たかい
先日夏休みということで富士山に登った。
理由は色々。一言で言うと「暇だったから」と「2022年の僕の座右の銘は「思い立ったが吉日」だから」の二つだ。まぁ可愛くないことを言ったが強いて言うなら、人生で一回は登ってみたくなったのだ。
結局人間って富士山に登ったか、登ってないかの2パターンだと思う。
高速バスで5,6時間。
富士山に登ろうと決めて次の日には静岡にいた。
静岡のホテルで作戦会議をした。この日のホテル代は本当に無駄だったと思う。静岡でなくても作戦は練れた。
どうせなら御来光を見ようと言うことで八合目の宿をとった。
次の日、登山開始。
数多ある富士山についてのホームページでは、登山初心者の成功率は50%と言うことだった。
失敗の主な要因は「舐めていたから」らしい。
2分の1なら行けるだろうと高を括り、なんの準備も知識もなしに登山を開始。
5合目から8合目までは割と家族連れも多く、服装もラフな格好が多い印象だった。
「こんにちは」「今からのぼるの」
定期的にすれ違いざまキャッチボールが行われる。そう、この景色こそ登山だ。と心が叫びたがっていた。
もちろんそれなりにきつかったが、1日目のゴールである8合目の宿に着く。
登山者は結構居た。ここらになると、みなさん登山の格好をしている。当たり前だ。僕達だけハイキングのような格好だった。浮いていた。あんな高い場所で。
20時消灯。20時1分就寝。
次の日、深夜2時ごろに明かりがつき宿が騒がしくなる。宿側の御来光をみる人は起きなさい、と言う配慮だ。
外に出てみると、風がすごい。間違いなくあの時、風は僕に吹いていた。
歯磨きをした。おそらくこの19年間で1番高い場所で歯を磨いた。これは、自叙伝に書こう。
暗闇と霧で景色こそ見えないが、下を見ると、小さな光から大きな光がじわじわ登ってきているのがわかった。お盆後だったので、あの世からこの世に舞い戻った先祖達があの世へ帰っている所だった。いや、登山家のヘッドライトだ。
もう9合目に向け、こちらに背中を見せる登山家もいた。
僕たちはライトも持ってきてなかった。
まぁ8合目の売店で買えたのだが、こう言うのを「舐めている」と言うことなのだろう。
ここからは本当にきつかった。ただただ。
意識が遠のく中、高みだけを目指して手足が動く。
9合目に着くごろには、風が笑えないぐらい吹いていた。
霧のせいで、雨降ってないのに体中が濡れていく。風もすごかった。皆さんは、カッパだとか、おそらく登山用の上着だとかなのに、僕らだけ布生地のいわゆる「服」である。何枚も着ていたが、濡れてしまっては枚数など意味をなさない。真面目に死ぬかと思った瞬間だった。
休み休み登る。とにかく登る。
そして、遂に、遂に10合目となる頂に着いた。
が、体がもう限界の山を超えていた。
まだ曇っている。まぁ後1時間ある。あれ、この状況知ってるぞ。。
小屋はあるが空いていない。初めての標高、場所なので正常異常が分からない。
風の吹く中、口も開かず待つ。小言も言えない。ただ待つ。待つのは嫌いじゃなかったがここで人生観が変わる。
登山家の皆さんも寒そうに座っていた。が、どんどん人が減っていく。どうやら小屋が空いたらしい。
が、数人の青い上着を着たどうにも運営側の人が、何か言い回っている。嫌な予感だ。
「今日は曇りです。今日御来光は見れません。」
最悪だ。
ここにきて初めての朗報と、何度目かの悲報が同時にきた。
もう感覚がバグっている。
落ち込んでる暇なんてあの時の僕らになかった。
とりあえず、空いたばっかの小屋に入る。
そこはあったかくて天国の温度が広がっていた。
カップラーメンが800円で売られていた。カップヌードルもどきみたいなやつで地上で買ったら、100円するかしないかの品物だ。
だが、ここは標高3776mだ。
ここで啜ったカップラーメンが、
今までの人生で1番たかかった。
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