This is who I am.
今日は数年ぶりにブリーチして、ヘアカラーをした。ベージュブラウン系統の色を入れて、めちゃくちゃちゃんと入ってくれた。大満足!
勢いで入れてしまった?入れたのだが、テンションはさほど変わらなかった。
いつも通りに感じる。
明日職場へ行き、周囲の反応を見たり聞いたりしたら多少上がるのかな。
元々ストレス発散でイメチェンをした。
髪型を定期的に変えないとやっていけない性格なのだ。
なぜか、昔からそんな気がする。
中学高校は、野球部に入ってたので、坊主だったからその期間はほとんど変わらなかった。
でも、3年生になって引退してからは色々変えてたか。
なんせ、ストレスや感情が外面に出やすいんだと思う。いい例が、髪型やファッション。
ファッションは最近全く疎いが、髪型は相変わらずコロコロ変わる。
悪い例だと、表情や態度に出やすい気がする。
相手がいる場合は、その人への接し方も変わる気がする。でもこれは人間なら仕方ないのでは?と割り切ってるし、みんなも気づいていないだけで誰しもあることだと思っている。
でも内面に溜め込むのが嫌という意識は強い方だと思う。
内側にずっと留めておくのは、健康上良くないと思ってしまう。
「外に向けて、周囲にストレスを与えるのはもっといけない!」
という方もいると思う。
でも少なからず誰でも周囲に影響は与えているよ。
「でも意図的にやるのはどうなの?」
という方々へ、決して意図的ではない。
相手がいればもちろん自然に気は使うし、周囲からどう見られているかは別に気になります。
だから、バランスはそこまで偏っていません。
そう前置きした上で、私の大好きな海外ドラマ「Gossip Girl」にて、主要キャラクターの"Chuck Bass (チャック・バス)"の言葉が結構良かったので引用しておきます。
"This is whom I am. (これが俺だ)"
海外ドラマや洋画をよく観るのだが、そこでは、
"who I am."や"who you are"がめちゃくちゃ重要とされている。
これは名前を尋ねているわけではないし、記憶喪失になっている場面でもない。
自分がどういう人間か、ありのままのあなたが大事、みたいな意味合いでよく使われている。
自分はあまり深く考えないタイプだが、この
「who I am」
は結構意識している。
誰に、どのように、なりたいかよりは、
自分はこういう奴だ、自分はこういう人間だ、
と主張するそしてそれを全うすることが大切です。自分にとっては。
海外では宗教や聖書、神話からそういうマインドがあるのかな。
英語を学ぶ過程で海外の文化に触れ、最もためになったマインドである。
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