見出し画像

NO.1 9月 余は如何にして渡航へと至りし乎

 約一年のベトナム交換留学に際して、大学に提出するレポートを書いた。以前は大学に提出したものをそのまま投稿していたのだが、久しぶりにログインして記事を読み、文章の稚拙さに愕然とした。もっと書けただろう、情報も断片的だし…。ということで手を加えることにした。手を加えるといっても、あんまりうまく書けるわけではないけど…。ぼちぼち更新していくよ。


目次

  • 余は如何にして渡航へと至りし乎

  • 知とPay

  • 世の果てでの米

  • 永遠の虫

  • 夜は短し駈け出せ青春

  • 早朝特急Ⅰ ホーチミン~フックアン~ニャチャン

  • お祭り草子

  • 民藝礼讃

  • 明日の聖地

  • 未来の呼び声

留学に踏み切ったのは、自分の見聞を広げたかったから。なんてカッコいいことを言いたかった人生だった。私の場合は家族喧嘩と失恋だった。喧嘩で家を飛び出すだけでも迷惑なのに、国まで飛び出された家族は本当に気の毒だったと思う。失恋も重なり自暴自棄になった私は、大学でふと耳に入ったベトナム留学の奨学生募集案内に飛びついた。後から何を言ってもカッコ悪い。私の留学はとんでもなくカッコ悪いところからスタートした。そろそろレポートに入ろう。以下は当時の文面(加筆あり)。

今までの体験と比べるような表現も数多く出ると思うので、はじめに自己紹介。出身は京都、現在21歳の大学生だ。高校卒業後に就職、体を壊して退職したその次の年に大学に入学、今は二回生。大学入学から留学までの一年半は日本料亭でアルバイトをしていた。前職については、先の投稿で語ることがあるかもしれない。

出発前日、京都駅から夜行バスに乗り込んだ。中部国際空港で夜を明かし、朝五時から出国窓口前で待機。初海外、初飛行機への興奮で目が冴えているが、椅子しかない空港内では特にすることもないので本を読んでいた。受付をすませ、ビジネスクラスであることを知る。航空チケットは大学が手配してくれたので、あまり注意深く見ていなかった。荷物の超過支払いにひやひやしていたのだが、そもそも私は一年の留学をトランク一つで乗り切ろうとしていたため、余計な心配だった(し、実際それは可能だった)。航空会社はViet Nam Airline。ターコイズブルーのアオザイに身を包んだCAさんたちに迎えられて席に着く。優先言語が日本語からベトナム語と英語に切り替わる。

機内食
 おしゃれなコース料理が始まった、亜日本料理。八寸と強肴の付け合わせなど。味は日本と少し違うが美味しかった。ど派手な蛍光色を発する香の物が異国情緒溢れていたもののかろうじて日本を保っている。白米と共に出てきた赤出汁をすすった。バイトで厨房の手伝いをしたとき、ひたすらなめたけの首をハサミで刈り取る作業をしたことを思い出した。このなめたけも誰かが無心になって作業した結果なのだろうなと思った。労働の味…。

ビジネスクラスでお酒が出る出る。各国の赤、白ワイン、シャンパン、Viet Nam Airline特製カクテルなど豊富だった。二度とビジネスクラスになど乗ることはないだろう。ここでしか味わえないものがここにある。しかしすんでのところで私の交換留学生としてのなけなしの理性が力を取り戻した。始終水で通した私を褒めて。そしてコース料理が出る出る、最後はフルーツ、ケーキまで、もう入らないので苦し紛れにEm no rồi(お腹いっぱいです)と南部発音で絞り出した。これは現在日本の大学に交換留学に来ている友人に発音を教えてもらった。CAさんはオォ!と嬉しそうに私の肩をたたき、去っていった。通じた?間抜けながらもこれが初のベトナム語発言であった。その後コーヒーを持ってきてくれた先程のCAさんが何かベトナム語で話してくれたのだが、それは聞き取れず、悔しい思いをした。この一年で絶対話せるようになってやる。可愛いCAさんの笑顔が見たい。誠に不純な動機であるが、こうしてまた一つベトナム語への意欲が高まるのであった。

トイレについて
便座が下がっているかの確認を怠ったせいで地獄を見た。便座が下がっているかどうかの確認はしっかりしようなと次の交換留学生には、いや、すべての旅行者には力強く注意喚起しておきたい。綺麗な飛行機内のトイレで良かった。早めに失敗しておいて本当に良かった…。心中穏やかでないのは秘密。
(現地で生活するうちに、便器に便座がついていることはありがたいことなのだと思い知った。便座のついていない便器が並ぶトイレはぞっとする。今でも夢に出るが、それほど衝撃的だった。)

