NO.3 11月 夜の果てでの米

10月に入って以降、本格的に食事について考えることが多くなった。9月の間は外出を渋っていたため、かなり偏った食生活を送っていた。米とパン、豆腐に白菜。そして水。このままでは悟りをひらいてしまう。私は肉を摂取すべく重い腰を上げたのだった。最近食べたものを並べておく。

屋台編
留学当初、学長に食べないほうがいいといわれた屋台のご飯だったが、生活に慣れてからは全然食べた。友達とご飯、となるとどうしても屋台は避けられない。はじめは心配していたが、おなかを壊すこともなかったので気にするのはやめた。
バイクがガンガン走る道路を横目に、プラスチックの低い椅子に腰かけワイワイ食べる。友人とでも一人でも、麺を食べることが多かった。つゆまで消費できるので、ご飯物より量が多くなるのだ。様々な面があり、名前も違う。断面が平らな麺はPho(フォー)、丸い麺をBun(ブン)と呼ぶ。原料は米。ベトナムでは米を加工して食べることが多い。

こちらbun cha,おいしくてすぐ虜になった

こちらBanh beo というこれまた米を原材料にした料理だ。もちもちとした生地の上にエビや野菜を載せて食べる。香辛料のきいたエビと、ソースの甘味がマッチして美味しい。

名称不明。コーンをエビと炒めたものにチリソースがかかっていた。授業終わりに偶然遭遇した友人に勧められるまま購入。チリソースの主張が強い。ツナとも違う、パサパサした物体をチリソースの水分が補っている。結局最後の一口まで、コーンとエビとチリソース以外の食材は不明だった。


外食編
こちらは少し高めのお食事編である。週末に少しだけ贅沢しちゃおうと思ったとき出かけている。


日本食が恋しくなって一人で飛び込んだ。Viet Bentoという店、照り焼きや牛丼など日本食をイメージした丼物専門のレストランである。ジャポニカ米の上にカレー風味の牛肉、ズッキーニと茄子の焼物が乗っている。スープは味噌と書いてあったのだが、出てきたのはニラの浮いた中華スープだった。美味しい!!

週末、無性にパスタが食べたくなった。ピザ屋でピザを注文することなくパスタを食べた。週末の夜、周りは意外にも閑散としていた。広い店内には4,5人の若者が3組ほどと一人の私だけであった。

比較的多くの店に見られる現象として、飲み物はふちぎりぎりまで注ぐというものがある。写真のペプシもこの量である。これも少し飲んでから写真をとったのに。運んでくる店員さんのバランス感覚は相当のものだ…。バイクで鍛えられているのだろうか。

そして外食編の目玉、焼肉である。食べ放題で1000円以下。日本食を売りにした店であるため、おにぎりやから揚げもある。かき揚げを目にしたときは感動した。意識しなかったが、やっぱり日本食は恋しい。涙目でかき揚げをほおばる私が日本人だと知った店員さんは、我々が皿をあけるたびに「次何食べる??」と押し気味に聞いてくる。驚いたことに日本ではつきものの制限時間という概念はなかった。食べて食べてと頼んだ覚えのない肉が並ぶ。親切&丁寧、時々強引なベトナムの店員さんたち、好き。

スーパー編
ここからはよく通っているスーパーの商品や、お安く食べられるフードコートの食事を並べておく。いろいろな意味で残念な食事もあったのでまとめて紹介する。


こちらのパンはおなかがすいて、30円ほどで買ったもの。Banh miとは、パンという意味であるが、ベトナムではbanh miというサンドイッチ式の食べ物が存在する。私はそれを探していた。パンパンの袋を開けてみると中から小さなコッペパン。中身はスカスカ。数年前のお節料理スカスカ事件を彷彿とさせた。これは私の探しているbanh miではなかった。パッケージの具は盛りすぎである。

