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虫の話

「ゴキブリが怖い」

という人は結構多いと思うんですけれども。

その中の一人曰くですね。

ゴキブリと遭遇するのと、熊に遭遇するのが同じ恐怖感だと言う人がいたんですね。


私は実際に熊に遭ったことがありますから、

まあ、たぶんこの人は熊に遭遇したことがないんじゃないかと思うんですがね。


私にしてみれば、ゴキブリってのはホントに可愛いものだと思っておりまして。家の中に現れたら、素手で傷つけないように捕らえて外に放してやるんです。

「もう人の前なんかに姿を見せるんじゃないよ」ってね。


友人や同僚なんかとね。時にゴキブリの話なんかになって、私がそんなことをいうもんですからね。

すごいとか、優しいですねみたいなことを言ってくれる人もいるんです。


でも、なにがなにが。

私の子供のころなんてのは、地獄の鬼も裸足で逃げ出すような鬼畜ぶりでしたよ。


今も昔も虫は好きですが、

小学校の三年、四年生くらいかな。その頃の私っていうのはね。虫というか、命というものを全く、自分のオモチャのようにしか捉えてなかったんですね。


ジョロウグモってのがいるんですけどね。木々の間に糸で巣をつくる、クモといったらこういうのというような。


メスがね。特に大きくて。黒と黄色の斑で、糸を出すイボが赤いんですよ。


夏ごろになると、そいつが家の裏手にある雑木林にたくさんいるんです。


最初はね。そのクモの巣に虫を投げ込むのが楽しくて。

クモが凄い速さで近寄ってくるんですよ。それであっという間に糸でぐるぐるーってね。お見事!ってなもんで。


そんなことしてて、クモが身近に感じてきた頃ですね。

なにを思ったか、片っ端からクモを捕まえて、集めて集めて。十匹も二十匹も。でも集めてなにかしようってワケでもないんです。

ただね、当然そうやってるとクモが逃げ出そうとするんですね。

それで、逃げようとするのをコラ!逃げるな!なんてやってるとね。足がもげてしまうのもいる。


そこで、ああ悪いことしたな、ごめんなさいとなればまだ良かった。


私はね。もげた足がピクピク動くのをみて、

ああ。と思ったんですね。


それから、集めたクモの足をぜんぶもぎ取って達磨にしたんです。

まだ息のあるそれらを仰向けにね。ベランダを出たとこに綺麗に横並びにして眺めてました。ぷりぷりとしたクモの腹がね。私のなにかをこう、刺激してくるんですね。


それで、ふと頭によぎったのがアレです。


当時、「虫眼鏡で太陽光を集めると紙が焼ける」という知識を手に入れたばかりで。確か学校の理科の授業かなんかで実際にやったんですね。それが面白くて。もう色んなものにビームかましたくて仕方なかった。


悪い予感がする?

いや、そのまさかですよ。


ええ。ジューッとね。

焼けたとこが縮んで皺になって。窪んでいくんですよ。


クモは文字通り手も足も出ないですね。順番に順番に。隣の仲間が焼かれていくのを感じながら、自分の番がくるのを待つしかないわけです。


それでどうしたって?なんのこともない。飽きたらポイですよ。


まあ、そんな調子でしたね。

ほかにも、蓑虫を剥き散らかして、肉食の昆虫に無理やり食べさせたりとか。

自宅のガスコンロの火に当てて焼き殺したりとか。

蜂の巣にね。ライターとキ○チョールでね。ガスバーナーみたくゴーッとやったりとか。まあ色々と。


気分悪くしたらごめんなさいね。


でもね。そんな悪童にも、命に対する見方を変えざるを得ない瞬間というのが、何度か訪れたんですね。

そういうきっかけをくれたのもまた、虫たちでした。


それは夏休みのある日。

夏といえば虫!虫といえば夏!

無差別殺虫鬼あらため、虫取り少年の私はその日もいつもの草むらを物色していたんですね。

そこには大きなクヌギの木があって。たまにクワガタやカブトムシなんかが捕れるんです。

それで毎日のように見回りしてたんですね。


その草むらの道路を挟んだ向かいにはご近所さんの畑がありました。トマトとか大根、ニンジン、キャベツと。まあ色々ものを育ててらしたんです。


それで、ある程度草むら側の探索も終えたころに隣の畑のほうでも見てみるかって。


葱が植えてありましたね。

その葱の向こうから、カマキリが出てきたんです。

こう、ちょうど私の歩いてる道の延長にトコトコって。


そのカマキリがなにか掴んでるんですね。

近寄ってみると、それはコオロギでした。でかいエンマコオロギ。


それを両手の鎌でギッチィって。コオロギの真ん中あたりが山なりに曲がってて。

そこを食べてました。ミチミチって音が聞こえてくるようでしたね。


私は「すっげえ!でかいカマキリだ!」ってんで最初捕まえようと近づいていったんですね。


ところが。


そのカマキリがね。


ピタッと動くのを止めて、ゆっくり振り向いて

こっちを睨んでくるんですよ。


ハッキリと私と視線が合いましてね。


それはもう、凄い迫力でした。だんだん私の目にヤツがズームアップして映るんですね。


私は怖くなってその場を立ち去りました。


今になって考えると、あれが「畏怖」というものを初めて認識した瞬間だったのかもしれません。

虫は本能だけで生きてて、感情や意思なんてないって言うじゃないですか。アレは嘘ですね。今、私はメチャクチャ意思を感じてますもの。これは騙せないですよ。五分の魂どころじゃないんですよ。


