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エッセイ#6『送り迎え』

母に妹の送り迎えを頼まれたのは初めてだった。

妹を母が毎回の如く送り迎えをしているのは知っていた。しかし今年で小学6年生になった妹に果たして送り迎えが必要なのだろうかと疑問には思っていたので、頼まれた流れでその旨を母に伝え、俺は小学3年生ぐらいから一人でサッカーに行っていただとか言うと、

「それなら行かなくて良いよ」

そう言われて初めて自分の小ささに気が付く。思えば20歳まで送り迎えを頼めれた事がないなんて不思議だが、そんな理由の全てが詰まっているようだった。恐らく小さな家事や頼まれ事をこんな風に断って来たせいで、余計な神経を使うくらいなら僕には頼まないほうがましだと思われていたのだろう。

何事も1番初めに湧き上がる感情には注意が必要だと最近は言い聞かせて来た。ついつい面倒だと思ってしまうし、場合によっては不機嫌になったりするので、そんな感情をそのままぶつける人間にはならないように心がけていたが、家族や親友など距離が近い人ほどついぶつけてしまう事が多々ある。もちろん空気は悪くなり最悪喧嘩になって、そこで初めて後悔するが既に遅く誰も徳をしない。

とにかく僕は初めて妹の送り迎えに行った。

真っ白な新品の自転書を漕ぐ妹の後ろを、錆びた悲鳴でうるさいママチャリで追う。妹は自転車をクネクネ漕いでいるし、曲がり角では少し詰まる。そんな様子を見れば母が心配しない訳がなかった。

妹を無事送り届け、迎えまでの40分程を武蔵野森公園で過ごす事にした。セブンイレブンでアイスコーヒーを買う贅沢、氷の入った透明なカップを開けるところから、マシーンで淹れるコーヒーの出来上がりを見ているのを境に、時間の進みがゆったりに感じ始める。

コーヒーを片手に公園のベンチに座ると、右では少年野球チームが練習をしていて、バットがボールの芯を捉える音、そのボールがピタリとハマる音がものすごく心地良かった。声を掛け合ったり全力で走る少年たちを見て、僕にもそんな時代があったなと小学生時代のサッカーを思い出した。それからなんとなく思い出が蘇って、今ある幸せの多くはサッカーが繋げてくれたものだとも気がついた。

目の前には調布飛行場が広がっている。飛行機が飛び立つ瞬間は理由もなく感動するし、先月のダナン旅行を思い出だして、またどこか遠くへ出かけたくなった。そんなところで妹の迎えの時間になり、面倒どころかここ最近では1番好きな40分の使い方に、また新しい扉を開ける事になった。

妹と合流してからコンビニで母に貰ったお小遣いでおやつを選んだのだが、気分が良くなったせいか妹にはあたかも自分でお金を出しているかのように振る舞ってしまって、この文章を書き終えたところでその事のネタバラシにでも行こうと思う。

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