かしているうちにかっちゃんとの距離はどんどんと離れていく。

「コウタ!助けて……!!」

助けを求めるかっちゃんの声もだんだんと小さくなっていく。このままじゃかっちゃんが死んじゃう!ぼくはぎゅっと目をつぶると一度レゼルのスイッチをすべて切った。大丈夫。かっちゃんの手をつかんだらもう一回スイッチを押せばいい。

そして体を垂直にし、かっちゃんに向かって落下を開始した。離れていた距離が少しづつ近づく。

「コウタ、お前!!」

かっちゃんの泣き顔が見えてきた。あとちょっと。ぼくはもっと腕と体をくっつけ、細長い形を目指した。

やっと腕を伸ばせば届きそうな距離になった。ぼくは目一杯腕を伸ばす。かっちゃんも腕を差し出した。しかし手は握れそうで握れない。指先が掠る。

もう一歩ぐんと手を伸ばしたところでやっとかっちゃんと手をつなげた。

「よかった!」

ぼくは電源スイッチを押そうと腕を伸ばす。しかし風圧がすごくてなかなか押すことができない。少し先に学校の避雷針の先端が見えた。やばい、落ちる。思わず強く目を閉じた。死ぬ!そう思った直後体に訪れたのは強い衝撃。そして次に痛み、ではなくなぜかまた風を切る感触が訪れた。

そろそろと目を開けると誰かの右腕に抱きかかえられていた。見上げると、白いヘルメットを被った男の人の顔が見えた。かっちゃんは左腕に抱えられている。助かったんだ……。ほっとしたら涙が溢れた。隣からも嗚咽が聞こえる。

ぼくたちの泣き声が聞こえたのか、頭上からはため息が聞こえた。

ぼくとかっちゃんは旧校舎の屋上に降ろされた。いつの間にかそこには先生がいて、ぼくらはぎゅっと抱きしめられた。ぼくは泣くばっかりで何を言われたのかあまり覚えていないけれど、助けてくれたお兄さんの「もう無茶はやめてくれよ」という優しい声だけは覚えている。

ぼくたちを助けてくれたのはちょうど空を見回っていた空警察らしい。確かにレゼルは白鷺のような真っ白だった。

ぼくとかっちゃんはそれからすっかり白レのお兄さんに魅了されてしまった。ぼくらの将来の夢は2人で空警察になり、空の平和を守ることになった。白レを目指して今日も地上からレゼルを飛ばす。

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