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No.7 3月 お祭草紙

 ベトナムに渡って半年が経った。今月は予告通り、ベトナムのイベント総集編をお届けする。ベトナムには日本にはないイベントが存在するので、クリスマスや正月など我々日本人になじみ深いイベントと合わせて紹介していく。時系列順にベトナム女性の日、教師の日、クリスマス、花市、正月、国際女性の日の五つに分けてお送りする。今月の元ネタは太宰治のお伽草子だ。個人的には浦島太郎が一番のお気に入りなのでおすすめ。冒頭の写真はフルーツチェーの人気店。ドリアンのペーストが入っているので苦手な人は注意!

ベトナム女性の日     この日は10月20日、女性の日とされているが日本でいう母の日に当たる。カップルも多く、母の日にバレンタインデーを足したようなイベントだった。スーパーでは女性を対象にセールが行われ、男性はバラの花束を持ってレジに並ぶ。渡航して間もない時期のイベントだったため、カップルが多いという印象以外特に意識しなかった。男性から送られたバラを片手に手を繋いで両手に花状態の女性たちは例外なく可愛らしい。

教師の日      11月20日、名前そのまま教師に感謝する日である。私もとりあえず自分にできることとして先生の似顔絵を渡した。大学事務所前には大きな花が飾られ、道路を歩いていても花屋さんと思しきおじさんが明らかに過積載の花を積み、バイクで街を走り回っている。この日は二人の先生の授業が入っていたが、一人は先生の日を楽しんで!と言われ休みに、もう一人の先生は予定通り授業を行った。先生ごとの主張が異なり予定がバラバラになるのはお約束だ。私の通っている大学では午後五時からホールでイベントが行われ、私もその先生と一緒に見学に行った。ステージ上では今ベトナムで流行りの韓国グループを模したダンス発表や、手紙の朗読などが行われていた。

クリスマス
ヤシの木のイルミネーション、分厚いサンタ服を着ている汗だくの細いお兄さん。クリスマスはベトナムでも大人気である。ベトナムのキリスト教徒は約700万人 、その影響かクリスマスは家族と過ごす人が多いらしい。お隣さんも前日から留守にしている。24日の夜、私は一人で家にいた。近くの教会から讃美歌が聞こえ、未知の哀愁を感じた。25日は先生に誘っていただき1区のイルミネーションを見に出かけた。クリスマス前にはたくさんの人がやってくるらしいが、クリスマス当日の夜は閑散としていた。

1区の中心地、Sunwah Towerのイルミネーション

小噺 ベトナムのサッカー熱  サッカーの試合がある日は総領事館から外出を控えるようにとのメールが届く。その日ちょうど用事で出かけていた私は、試合開始の7時に、総領事館が外出に最も注意が必要としている繁華街である1区にいた。車道歩道の区別なく人々が溢れかえり、いたるところにスクリーンが下ろされ人が座り込む。人をかき分けなんとか家にたどり着いた。家の前でも大家さんがスクリーンを広げて宴会をやっており、そこにお呼ばれする運びとなった。飲めや歌えやのお祭り騒ぎの中見事ベトナムは優勝を勝ち取ったのだった。さらに宴会場が沸いたのは言うまでもない。

花市  ベトナムではテトを迎えるため、玄関に梅などの植木や花を飾る。人々がその花を買うのが花市である。クリスマスの時に誘ってくださった先生に連れられて、一区の花市を観光した。ホーチミン中いたるところで花市が開かれ、先生との待ち合わせに向かう途中でも数か所の花市を通りすぎるほどだった。

夜まで歩き続けてへとへとになりながらふと振り返る。

端から端まで歩いたんだからそりゃ疲れるわという気持ち。しかしその疲れをしのぐ感動だった。先生、素敵な思い出をどうもありがとうございます。

正月  1月1日、特に何もなかった。学校は二日ほど休みになり、大家さんにハッピーニューイヤーと告げて終わった。2月5日、旧暦の正月。風邪を引いた。閑散とした道路が孤独を引き立てる。4日の夜から銃声のような音が聞こえ、初めて聞いたときは発砲事件か何かかと思ったが、爆竹の音らしい。0時になると同時に遠くで花火の音がした。15分間鳴りやまない花火、止まらない鼻水。とんだ新年だった。次の日の昼、大家さんがご飯に呼んでくれた。大家さん一家以外でこのアパートに残っているのはもう私だけらしい。食卓には伝統料理であるバインチュン(↓写真)が並んだ。もち米と肉をバナナの葉で包んで炊き上げたもので、スパイシーな肉の風味がもちもちの米に染みて美味しい。日本にもあるよね?とさも当然と言わんばかりの声音で聞かれ、ないと答えると世界の終わりのような顔をされた。


 国際女性の日
3月8日、私は初めて男性から花束をもらった。えっスマート…と心の中で叫ばずにはいられなかった。先に取り上げたベトナム女性の日とは少し違い、すべての女性が祝われる雰囲気があった。この日は友人と夜から1区の繁華街へ出かけたが、もちろんカップルも多い。
日本の男性も気軽に花束を渡せるようなスマートさを身に着けてくれればと感じた一日。


先生の日について教員志望の私は思うところがあった。
"tôn sư trọng đạo"。教師と道徳を重んじ、大切にしようという意味だ。先生の日は素晴らしいと友人は言っていた。「普段、先生は自分の時間を全て生徒たちに与える。だから20日はお礼をする」ベトナムの先生は皆熱心で素敵だ。しかし私から見た教師たちは一人当たりの限界量を軽く超えた仕事をこなしているように見える。
日本には先生の日はない。日本では少し前まで教師は聖職だったが、今はそうではない。高学歴化に伴い相対的に教師の地位は下がったし、長時間労働に多すぎる業務内容から敬遠される職業の一つに数えられることも少なくない。このように、日本では教師への認識が変化していったが、ベトナムでは教師は特別な仕事であるという印象は依然として強い。ある先生は、教師の賃金はあまり高くないと言っていた。仕事量に対する賃金が見合っておらず、次の学期に仕事を続けるか実は悩んでいたと話してくださった先生もいる。この問題はきっとここだけではないはずだ。この先経済成長を続けるベトナムでは、教師に対する認識も日本のように変わっていくのだろうか。日本人の私から見た先生の日は、先生を人間として見ないことを強く促しているようにも見えた。この日の存在は、ベトナム教員の勤務形態を改善する際に何らかの形で足かせの役割を果たすことになると思う。
先生は私に、感謝や贈り物はいらない、私たちには彼らが勉強をして結果を出し、幸せを掴むことこそが一番のお返しなのですと話してくれた。学生たちは何を考えているのだろう。20日のイベントで私は、感謝感謝と口に出しておけばそれでいいと考えているような薄いものを学生たちの中に見た気がした。歌やダンスで感謝を表すのはなぜなのだろう。ダンスの練習時間を勉強に当てるべきではないのか?若者の間で流行っている韓流ダンスを踊って喜ぶのは、先生ではなく友人や同世代の生徒だろう。自己満足の塊のように見えてしまった私の心はきっとエゴで歪んでいる。

今回批評で終わってしまったのが少し心苦しいが、書きたいことをすべて書いてしまったのでここで終了する。来月は日本にお土産を送るのでお土産と郵便についてのノートとなる。また来月!

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