NO.4 12月 永遠の虫

 留学も3か月を過ぎた12月、クリスマスムード漂う常夏の国で私は孤独な戦いを続けていた。
種々雑多な昆虫たちとの愉快な戯れを紹介しよう。今回画像は使用しないので、虫嫌いの人も安心して読んでほしい。文字だけの読み物になるのでさっと流すと心にも優しい。
ちなみに今回の元ネタは百田尚樹著作の「永遠の0」。氏は最近日本国記なる本を出版しており、方々で炎上しているのをTwitter上で観測したのがきっかけで今回のレポートモチーフ採用に至った。 


10月のなかば、暑い日が続いていた。暑いのはいつものことだがこの日はいつもとは違う事態が起きた。ゴキブリである。羽音を響かせて開けていた扉から飛び込んできた。網戸は無く、クーラーに慣れていない体は開け放した扉から吹き込む風に頼るほかないのだった。そんな中の青天の霹靂、月夜のゴキブリ。そいつは扉の横に設置してある冷蔵庫に飛びついた。パニックに陥り叫ぶ私。頭は混乱していたが、何故か体は冷静で、履いていたスリッパを握りしめた。撃ち落さなければならない。これが出来るのは私以外にはないのだ。それは日本のそいつより図体がでかいくせに機敏な動きを見せた。離陸前の作動点検のように数度、ジジジと羽音を響かせてから目標はこちらに飛んできた。ありがたいことに体は勝手に動いてくれた。本能に任せてバックショットでやつを打った。スパァン!といい音がして、そいつはきれいな弧を描き、入ってきた扉、6階のベランダから落ちていった。
私は小学校3年から中学3年までの6年間、テニスをしていた。当時テニスを勧めてくれた母にこの時以上に感謝した日はない。この曲芸、観客がいれば拍手喝采であろう。一人なのが少し寂しかった。一撃で決着をつけられるとは思っていなかった為、長期戦を覚悟していた体にはアドレナリンがみなぎっている。異様なテンションの中、室内に危険はないにも関わらず、高ぶった私はなぜか日本から持参したホイホイを設置。それでも興奮が冷めやらぬので、強めのアルコールを摂取して寝た。

私の部屋は、基本的には外から飛び込んでくる以外にはゴキブリの心配はない。しかし一つだけ例外がある。風呂場だ。シャワーの下に赤い頭のバルブが顔を出している。一番大きな問題、それはこのバルブの周りに大きめの穴が開いていることだ。おそらく何か必要があって後からあけたであろう壁の穴。そこから突き出るバルブは硬くて回らないので、用途さえわからない。この穴から奴が出てくるのである。大家さん…なぜ…。

あり実験
 部屋に入ってたびたび息をのむことがある。白い大理石の床に黒い列ができているのだ。本章は6階という高さをものともせずにやってくる彼らとの闘いの記録である。
ファインマンを知っているだろうか。彼はノーベル賞を受賞した物理学者である。彼は数字や法則の世界にとどまらず、あらゆる分野に深い興味を示した。ボンゴを演奏する彼の写真は有名。彼の著書で紹介されていた蟻の実験を試してみた。
家の中の蟻を追い出すためにベランダに砂糖菓子を置いた。家に入ってくる蟻をすくい取り、はじめの7匹ほどを砂糖菓子の上に落とす。家には食料を求めてやってくるから、外に食料を見つければそちらに全体が移動していく。らしい。はじめ彼らは玄関に向かって一直線に隊列を組んでいた。一時間観察を続けた。砂糖菓子の上に落とした蟻が、家にたどり着き、ぐねぐねと歪んではいるが道をつないだ。この道は蟻たちが往復するに従ってより直線的なものになるだろう。さらに一時間、玄関に向かう個体がみるみる少なくなっていった。そのさらに一時間後には1,2匹がうろつくだけになった。ファインマン氏の著作に準じた実験は一応の成功を見たのである。この環境づくりの問題点をあげるとすれば、ここがベトナムであるということである。実験時の季節は雨季、道を作っても雨によってみちしるべのフェロモンが洗い流されてしまう。これはもって一日。蟻の巣の入口に透明なチューブを隣接させ、その先をベランダの外につなげ、先端に砂糖菓子を置くという手を思いついた。そうすれば蟻たちのみちしるべが雨によって流されることはないだろう。さっそくチューブを探しに行こうとしたところで、彼らはゴムの匂いを嫌う習性があるらしいとどこかで聞いたことを思い出した。どうすれば彼らを家に入れなくて済むのか…。悩んでいるうちに事態は解決した。実家から物資が輸送されてきたのである。その中にありんこホイホイも入っていた。平日の昼間から3時間、私はいったい何をしていたのだろうか。

