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政治家による「危機の認識」


1. プリペアドネス(準備)の難しさ


「まず『危機がある』と認識をすることから政治課題が始まる。」

最近、私が敬愛する国会議員が言っていた言葉である。

2021年12月半ばまで放送されたドラマ『日本沈没-希望のひと-』が一貫して描いたのは、「プリペアドネス」(危機に向けて準備すること)の難しさだ。

大地震の兆候を検知した偏屈な地震学者・田所博士が唱える「関東沈没説」を暴論だとして、日本政府の政治家や官僚たちが全否定することから物語は始まる。

関東沈没の確率が50%という田所博士の予測に対し、里城副総理は、「なかなかお上手だ。仕掛けも大きい。実によくできたフィクションだ」と取り合わない。

さらに、田所博士と同様に関東沈没の危機を認識し、その対策の重要性について「やると決めて取り掛からなければ、間に合わなくなります」と周囲を説得する主人公・天海啓示(環境省官僚)に対しては、「いつ起こるかわからないことのために自衛隊は動かせません」「何にしても信憑性がなさすぎて、まだあまり大袈裟にはしない方が」と、官僚仲間達が否定する。天海は反論する。

大袈裟で何が悪いんですか!過去にも初動の遅れで危機を大きくした例を、皆さん見てきたはずです。後手に回っちゃ何の意味もないんですよ!

ドラマ『日本沈没-希望のひと-』

2. 危機への対処の初手 -認識-

社会における危機を鋭敏に察知し、その存在を認識すること。危機への対処はそこから始まる。

ただ、たった一人の人間が危機を認識するだけでは意味がない。そのような認識を大勢の人々と共有できることで、初めて危機への対処が動き出すことになる。

しかし、「危機がある」と他人に認識してもらうことは、実際には容易ではない。危機とは、多くの人にとって「不都合な真実」だからだ。危機が来るとは確証が持てないし、信じたくもない。

その不都合な真実を受け止めてもらうためには、粘り強い説得が必要である。しかし、それが逆に「大袈裟に危機を煽っている」と白けた目で批判されてしまう場合もある。

これこそが、危機管理における「プリペアドネス」の難しさだ。

天海は、日本の国土沈没という危機を認識し、それに向けたプリペアドネスを促進するため、記者と巧みに連携したり、海外の権威ある学者を使ったりするなど、あらゆる手を使って政治家や官僚仲間の説得を試みた。

不都合な真実を「危機」だと認識してもらうためのこのような活動は、日本沈没というフィクションの世界の中だけで起こっている話ではない。

3. 不都合な真実

アメリカのクリントン政権時の副大統領で、民主党の大統領候補として共和党のブッシュ大統領と大統領選挙を闘ったアル・ゴアは、自ら世界中を飛び回り、気候変動という不都合な真実を「危機」と認識することを長年に渡って説いてきた。

その様子を描いたドキュメンタリー映画『不都合な真実』(2006年)は、気候変動という危機に対するプリペアドネスの重要性を人々に認識してもらうために奮闘するアル・ゴアの活動の記録だ。

アル・ゴアは言う。

心ある政治家たちは、民主党にも共和党にもいるが、この問題を敬遠している。一度問題を認めてしまうと、大きな変革を実行するための道義的責務から逃れられなくなるからだ。

映画『不都合な真実』(2006年)

そして、『トム・ソーヤーの冒険』を記したアメリカ人の小説家マーク・トウェインの以下の言葉を引用して警鐘を鳴らし、「危機がある」と認識することの重要性を説いた。

問題は、無知であることではない。知っているという思い込みだ。
(What gets us into trouble is not what we don’t know. It’s what we know for sure that just ain’t so.)

映画『不都合な真実』(2006年)

ドキュメンタリー映画『不都合な真実』(2006年)から10年が過ぎた頃、続編『不都合な真実2:放置された地球』(2017年)が公開された。

その中では、2015年12月にパリで開催された第21回 国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)を舞台に、気候変動という事象に対する各国政府の「認識」の差異(温度差)と、2020年以降の温室効果ガス排出削減等のための新たな国際枠組み「パリ協定」(Paris Agreement)を巡る国際政治・外交交渉が描かれている。

危機への「認識」には、各国間で未だ大きな隔たりがあり、それを乗り越えていく困難と、そこに挑戦する政治家の情熱を感じ取ることができる。

4. 政治家の「認識」とアクション

昨今、我々は、気候危機に加えて、感染症という危機を認識することになった。

2020年から始まった新型コロナ危機は、感染症危機に対するプリペアドネスの重要性を人々に認識させるには十分過ぎるほどの衝撃だったが、感染症危機に対する日本と世界のそれまでのプリペアドネスの程度はどうだったのだろうか。

私はこの10年強、感染症危機へのプリペアドネス活動に関与してきた。しかし、危機に対する認識が必ずしも広く社会に共有されていたわけではなかったように思うし、多くの方々が関与する裾野の広い分野ではなかった。

要するに、ニッチな分野であったと言えよう。

しかし、2021年9月の国連総会でグテレス国連事務総長が各国に訴えたように、多くの方々が危機の存在を認識する今こそ、感染症危機も気候危機も、そのプリペアドネスを促進する必要がある。

新型コロナ危機と気候危機は、社会として、そして地球としての深刻な脆弱性を露呈させました。
(COVID and the climate crisis have exposed profound fragilities as societies and as a planet.)

アントニオ・グテーレス国連事務総長演説(第76回 国連総会、2021年9月21日)
第76回 国連総会で演説するアントニオ・グテーレス国連事務総長

ドラマ『日本沈没』では、幾度も幾度も妨害にあいながらも説得を続ける田所博士や天海の奮闘の末、ついに、最大の抵抗勢力であった里城副総理が「日本は…沈むんだな…」と危機の存在を正面から認識するシーンは、涙なしには見られない。

しかし、冒頭に紹介した我が国の政治家のように、危機の存在を自ら認識し、それを克服するための「プリペアドネス」に向けたアクションを起こす政治家や官僚が沢山いれば、日本はより危機に強い国になり、多くの国民の命が救われるのではなかろうかと思う。

我が国は、地震に始まり、原発事故、豪雨などの気候危機に関連する自然災害、感染症危機など、様々な危機に見舞われる社会である。

個別の危機に特化した部分最適の「タコツボ型危機管理体制」では、効率が良くない。

我が国の政治家や官僚は、あらゆる危機に対処するための国づくりを進める必要がある。それは即ち、あらゆる危機に一元的に対処することのできる統治機構・法体系を構築することである。

私はそれに、取り組みたい。

国会議事堂

以上

小説『日本沈没』に着想を得た論考は、以下もご覧ください。


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