なんというか、あの小さな虫の脅威が、自分の命に届くという感覚。姿形によらず、自分の命も小さな命も等しく同じ命なんだという感覚。これはなかなか言葉には表せないですね。


そういう意味では、最初のゴキブリの話ね。ゴキブリが怖いというのも分かる気がしますね。


甘くみていた。舐めていた。

あいつらは友で、強敵で、好敵手なんだって体感で理解したんですね。



それで、そのカマキリだけではなくてね。


或いはそれはイモムシでした。

庭の垣根にそいつはいました。


白くて、どでかいイモムシ。尻のとこにアンテナみたいなツノがピンと立ってて。だからあれはスズメガの一種だったんでしょうね。肌がスベスベしていて、実に愛らしい。

私、そいつが何の幼虫なのか凄く気になったので、育ててみることにしたんです。


育て方もよくわかってないもんだから、大きめのプラケースに土を敷いて。そいつがついていた木の葉っぱを採ってきて。


そうやって観察し始めたある日。

そいつがいなくなったんです。


もちろんちゃんとフタしてますからね。イモムシが脱走できるワケもないんです。フタの裏にも枝葉の陰にもいない。


…となると土の中か?


私、その時まで蝶や蛾の類いの幼虫が土に潜るという認識がなくて。みんなキアゲハやモンシロチョウみたいに地上でサナギになるもんだと思ってたんですね。


それで、半信半疑で土を探るんです。素手で。

土の中に白いものが見えて。

アッ!いた!って掬いあげようとしたその時。


ビックンビックンってね。

凄い勢いでそいつがのたうちまわったんです。

指先にその扇動が一瞬で伝わってきたところで、言い知れぬおぞ気が身体を走り抜けました。


もうね。うぎゃあああってね。無我夢中でプラケースの中をひっくり返して。土ごと元の場所に返してきましたね。


あのときも生命を如実に感じ取った。


あとはそう。

いつもの遊び場の一つに大きな公園があって。そこは大きな人工の溜め池と隣り合っているんですね。

たくさんの遊具と林があってね。竹林も。いつも新しい発見に事欠かない場所でした。


そこにビオトープがあるんですね。大人の膝上くらいの深さの沼に、桟橋みたいな歩道が掛かってる。


そこに野グソしたことがあるんですよ。我慢できなくなっちゃて。こう、浜みたいになってる沼の縁のほうでね。


それで、その翌日もその公園で遊んでたものですから。気になるじゃないですか。

「昨日のうんこどうなってるかな?」って。

ふふふっ!ふひひー!ってね。妙に高揚した気分で走って現場に駆け付けたワケです。


あった!あった!って。

異様な臭気を湛えたそれが、まだそこにありました。


みると昨日のホヤホヤの状態となにか違うんです。全体にハリがなくなって、少しグズついている。

それで、所々にね。窪みというか、穴が空いてるんですよ。


私、「おお、こうやって土に還るのか」って思って。近くにあった指先くらいの短い小枝でもってね。つっついたんですよ。


還りたまえー還りたまえーって。 


そしたら。


うんこの穴という穴から無数の生白いウジ虫がぞわわわわーーって。一斉に。


その中のいくらかが、ぴちんと跳ねてね。

私の手に触れた気がした瞬間、我を失いました。


もう声も出ません。


うう、とか


ひぎ、とか


そんな声にならない音が叫びに変わったときには、無心で兄のTシャツに手を擦りつけてました。

遠くにいて何も知らない兄はキョトンとしていたように思いますね。


自分のうんこってなんか愛おしいじゃないですか。

かつて命だったメシが、自分の中を通って出てくる。

それは自分の一部というか、分身のように感じるところもあるんですね。

オオカミがね。そう。オオカミって。自分のうんこの上でゴロゴロとやってはしゃぎまわることがあるんですがね。その気持ちもよく分かるんです。

まあともかくそれが、一晩のうちに得体のしれないものの巣窟になってる。


なんともいえんですよ。強いて言うなら、死というものが脳みその中を駆け巡ったんです。理解しました。自分もいつかはこうなるって。



まあ、それからもそんな調子でね。

虫たちは私のなかに強烈ななにかを刻み込んでゆきました。


そのおかげでしょうかね。

いまでは、小さな虫も、植物も動物もすべてがそれぞれに一生があって、それは自分の人生と同じなんだと。命に大きいも小さいもないと。

それらに確かな繋がりをもってね。感じられるようになりましたね。


雨が降った翌日に干からびそうになっているミミズを通り道で見かけたら、木陰のね。柔らかそうな土の上にもっていきます。


むやみに蚊を叩き潰したりもしません。

でも私の血を吸ったのなら、

それは潰される覚悟があるとみなして全力で闘いますがね。そう、闘いなんですね。私も殺されるかも知れないというつもりで。

それでもまあ、大抵は見逃してあげます。お母さんですからね。蚊がたくさんいるのは豊かなことですから。


それと、

なぜか道を歩いていると、よく動物の骸をみつけるんでね。それにいつ出会ってもいいように、割り箸とビニール袋をいつも携帯しているんですよ。

それで土の上とか、ひっそりと還れるような場所に移してやるんですね。


そう。

でもそういうのは優しいとか、立派だとか、そういう大げさなもんじゃないんですよ。


長くなりましたが、

まあそんな話です。

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