(I Can't Get No) Satisfaction――大江健三郎追悼

※初出/『群像』(2023年5月号)

 バイトテロだの寿司テロだのが社会問題化してひさしい。無謀な若者らによる炎上動画が世間をさわがせるたびに、スマホだのSNSだのが普及したこの高度情報化時代に一〇代や二〇代じゃなくてよかったと心から思う。仮にいま一五、六歳の年ごろだったら、絶対に自分は自己顕示欲を満たすべく率先してしょうもない迷惑動画を撮りまくり、喜々としてTikTokだとかに投稿していただろうと確信しているからだ。
 いい歳をして昔は悪かったアピールがしたいわけじゃないので今さらこんな打ちあけ話をするのはまったくもって恥ずかしいかぎりだが、社会なるものに対し迷惑行為を働くのになんの躊躇もおぼえなかった時期が自分にはたしかにあったことは否定できない。かといって、非行化とかグレているという感覚などは希薄だったし毎度特定の対象めがけて反抗していたつもりもない。特段の理由もなくあたりまえのようにフラストレーションをかかえてはいたものの、どちらかというと当時のあれは、社会軽視の意識が妙に強まりすぎていたがゆえのいたずら心に端を発する狼藉だったのではないかとかえりみている。
 いずれにせよそういう人間にとって、純文学というジャンルは学校の教科書と大差ないあくびを誘う代物でしかなかった。お勉強のために一箇所にあつめられ、強制的に読まされなければこちらの人生と関係することのない、道徳を説くばかりのくそつまらない本だろうと見なして背表紙いがいは眼中に入れなかった。そんなわけでわたしは二〇くらいの歳になるまで、時間の無駄だと思い漫画をのぞく本をろくに読んでこなかった。読みとおしたことのある純文学など、デヴィッド・ボウイの影響で手にとった三島由紀夫の数作だけだ。
 大江健三郎がすべてを変えた。無知蒙昧な映画専門学校生に大江はとんでもない錯覚をあたえ、ただちに頭を入れかえろとけしかけてきた。初期の一短篇があればじゅうぶんだった。学校で出あった刺激的な友人に勧められ、短篇集『空の怪物アグイー』を町田の有隣堂で購入し、文庫本のいちばん目に収録された「不満足」を読んだことが決定打となった。のめりこまずにはいられないというほどの読書体験を持つ人間からすればきっとめずらしい話ではないはずだが、ここにはおれのことが書かれていると思ってしまったのだ。
 朝鮮戦争のただなかにあり、警察予備隊が創設された頃の状況が説明されていることから、「不満足」で物語られているのは一九五〇年の夏か秋口あたりの出来事だと考えられる。教科書的な解釈を述べれば、そこで描かれているのは少年期との決別﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ということになるだろう。また、当の少年期﹅ ﹅ ﹅がいかなるものとして作中で示されているのかといえば、無軌道かつ無責任な脱社会的暮らしぶり﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅であると要約できる。すなわちひとりの若いアウトサイダーが秩序にしたがい、自覚的に責任をひきうけるまでを提示したところで作品は終わる(そしてこの筋だては『個人的な体験』にひきつがれて拡大展開にいたることになる)。
 主たる登場人物は、年齢がばらばらな三人組の不良だ。「不満足」は二部形式で構成されており、「1」は「僕」の一人称でつづられ「2」は三人称一視点が採用されている。三人組の最年長者は「バード」なる渾名で呼ばれる「二十歳」の男であり、主人公にあたる彼が「2」の視点人物としてふるまっている。年少者のふたりは「僕は十六歳で、菊比古は十五歳」と紹介される――ちなみに「僕」は過剰なまでの恐怖心の持ち主だ。「定時制高校のおなじクラスにいた」縁で仲間になった彼らに卒業の機会は訪れない。教師には「生れつきの不良青年」と目され「夏休前」に「下級生の女の子」に対する「暴行犯」の濡れ衣を着せられ退学処分を受けた「バード」は現在「漢方薬店」で働く身であり、年少者のふたりも在日米兵に出征拒否をうながすビラくばりをおこなったことを理由に警察につかまり学校をやめさせられるのが確実な状況下にある。
 実際の高校中退者であり警察沙汰のへまも何度かやらかしてきたわたしがまずこの設定に惹きつけられたことはまちがいない。作品をとおして描かれる三人組それぞれの無手法なメンタリティーや行動にもところどころこちらの実体験とかさなるものがあり、随所で一〇代の記憶を呼びおこされるうちシンパシーが暴走し、おれのために書かれた小説だこれはという錯覚が強まっていった。
「トラックのライトのなかへ黒いカマキリのような細い影になって自転車をつっこんでゆき、トラックの流れを混乱させた。菊比古と僕とは上機嫌でバードにしたがい、咳をするようなクラクションの嵐のなかを酔っぱらいのようにくねくねうねって鋪道を横切った。まだバードが僕らの同級生だったころ、この遊びは僕らの学校での流行だった」
「こんな無意味で危険なだけの、つまらない遊びをつうじてだけ、ポンポン小さく爆発して内部の圧力を整えるのだ」
 愛媛県出の大作家が二七歳当時にしたためたこれらの文章をたどるたびに、山形県出のドロップアウト経験者はしたたかにうちのめされていった。かくしてわたしは、自分の人生との関連性を見いだせる純文学が存在している事実を認識し蒙を啓かれたわけだが、そんなありふれた話よりはるかに意義ぶかい衝撃として脳裏にたたきこまれたのは作品そのものの放つすごみであり、小説という表現形式にそなわる価値転倒と無際限な時空間造形の可能性だった。
 初読から三五、六年が経ったいま再読してみると、「不満足」という作品の重要性が以前にも増してありありとわかってしまっておそろしい心地になる。初期代表作でありその後の作風を決定づける『個人的な体験』へのバード再登場もさることながら、『万延元年のフットボール』につながるこんな一節がふくまれていたことに気づいて戦慄をおぼえた。
「かつてこの城山の小さな城がこの地方の政治権力を代表していたころ、僕の祖父は百姓一揆の指導者をだまして裏切らせ孤立させたうえで殺し、そして城主から拳ほどの金の亀をもらった。僕はその祖父を恥じて、バードにも菊比古にもそれを話したことがなかった」
 そろそろ紙幅がつきるのだが、それにしても、かつて「不満足」をかかえて「無意味で危険なだけの、つまらない遊びを」くりかえしていた男が小説家になり、こうして大江健三郎の追悼文を書いている現実が信じられない。文学による世界の変革などもはやかなわぬ夢にすぎまいが、小説がひとりの人生を変えることはできる。少なくともわたしは大江を読んでそうなった。しかし肝心なのはつねに変化のあとなのだ。果たして自分はバードのごとく「大人たちの朝」をむかえられたのか――いつまでもこの自問自答をおこたってはならないと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?