プロ選手を目指したキッカケ③

〜前回のあらすじ〜


○香川がb jリーグに参戦
○中学最後の総体
○後輩の存在
○ある人の出会い

がキッカケでプロ選手を目指すようになった。

詳しく読みたい方は1、2を読んでみてね。

今回がラスト!

○スキルコーチの存在

プロを目指そうと思ったキッカケで大学時代に出会ったスキルコーチの存在が非常に大きい。

前回、僕を大学に推薦してくれた方の繋がりでそのコーチとは出会った。

そのコーチは、実際にアメリカに行き、プレイヤーも経験しながら、本場のワークアウトを勉強していた。
日本に帰ってきてスキルコーチがまだ浸透していなかったため、自身が先駆けとしてワークアウトを広めようと行動していた。

そんなコーチが、僕の所属していた大学にスキルコーチとして教えてくれることになった。
僕が大学2回生の時だ。

そのコーチが来るまではワークアウトという考えもなく、チーム練習か筋力トレーニングしかしていなかった。

教えてもらい始めは、2ボールでのチェンジすらままならなかった。
またワークアウトをキチッと2時間するだけでヘトヘトになっていた。

あまりの出来なさというかレベルの低さにコーチは相当頭を抱えていたと思う笑

あまりの出来なさに腹が立ったのと、新しいことを学んでワクワクしたのを覚えている。
それからは授業が無いコマに体育館に行ってひたすらワークアウトをやって、一つ一つ出来てくる喜びを感じていた。

そのコーチは常日頃から「プロ選手はこう」ということを口にして指導し、目指すならばこれくらいはやらなければならない、こうなっていくべきということを教えてくれた。

それがキッカケでプロ選手になろうと自然に思うようになった。

○Bリーグが誕生する

最後のキッカケであるが、僕が大学4回生になり進路を考えていた時である。

その時僕はいろいろと進路をかんがえていた。

•就活をして会社に就職
•教採を受けて教員の道へ
•バスケが出来る実業団へ
•大学院に行く
•プロになる

この5つが候補だった。

そう考えていると、当時はプロリーグが2つあって問題となっていたN B Lとbjリーグが統合してBリーグが出来るという話が舞い込んできた。

それを聞いて、このタイミングでできるのは何かの縁と思い、Bリーガーになることを決意した。

しかし、Bリーグに入るにはトライアウトないしは推薦がなければ難しく、
トライアウトは卒業してからじゃないと受けられなかった。

そのため、プー太郎よりも大学院に進学してトライアウトを受けた方が良いと判断して、大学院に行きながらプロ選手を目指した。

大学院の2年間でトライアウトに受からず、プロ選手になれなければ諦めるという条件で両親からは認められた。

無事にトライアウトに受かってプロ選手になることが出来た。

以上がプロ選手を目指したキッカケです。

長々と書きましたが、全て読んで頂いた方はありがとうございます😊

次回はプロ選手になってからの生活を書こうかなと思います。

また楽しみにしていてください。

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