「誰もボクを見ていない」を読んで

川口で発生した祖父母殺害事件。
悲惨な事件が起きるまでの、壮絶な家庭環境を描きながら、
こういう家庭は他にもあるはず、こういう子供は他にもいるはず、ということを訴え続けている本。
何から何まで信じがたい日常の果てに、信じがたい事件が起きた。
私が感じている世間、見えている世界が、いかに狭くて偏っているかを痛感し、衝撃的だった。

数年前、私はひとりの、小一の女の子のことを好きになった。
この本を読みながら、その子のことがずっと頭から離れなかった。

私の判断では、その子は天才だ。
小一にして妹弟がたくさんいて、お父さんは3人目だった。
初対面のとき、私にまず「好きな人いる?」と聞いた。その後、年齢を聞いてきた。
私が30歳だというと、自分のお父さんは31歳だとさりげなく話した。でもそれは嘘だった。

後日お父さんを紹介された。
「お父さんのことどう思った?」
「イケメンだね。優しそう」
「先生(私のこと)が、お父さんと結婚してくれればいいのにな」
その子は私にそう言った。
周囲に確認すると、そのお父さんは27歳だった。

その子にとって、義理のお父さん。
お母さんは実の母親で、一緒に暮らしているのに、お父さんの年齢を私より年上と嘘ついてまで、
義理のお父さんと私の結婚を願う女の子に、私は胸が締め付けられそうになった。

恐ろしいほど勘のいい子だった。
何事にも常に危機感を持っていたからかもしれない。
私は仕事の関係上、お別れの日が決まっていて、子供たちには誰にも言わなかったのに、その子にはバレた。
別れ際「〇〇ちゃん、またね」と、私は多分いつもより丁寧に言ったのだろう。

「もうここに来ないの?」
誰にも聞こえないような、小さい声で確認された。
あの瞬間の、泣きたくなるような感情は、忘れちゃいけないと思っている。

私はあの子に何かしてあげられる。
それは分かってるのだけど、でも。

私の行動は自由であり、不自由だと思う。
子供たちに比べれば、自分の判断で動けるし、出来ることも多い。
でも、自分の気持ちだけで動くわけにはいかない。
まず私の生活がある。
仕事以外の時間に動くとしても、周囲の人に隠れて行動するのは、後でバレたら面倒だ。
かと言って、仕事でもないのに、その子のいる場所に行く理由を、人に説明できる理由としては、持ち合わせていない。

そしてその子のいる場所に行っても、関係者以外は入れない。
私はかつて関わった人間なのだから、何か事情があれば入れるけども、「あの子のことが心配だから」という理由では追い出されるだろう。
そんなことが許されては、ストーカー被害にも遭いかねないのだから、当然だ。

そもそも、離れてから数年経った今でも、あの子のことを気にしている私は、ストーカー的ではないだろうか。
そんな気分にもなってくる。

誰かを気にかけるということは、とても難しい。
普通に、私なんかが余計なおせっかいをしても、ありがた迷惑かもしれないという気持ちも、常にある。

この本の少年は、私みたいな人間のせいで、救われなかった。
もしかしたら、私が気づいていない誰かも、この少年のような生活から救われずにいるのかもしれない。
どうすべきか、わからない。
でも何か、何かすべきということは、強く感じた。

周囲の理解は得られないかもしれないけど、まずは話してみること。
私が話すことによって、反対意見もあるとは思うけども、
周囲もその問題に関心を持つというメリットはある。

なるべくたくさんの人間が、無力な子供に手を差し伸べる世の中になればいい・・・
いや、そんな世の中にしたい。
せめて、私の周りだけでも、そんな世の中にしなければ。


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