フードコートで食べた。親切な店員さんに買い方を教えてもらった。つゆが入っておらず、麺と具だけがラップされているトレーを持ち、フードコート入り口のレジで会計を済ませる。すぐ隣の調理スペースのお兄さんに声をかけて、つゆを入れてもらって食べる。優しい味付け。
フードコートは美味しい、安いと75円くらい。しかし肉料理は注意が必要だ。他より安いものは骨ばかりであることが多い。

自炊編
家ではよく湯を沸かす(カップ麺、カップフォー)。エースコックのカップ系商品がとてもおいしくて安いのでおすすめ。鶏肉をゆでて、味噌とマヨネーズをつけて食べたり、麺と鍋で炊いた米、そしてサラダを買って、何とかバランスのいい食事を心がけてはいる。

そろそろタイトル回収に移ろう。

ある週末の夜、私は友人と食事にでかけた。軽く夕飯を食べ、10時前に帰宅。復習をする。シャワーを浴びて時計を見ると、12時前だった。お腹が空いた。このままでは寝られない。こんな時のピンチヒッター、食パンも切らしており、明日買いに行く予定だった。
冷蔵庫の中を視線が徘徊する。冷蔵庫に詰めていた米を見つけた。これだ。もう米を炊くしかない。
こんな時一人暮らしでは血迷った行動を止めるものがいない。ビバ自由。肥満が口を開けて近付いてくるが、我が胃袋は自慢の俊足で逃げ切れると信じているので迷わず米を炊く準備にかかった。
水は水道水ではなく大家さんから買った水を使う。19リットル300円である。安いがそれでも水は惜しいので、少ない水で2度だけ米を洗い、すぐにアイエイチにかけた。ふつふつと沸騰しだしてから、弱火に調節する。蓋を締めてぼーっと待っているとき、ふと昔のことを思い出した。
就職していたときのことだ。そこでは全員が寮生活で、消灯時刻は10時だった。連日の過酷な訓練、分刻みのスケジュールの上膨大な書類作業を言い渡され、自由な時間は一切なかった。食事も食べなければ倒れるという思いから、短時間で味わうこともなく飲むように食べた。そして消灯時刻を過ぎると、不意打ちで教官が巡回に来る。しかし書類作業は残っている。そこで私達は、細いペンライトや懐中電灯をくわえて布団をかぶり、布団の中で光がもれないように注意しながら汗だくで残った書類を片付けるのだった。たまに体力が途切れて寝落ちし、朝よだれのついたくしゃくしゃの書類の横で起床することもあった。当時は死にものぐるいであったが、こうして書き起こすと滑稽である。
それに比べて今はどうか。深夜12時過ぎから私は米を炊いている。外では遠くから鶏の鳴き声がこだまし、扇風機の廻る音と鍋のすきまから蒸気が漏れる音が混ざり合っている。今までの生活やこれからのことを一人で考える「なにもない時間」がここには存在している。この時間を感じたとき、私は残してきた仲間に対する少しの罪悪感や、純粋な夢を抱いていた過去の幼い自分への後ろめたさを感じると共に、仕事をやめてよかったと心の底から安堵するのだ。

米が炊けた、20分蒸らす。その間にツナ缶にマヨネーズを混ぜ合わせてツナマヨを作った。私はマヨラーである。ベトナムにマヨネーズがなかったらどうしよう…と心配するあまりスーツケースに500グラムのマヨネーズを入れてきた。結果、私の愛飲するキューピーマヨネーズは普通にスーパーの陳列棚に並んでいた。
2合炊いたので半分はおにぎりにして明日の朝ごはんにしよう。そう考えながら丼に米をよそう。一時前だった。
食レポは苦手なので完結にまとめるが、日本であの味を再現することはできないだろう。

今回は食に焦点を当てたレポートとなった。私が今回得た知見としては「皿に盛ってあるのだから食べられないものではないのだろう、みんな食べてるし大丈夫だろう」という基準で食を受け入れられるようになったところといえる。まだ刺激臭の強いものは試していないが、今のところはおなかも壊さずえり好みすることもなく無事胃袋に収まっている。

来月のテーマは虫、私の戦闘状況についてお知らせします。

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