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今日、ロール・モデルに出会えたかもしれない

たまに「いま大学に入るなら or 博士過程に進むなら、どこにいく?」と雑談することがあった。

いつも明確な答えがなく、出身研究室や情報技術系の分野を挙げていた。
でも、答えが見つかったかもしれない。
ドミニク・チェン研究室だ。

『未来をつくる言葉 ―わかりあえなさをつなぐために―』を読んだ。

この10年くらい、僕がモヤモヤと感じていた「こういうことができたら理想。これができたらいい」というのが、ここまで明晰に記された本は他にないだろう。僕は仕事の目標として

・みんなが幸せになるモノサシをつくる
・情報化で失われたものを、データを起点に取り戻す

を掲げてきた。これまでの4回の転職も、将来的にこの2つを達成できそうかどうかの観点が含まれている。

だが、この2つは説明が難しかった。「情報化で失われたものって何?」「みんなが幸せになるってどういうこと?」については、狭隘で感覚的な話しかできなかった。

でも本書は、僕のその感覚を言い当て、拡張してくれた。そのうち、ドミニク先生の言葉を咀嚼し続けて、自分なりのアレンジを加えられたらと思う。けれど、しばらくは、本書の言葉をそのまま答えにしそうだ。

以下、本書からの引用を羅列していく。強調部分は僕が勝手につけたものだ。

情報化で失われるものとは

ざっくり現代の情報理論の前提として、

今日のインターネットの通信技術はシャノンが作り上げた情報理論に支えられているといっても過言ではない。シャノンの情報理論では、コミュニケーションの目的は正確な情報の伝達にある。そこでは、不要なノイズや冗長な内容は除去されるべきものとして見なされる。シャノンは確率論に基づいて情報を定義し、与えられた情報のなかにどれだけの予測可能性が含まれているかで情報量を評価した。

がある。また、その流れで、計算機を設計・製造して、経済活動をも規定したフォン・ノイマン型のシステムもある。で、このシステムは

定量化される情報単位に基づくフォン・ノイマン型のシステムは他律的であるとヴァレラは考えた。意味や価値、そしてルールは外から「指示」され「表象」されるものであって、自ら生み出すものではない。情報同士は精確に比較され、入力と出力が区別される。

という流儀に則っている。で、この2つの「情報化」は、凄く現実で役立っている。ただ、潜在的な問題として、

機械的知性そのものが人間の脅威になるのではない。最終的には、他者を機械的に制御可能であると人間が考えるほどの脅威は他に存在しない

がある。

つまり、限られた情報の世界では、その中で結果は白黒つくし、事象はコントロール可能なものと見なされる。けど、それを勘違いして、現実世界でも同じように適用してしまうと、色々危ない。例えば投資判断で、人工知能の判断だけを盲目的に信じると、素晴らしいアイディアを拾いにくくなるだろう。

情報化で失われたものを取り戻すとは

で、フォン・ノイマンのように、社会実装できなかったけど、同時期に、別のことを考えた人たちがいた。「情報は予測できないものを生み出すもの」と捉えた人たちが実はいたのだ。例えば

他方で意識の次元に取り組んだベイトソンは、人間や動物といった生命的な主体のコミュニケーションを考えるなかで、「情報とは、差異を生み出す差異である」と定義した。
機械同士なら結論の優劣だけを比較すればよいが、生命的な関係では、結論に至るまでの相互理解を育む必要がある。ベイトソンの思想は、情報技術に触れ始めた自分にとって、生命の主観的な価値と情報の概念を結びつけるための接着剤として機能したのだ。
ウィーナーの思い描いた生命的な認識論に基づくシステムは自律的なものだとヴァレラは考えた。そこでは、ベイトソンのように情報を「差異が生み出す差異」として捉えられ、意味やルールは予め与えられるのではなく創発する。創発とはシステムの作動の結果、ある秩序が生まれることを意味するが、それは基本的に予測できない。このようなシステムにおいては、アナロジーや相同といったゆるやかな整合性によって情報同士が関係を結び、システムに固有の文脈を作り出す。

そしてドミニク・チェン先生は、そうしたことを踏まえながら、

わたしたちは、日常的に使っている言葉だけではなく、使う技術によっても、個としての世界の認識の仕方、そして他者との関係の築き方が変わってくる。重要なのは、言葉も技術も所与のものではなく、目的に応じて作り変えることができるということだ。20世紀を通して情報技術を発展させた技術者や科学者たちは、人の知性を増幅させることで平和な世界を築けると信じてきた。しかし、わたしたちはむしろ他者と関係する方法を探るためにこそ、情報技術を活用するべきではないだろうか。

と訴えている。僕も、コントロールできないゆえの豊かさ、を表現できるように情報を捉え直し、活用することができたらいいなと思う。

具体的な事例

上記の思想を反映しながら、ドミニク・チェン先生が開発したものとして「タイプトレース」がある。

しかし、パソコンとインターネットが普及し、キーボードで文章が書かれることが主流となった今、書き手の身体的な痕跡を見る機会はほとんどなくなった。『タイプトレース』はそんな現代にあって、「デジタルデータの筆跡」を作り出すソフトとして作った。このソフトを使って文章を書くと、時間に沿った文章の変化が全て記録される。そのデータを再生すると、予測変換候補を選ぶ状況、書いた文を削除する様子、次に何を打つかを考えている間などが可視化される。
文章が一打鍵ごとに再生される様子を見ていると、まるで今この瞬間にその文章が生成されている錯覚を抱く。この時、デジタルデータであっても、生命的な存在感を伝えることができるのだという実感を得た。

あるいは「Nukabot」。

ぬか床の内部に、インターネットに常時接続したセンサー類を差し込み、音声認識と発話のシステムを内蔵した、ぬか床ロボット「NukaBot」を開発した。NukaBotは、スマートスピーカーのように、人の質問に答えてくれる。たとえば「調子はどう?」と聞けば、クラウド上のデータベースに集積されたセンサーからの値を基にぬか床の発酵状態を計算して、「いい感じ」「まずまずだね」などと、音声で返事をしてくれる。また、最後にかき回してから一定時間が経ち、乳酸菌以外の菌類が増えてくるのを察知して、自分から「そろそろかき回して」と周囲の人に呼びかけを行う。
そして、NukaBotならではの機能として、共に生活している人間の味覚の好き嫌いを学習する、という点がある。漬けた野菜の味について、「今日は美味しかった」「いまいちだった」というように伝えると、その時々のぬか床の状態と、同居している人間の味覚の相関を学んでいくのだ。普遍的な「美味しさ」を数値的に決定するのではなく、NukaBotと暮らす家庭ごとに独自の「美味しさ」が醸成される。

こうしたプロダクトを、僕もビジネス場面で生み出して、社会で実践したい。ドミニク・チェン先生も、大学から社会に出たとき、

情報技術の社会的影響について大学で研究するだけではなく、社会の現場で実践したいという欲求に抗えなかった

という。

僕はまだ実践の途上にある。現代の情報の捉え方、扱い方に一石を投じるような何かを残して、いつの日にかドミニク・チェン先生に会えたらいい。

僕はこれまでロール・モデルというべき人に出会ったことはなかったけど、今日、出会えたかもしれないと思っている。その思いをここに記しておく。

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