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キャンプとはつまり人生なのかも



先日、十年来の友人がサシでキャンプに誘ってくれた。
僕がメンタルの不調で休職していることを伝えたすぐ後のことだ。


彼は生まれながらにキャンパーかと思わせるほどのキャプ好きで、月に2回は山奥に出かけてテントを張る強者である。
テントやチェアはもちろん、焚き火の道具やお洒落なランタンなんかまでも持っていて、ボーナスが入ればどんなキャンプ用品を買おうかと考えているのだった。

「なんも用意せんでいいから」と言われていたので、超の付くキャンプ素人である僕は、手ぶらで彼の出してくれた車に乗り込み、宇治にあるキャンプ場まで連れて行ってもらった。

夕方から開始

キャンプ場に着くと、大自然ならではの澄んだ空気と360度緑の風景にテンションは爆上がり。
日も暮れそうな時間だったので、夕暮れも見ようぜと期待感が高まっていた。

月2でキャンプに来るという言葉通り、凄まじい手際の良さでチェアと焚き火をセットし始めた。

僕も素人なりに熟練キャンパーの力になろうとがちゃがちゃやってみるが、お前は見ててくれればいいからと、チェアに座らされた。


いつもはキャンプ飯にこだわると聞いていたので、どんなご飯を作るのかうきうきして待っていた。

焚き火のセットが完了したところで、彼もチェアに座りタバコを一服する。

これはエモい。
徐々に暮れていく夕焼けを見ながら、360度緑の風景に溶け込んでいる。雑音もなく自然と一体化していく感覚がした。

キャンプ飯とは

しばらく夕日を眺めた後、彼の第一声は「ご飯は作りません!」だった。
そうしてコンビニのおにぎりを2つ手渡される。

とっても意外だっだ。

彼はよくキャンプの様子をインスタにあげていて、カレーみたいな定番から、もんじゃやパフェなんかまで作っていたこともあるのだ。
今回もよっぽどこだわったキャンプ飯を作るんだろうと勝手に決めつけていた。

「キャンプで食う飯なんか何でもいいんだよ。お前はどうせ色々手伝わないとって気い使うだろうから、何も作らないことにしたんよ。」

キャンプの概念を覆された。


キャンプってカレー作ってご飯炊いてってイメージだった。作るのが大変で後片付けも面倒くさそうだけど、それをしないとキャンプではないと思い込んでいた。

「でも、おにぎり美味くね?」

確かに!!

コンビニのおにぎりなんて食べ飽きていたが、この自然の中で食べると格別に美味い。
パソコンを触りながら空腹を満たすためだけのおにぎりではなく、具の味、米の味を感じて食べるおにぎりは確かに立派なキャンプ飯だった。

焚き火を囲んで

おにぎり完食後、日も沈んで暗くなってきたので、ぼうっと明るく燃える焚き火を眺めていた。

淹れてくれた珈琲を一口啜る。

そこで僕が焚き火に高いハードルを感じていたことを伝えると、彼はこう返答した。

いろいろやった方がキャンプは楽しいよ。
今回もお前と2人じゃなかったら、凝った飯作ってデザートも食べて花火でもしてたかも。

今はキャンプYouTuberが流行ってて、とにかく派手なことをしないとって風潮があるんからお前がハードルを感じるのもわかるけど、本当は自然の中で焚き火眺めてればそれで十分なんよ。

肩肘張って疲れるより、自分のやりたいことだけやったら、それでいいんよ。

最後の言葉はキャンプについてだろうか。
或いはメンタルの不調に苦しむ僕への言葉なのだろうか。


ゆっくりと目を閉じて、暖かく優しい空気を感じ取っていた。

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