NO.10 六月 未来の呼び声

いよいよ帰国まであと数日となった。今回はこの交換留学によって得られたものについてまとめようと思う。授業編、人間関係編、その他の分野編に分けて紹介する。

授業編

6月21日にテストが終わった。成績は帰国後にデータで送られてくるらしい。一人なので自分がどの位置にいるのか全く分からないが、それぞれの授業の進度についてまとめていく。教科書は全部で4冊仕上げた。初級2冊と中級1冊。全体では文法の進度が一番早かった。中級に突入したのは文法と読解。
筆記では、自分の意見や感想を書く簡単な作文練習からはじめ、調査書の書き方やグラフの解説、メールの文言に至るまでを網羅した。
会話の授業は一番進みが遅かったと自覚している。会話というより、作文を書く→先生の添削→ひたすら暗記→発音を聞いてもらう、の繰り返し。途中で哲学や思考術、読書術に関する文を読み、日本語に直す作業もしたが、これは会話というより翻訳の練習に近い。
聴解は、最後の方はやることがなくなってしまったようで、作文や文法の復習の時間になっていた。


人間関係編

ベトナムに渡ってから知り合いが増えた。主に学生と先生だが、日本語教育関係や日系企業の日本人、他大学の教授などと知り合う機会も多く、名刺ケースにはそれなりにカードが増えた。実際にどのようなビジネスが行われているのか、話を聞くことができ自分の好奇心が満たされて満足している。ちなみに、私はそういった精力的な人生を歩むつもりはないのであくまでも他人の人生を覗き見る、という程度ではあるが、それでも視野は少し広がった。
そして日本で働きたいと願う学生や、技能実習生として日本語を学ぶベトナムの人々にもたくさん出会った。異国の人間を温かく受け入れてくれた彼らを、私は忘れない。


その他の分野編

先ほど紹介した会話の授業、実は私はその先生と一番馬が合った。彼女のおかげで効率的に情報を得る方法を学んだ。彼女の趣味が私とダダ被りしており、ベトナムにおいてさらに学びに偏るきっかけとなった。留学中の私の興味の矛先は、各国の歴史と文化、哲学、宗教、政治関係。 
一年前、逃げるように日本を出て今まで、常に何かをしなければと焦っていた。私は昔と比べて成長したのだろうかと今でも自分の中に自身の成長を疑う気持ちがある。以前の失敗(退職)を返上すべく自身に留学というハードルを課した、という面もあり、今留学をやり切る手前で無意識に次のハードルを探している自分がいる。トラウマを克服したいという気持ちからこのハードル探しを行っていることはわかるのだが、これで本当に克服が達成されるのか、それを辞める方法も分からないという現状だ。

留学先で私は心地のいい距離を得ることができた。家族との距離、友人との距離、そして日本との距離。冷めた恋人関係は一度距離を置いて考え直す、などと言われるが、私は人生に対してそれを行うことができた。
そしてこの鍵のかかる小さな隠れ家で、私は考える時間を得た。私は高校の先生に、教師に向いていると言われ、教員免許が取れて教員養成に有名な大学への入学を決めた。そしてそこで私は人生の軸を勉強に定めた。夢は基本的に個人で構築するもので、人によって強度が異なる。私の十年がかりの夢は半年足らずで折れた。私は弱かった。一方で学問は強い。遥か昔から人々が積み上げてきた途方もなく大きな塊、そこに人間がひとり寄りかかったところでびくともしない。学問との出会いはこの大学との出会いなくしてありえなかった。この大学を選んでよかったと思う。私の興味のリミッターは外れていった。なんでも知りたい、すべてを知りたい。知的好奇心の暴発とも言える状態は現在まで続いている。そしてこちらで語学を習っている先生の一人で、私と同じような人と出会った。会話の先生だった。彼女は私の目標になった。
働くことへの意識も変わった。以前は人生の目的だったが、生きるための手段にしようと考えた。そして私の人生の目的は、教師になるということから勉強をし続けることになった。この考えを持った上で教師になる可能性もあるし、大学に入ることを親に許してもらったけじめとして教員免許の取得は心に決めているが、大きな意識の変化があったことは自分にとってプラスだと思う。
(2022年現在超ブラックな教職員として働いています。お休みほしいよ…)

何はともあれ、考え直す時間を得られたことが私にとって留学最大の恩恵であったことは確かだ。大学間の文化交流、語学研修もとても有意義であったし、多くの経験も得ることができた。サポートしていただいた両大学、関りのあったの全ての方々に感謝します。大学の報告に書くには蛇足かなと感じたが、私は大学から奨学金をもらっている身で、黙っているのは不誠実な気がしたので今回のレポートにまとめた。

留学を通しての人々との出会い、対話、それらのおかげで私はまた挑戦することができます。一年間どうもありがとうございました。

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