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マックと吉野家復活のわけ

一時はどん底をみたマクドナルドが復活している。20年3月の既存店売上高は新型コロナウイルスの影響で52カ月ぶりに前年同月比マイナスとなった。しかし、裏を返せば、実に直近51カ月間も売り上げが伸び続けていたことになる。


 この成果は現CEOのカサノバ氏のハンドリングがうまく出来ている証しだろう。カサノバ氏は大学を卒業してカナダのマクドナルドに就職。まさにマクドナルド一筋に生きてきた。マックの強みも弱みも肌感覚で知っている。


 カサノバ氏の前任は、全く畑の違うコンピュータ会社から転身した原田泳幸氏だった。就任期間は04年から14年である。原田時代のマックの業績を見ると、前半から中盤までは好調に伸ばし、終盤はガタガタと崩れた、という経緯であった。


 原田氏の経営目標は一言でいうと、いかに与えられた資源を活用して収益を最大化するか、である。最初のうちは100円マックなどがデフレ時代の消費者の感覚に受け止められヒットし、その陰で他の商品は値上げして単価の引き上げに成功するなど順調な経営だった。


 一方で社内にはKPI(重要業績評価指標)と呼ばれる経営手法を導入。この指標を引き上げることが目的となり、数字ありきの経営の色が濃くなる。商品戦略でも、後半は客単価引き上げのために1000円バーガーを売り出したり、客の支払いから受け渡しまで1分を過ぎると無料券を渡す、といった集客策が失敗。現場が対応しきれずに、とにかく早く出そうとするため商品の出来栄えが落ちるなどの混乱を招いた。原田時代に、上意下達の社内風土が醸成され、創業期を支えた多くの社員が辞めていった。


 直営店がほとんどだったマックで、直営店のFC店転換も進めた。FCにすれば本部に安定的な収益が入り、販管費は下がる。だが、一方で本部の商品や品質管理の目が届きにくくなる。食の安全とおいしさを追求する外食にとって、FC化はもろ刃の剣なのである。


 マックが直接の経営危機に陥ったのは、中国の賞味期限切れの鶏肉の使用、商品への異物の混入などがきっかけだったが、そうした問題が起こる根幹の原因は社内にも内在していたといえる。


 14年に火中の栗を拾う形でCEOに就いたカサノバ氏が手掛けたのは、劣化が進んでいた各店の店舗改装だった。商品の注文窓口と受け渡し窓口を分けることで待ち時間を短縮するなど、消費者の利便性や居心地の良さを向上させた。

また、従業員の働き方のマニュアルを徹底的に改善した。マンガや動画まで駆使して、どういった場合はどう動けばいいのか、をわかりやすく身につけさせる。原田時代に忘れられがちだった商品とサービスの向上、従業員の働きがいの向上などに地道に取り組んだ。


 原田氏のような、いわゆる「経営のプロ」は、プロである以上就任した企業の利益の最大化を求めるのは当たり前である。しかし、異業種から落下傘のように降ってくるために、本当の末端の現場はなかなか理解できないのではないか。


 ここで僕が思い出すのが、吉野家の安部修二社長である。安部氏は、吉野家のアルバイトから社長にまで上り詰めた、まさに吉野家一筋の人であった。

1899年創業の老舗に大きな危機が訪れたのが2003年末。牛丼の主原料である米国産牛肉で、BSEの問題が発覚し、安全のために全量輸入禁止となる。


 原料がなければ看板メニューの牛丼は出せない。すき家や松屋など他のチェーンは、輸入が出来る別の国から調達し牛丼の販売を継続した。しかし、吉野家は「当社牛丼は米国産の原料ではないとおいしさが保てない」として、06年に輸入が再開されるまで代替品の豚丼で乗り切ったのだ。


 当時、安部社長は、「他社ができるのに吉野家だけができないはずがない。危機に対して何も手を打たないのは経営者失格ではないか」と散々たたかれた。

それでも、安部社長は頑として譲らなかった。自分がアルバイトのころから出している商品の味と品質に格段のこだわりがあったからだろう。


 今の吉野家の人気は、このときの安部社長の判断が支えていると僕は考えている。食、という仕事は、数字だけでは測れないのではないだろうか。

ちょっと笑えてちょっとエッチなエッセイ

ぷちえっちぶちえっち

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