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一生の傷跡〜記憶と幼少期〜

子どもの目から見たらパチンコというものは銀色の小さい玉、
お店に行ったらジャラジャラ大きな音が聞こえる
たまに連れて行かれた時の印象だった

それがお金に変わる事なんて小さい子どもがわかるはずもない
菜都は一緒に行っても母は光って大きな音がでるおもちゃに夢中で
正直、退屈だっだ。

幸い、本を読むのが好きだったので隅っこにある本のコーナーによく行ってた
まだ読めない字も多いが本をめくる事が好きだったこともあるが、何より退屈しのぎがこれしかなかった。

飲み物一個買える分の小銭渡されて後は呼びに来るまで放置、途中呼びに行ったりして機嫌がいい時はいいけど悪かったら最悪だ
よく向こうに行ってなさいって言われてた。

気づいたらもう夕方、夜は当たり前、
そばに行って本のコーナーに戻りの繰り返し

お腹すいてもまだって止めてくれないので
ひたすら待つしかなかった

ようやく迎えに来てくれた母の手には袋があって
お菓子をたくさん分けてくれた
帰って妹と食べる分もあるので
小さなお菓子を1つ食べる時がすごく嬉しかった

これが異常な生活とは分かるにはまだまだ幼すぎた
とにかく母親といれるそれだけだった

夕方に帰るならまだ何もなかったですが
夜に帰るとさすがに祖父母の怒る声が聞こえてきた
私は生まれつきの喘息だったため身体が丈夫な方ではなかった。

病院に連れて行った後に夕方もしくは夜遅くにパチンコに行き帰ってくるのだから
今思えば怒るのも当然かもしれない

大人達が言い合いしている中、私と妹は景品のお菓子を分けている事が多かったが

その時も全部は貰えなかった。

母は言い合いの後怒ってお菓子を取り上げ
私たちが悲しそうな顔などしたら
お菓子を投げつける事も多かった

それを見た祖母とまた言い合いの繰り返しだった

妹と一緒に行ける日もあれば私だけ、妹だけという日もあった

今でなら分かるが勝った日は機嫌がよく
負けた日は機嫌が悪かった

早めに切り上げる時はじいちゃんばぁちゃんには
黙っとくんだよとか言われてたけど
何が悪いことなのかが分からず
思わず話してたり、お菓子を貰ってたのを見せても言い合いしていた時もあった

よく言えば喜怒哀楽豊かな人
悪く言えぼヒステリックな感じな人
私の母を簡単にまとめるとそんな感じだ


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