到着
空港を出ると多くの人がプラカードを手に入国者を待ち構えていた。その中に物静かそうな男性が小さな紙を広げて待っていた。私の所属と名前が書かれている。お世話になる大学の職員さんだった。流ちょうな日本語でのあいさつの後、車に揺られて本日の宿に到着。荷物を部屋に置いて少し休んだあと宿舎探しをすることになった。月の支援金が前年度の2万円から2万4千円になるらしい。ありがたや。ホテルは一泊1800円でとても清潔だ。日本でこのようなホテルに泊まろうと思えば素泊まりでも3000円は確実だろう。水洗トイレが完備され、シャワーもついている。そしてベトナムお約束のお尻洗い機が添えられていた(東南アジア圏のトイレは下水管が細いため、紙を流すことができない。そのため水でおしりを洗うのが一般的である。水で洗って、その水を紙でふき取るため、トイレには紙を捨てる籠が置いてある)。家を探しに行くまでの一時間、ダブルベットに大の字になりながら時間を潰した。日本のホテルと同じシーツの匂いがした。

引っ越し
職員さんに連れられてやってきたのは小綺麗なアパート。部屋を順に見て回り、6階の503号室に決めた。候補として101号室もあったが、そちらは大きな机がある代わりに重厚な開かずの扉もセットでついてきたので遠慮した。この日は大家さんへの挨拶のみで、次の日荷物を運ぶことにしてホテルへ戻った。

次の日、荷物を部屋へ入れる。備え付けのタンスに物を片付けてしまえば殺風景な部屋になった。一人になった途端眠気に襲われ、シーツもかけていないベッドで眠りに落ちた。
4時45分、職員さんが近くの大型ショッピングモールに連れて行ってくれた。シーツや水を購入、ここで初めてベトナムで調理された食事をとった。それまでは持参していたカロリーメイトを日に二本食べるという極めて貧困な食生活を送っていた。一日の総摂取カロリー200kcal、侘しさもここまでくれば寂びにつながるといった勢いであった。魚のフライとチキンを食した。購入してからベトナムの魚が淡水魚であったことを思い出した。なんとなく海水魚にはない匂いがしたが、空腹をスパイスにして胃に押しやった。

大学訪問、そして
次の日、10時に職員さんと大学前で待ち合わせをして、学長に挨拶をした。受ける授業やレベルを決め、一時間ほどで解散となった。言葉がわからなくても目を見て意思疎通をしようとしてくださる学長。なんとなくがんばれと言われたような気がしていたが、後で職員さんに聞いてみると、屋台のご飯は食べないようにと仰っていたらしい。

3時に再度大学前へ。映画に行く約束を果たすためだった。留学前から私には、Facebookの恩恵によって数人の友人がいた。全員学生だが、自分のバイクを乗りこなす。その後ろに乗って、職員さんが昨日連れて行ってくれた大型ショッピングモールへ。5階に映画館があり、そこでベトナムの映画を見た。日本円にして450円ほど。笑いは万国共通である。少し日本と違うなと感じた点は、下ネタに寛容であるという点だろうか。日本人なら見ないふりをするようなネタにみんな爆笑していた。日本人として紳士にふるまったがもちろん暗い映画館では誰も見ていなかった。

その後ブンチャーを食べに行き、付け合わせの草にあったドクダミを食した。そう、小学校の隅っこに生えていたあのドクダミである。何を思ったか、若さゆえの旺盛な好奇心の赴く儘口に入れた。わかっていたはずなのに…。涙目の私をみて友人たちは慌てていた。

名前の分からない草がいっぱい…


食事を終えて解散するかと思いきや、賑やかな地区へ移動。金曜日ということもあってか人々が活気にあふれて見えた。カフェで友人おすすめのタピオカミルクティーを飲んだ。

日本よりもミルクティーの種類は豊富で、とても甘い。現在若者を中心にミルクティーが異常に流行している。ひしめき合うミルクティー専門店…。数年後にはどれだけの店が残っているのだろうか、そう考えると感慨深い光景でもある。タピオカが日本の三倍は入っていた。この日の交友費は全部で700円ほど。物価も上昇してきているとはいえ、まだ日本人には十分安いと感じさせる価格設定だ。

授業はまだ始まっていない。今、土曜日にこれを書いているが、週明けの月曜日にもう一度ミーティングをすることになっている。そして別の友人と再びミルクティーを飲みに行く約束をした。はやく勉強を始めたいが、どうせ一年あるのだから焦らなくてもいい。仕事を辞めてから身についたどこまでも楽観主義なこの性格は非常に役に立っている。ぼちぼち行こう、この道を~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?