同僚の女の子に本を贈った。
同僚のTちゃんに、むかし大好きだった短編集をプレゼントした。
IT社会を生きる時代の申し子ことわたくし重松ジョウは、現在タブレットを駆使して電子媒体で読書をしている。
「紙の匂い、ページをめくる音、彼女にもらった栞」
数年前までは、NO 紙の本, NO LIFE.の人間だった。
たしかに私は(紙の)本の虫であったはずなのだ。
それがどうであろうか、現実は寂しいもので、書店をうろついて文庫本を吟味するなんてのは遥か昔。
当然の如く、本棚にきちっと並んだ文庫本たちは、数冊を残してあっという間に古本屋に持ち込まれてしまった。
私は薄情極まりない暴君である。
どうか、読書家の方達は大目に見てやって欲しい。
だが、今日は私の暴挙を懺悔する回ではない。
古本屋に持ち運ぶ魔の手から逃れた本がいくつかある、ということが大切なのだ。
そのうちの一冊が、
朝井リョウ大大大先生の【もういちどうまれる】である。
この本は、5人の若者の感情をありありと描いた鮮度たっぷりの短編集だ。
短編集とはいっても、彼らがみな断絶された世界線にいるわけではない。
若者たちは各々のストーリーを必死に生き抜きながら、別の章に登場した若者の違った面を照らし出すのに一役買っているのだ。
クールではあるが恋愛を応援してくれる温かく大人なバイト先の女の子が、別のストーリーでは真っ暗闇のなかで葛藤していたり。
あとがきで、「瑞々しい」と表現されていたが、本当にその通りである。
とにかく、この本は間違いなくわたしの人生を彩ったものである。
本当に本当に大切な作品だ。
そんな本を、同僚の女の子に誕生日プレゼントとして送った。
久しぶりに書店に行って【もういちど生まれる】を手に取り購入した時は、喜んでくれるかな、なんて気楽に考えていた。
が、いざ当日が来ると、どうも照れくさい。
自分の好きな本を他人に教える、ましてやプレゼントするなんてことは一度もやったことがなかったのだ。
趣味をさらけ出すこともそうだが、自分の底を知られてしまうようで、どうにも踏ん切りがつかなかった。
だが、そうこうしている内に昼が過ぎ、定時になり、小1時間の残業を経て、Tちゃんが帰る準備を始めてしまったため、これではいかんと意を決して本を差し出した。
よくやった自分。引かれてもいい。ナイスファイト。
赤面する自分を心の中で労っていたが、彼女は意外にも喜んでくれた。
そうして、一言。
また鴨川で語ろうかあ。
ああ、そうだった。まだコロナが蔓延する前に同僚と鴨川デルタでしゃべったことがあったなあ。
とても懐かしくてそれからあったかい気持ちになった。
また、語りたいなあ。
はい、本が繋いだ友情のお話でした。
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