一週間後、終わったと思っていた彼らとの戦いは予想に反して泥沼化していた。彼らの巣は一つではなかった。初めはベランダの扉の下、風呂場には少なくとも二つの出入り口がある。クローゼットにも巣食っている。そしてベッド。木製のベッド、頭に近い木の隙間から列を作っていたのを発見したときは大変なショックを受けた。コンセントの穴に向かって隊列をつくり、たまに数匹がそれて布団の上を歩いてくる。幸いベッドは限りなく正方形に近い。上半分を放棄して、しばらく下半分で寝起きした。ホイホイを隊列の上に設置、3日後には姿を見なくなった。また違う入口や見えない場所で動き回っているのだろうか…。数の脅威という自然界において最もよく見られる単純な戦略を体感し、現在に至る今も舌を巻きつつ手を焼いている。
(この観察については後に月曜の作文の授業で、「驚異の行列」と題して提出した。先生は面白がってくれたが「3時間も蟻を見ていたのですか」と若干ひかれた。)

静かな同居者
虫ばかりなので口直し(口直し?)に家の同居人を紹介しよう。ベトナムにはいたるところにヤモリがいる。調べてみると寿命は2年ほどらしい。爬虫類は嫌いではない。虫を食べてくれるので部屋で見つけたときは内心ガッツポーズをした。小さめのヤモリにトッちゃんと名前を付けた。Tốt―この単語は「良い」という意味で、これが名前の由来である。ヤモリのトッちゃん。いつもは冷蔵庫の裏やエアコンの裏にいるのだが、たまに床を歩くので踏まないように気を付けながら、一定の距離をとって可愛がっていた。

ユウレイクモ科
 最後の章は益虫である蜘蛛だ。益虫である。蟻やハエを食べてくれる。いい虫なのだ。ここまで自分に言い聞かせても無理なものは無理。題名の如く足が細くアメンボのようなタイプである。ザトウムシにも似ている、無理。調理スペースと化している机の下に2匹巣を張っていた。彼らはミント系の匂いを嫌うらしい。スーパーに探しに出かけた。アロマや芳香剤にもミントはなく、結局見つけたのはアルコール成分とミントがたっぷりのマウスウォッシュだった。200mlほどの小さいペットボトルに水とマウスウォッシュを混ぜ、刺し木をした。
こうか は ばつぐん だ ‼くもたち は にげだした ‼
しかし天井の方には効果が届かない。肉付きのいい種類でないだけまだましだと言い聞かせ、現在は一方的な不可侵条約(床からおおよそ1.8メートルまで)を押し付け、彼らと共同生活を送っている。

以上全4章に渡ってお送りしてきた。他にも蛾やハエなどこまごましたものが飛び込んでくるが、よく見かける虫はこの3種だ。ちなみに、蚊はほとんどいないのでデング熱などの心配はほぼないといっていい。(留学中、自室で蚊と戦ったのは2回だけだった。)
この3か月で自身の警戒レベルが明らかに向上している。特に瞬発力が上がったような気がする。どこまで虫を嫌悪しているんだというツッコミが聞こえてきそうであるが、そんな私でも楽しく毎日を過ごせているので、虫が不安で留学に悩んでいる方、一年前の私のことだが、そこまで深刻ではないので安心してほしい。

日本から持って行った方がいいもの
ありんこホイホイ 家に出る蟻はヒメアリと呼ばれる種類である。
ゴキジェット 1缶ならスーツケースに入れられるので是非(空港の持ち込み制限に注意)。
ミント系芳香剤 現地にあると思うが、探すのに手間取る。
除菌シート 奴らが這い回った後をそのままにしておけるほど私は心が広くない。現地調達可

さいごに
実は1つ目のゴキブリの話には続きがある。私はあの戦いの後ホイホイを設置した。つい最近まで、ホイホイ設置の事実は忘却の彼方へと追いやられていたのだが、ある時ふと目の端に映り、その存在を再認識した。ゴキブリなんてまさかとは思うけどかかってないよね、もしかかっていたら今日から安眠などできるはずもない。大丈夫、ちょっと見るだけ。そして確認したホイホイの中では、あのトッちゃんがこと切れていたのだった。ただひたすらに悲しく、切なかった。

来月、1月は嗜好品についてまとめる。

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