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2.ヘッセ『シッダールタ』

画像・わたなべさん

●『シッダールタ』
  「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだなぁ」でお馴染みヘルマン・ヘッセの1922年の作品です。高橋健二訳で読みました。求道者の悟りまでの思索について描かれた中編小説です。

●沁みる1
  よく「思考が堂々巡りしている」のに気づいて愕然とするなんてことがありますが、この本では 「思考は螺旋型をしていて、考える人は堂々巡りをしているようで実は上に向かって進んでいる」と書かれています。平面図から立面図への視点の変換です。「自分がいま少しも進んでいないんじゃないか」と思っている人に沁みます。

●沁みる2
  「賢者が伝えようと試みる知恵はいつも痴愚のように聞こえる」
  深く悩んで、あれも違うこれも違うと探し求めた果ての答えが、世の中にありふれた言葉や事実だった、という経験が誰しもあると思います。それまで「そんなこと当たり前」と思っていたものが、自分の有機的な思索の体系のてっぺんで光を帯びて迎えられる瞬間のことです。
  真理が実は俗世に散逸しているがゆえに、本物の賢者がいれば、美辞麗句botに見えるかもしれません。もしかしたら私たちが「コイツ美辞麗句botやん」と一蹴してきた人の中に、巷間の大賢者がいたかも。

●以下、三島ファンの呻めき
  三島由紀夫ファンとしては、豊饒の海の「暁の寺」に似ているとどうしても言いたいです。老成、もしくはただの老化、俗世間との関わり方、聖なる河、刹那滅や輪廻など、関わりがみられます。カマーラは「ジン・ジャン」と「慶子」を陽・陰として一人に取り込んだキャラクターに見えます。

●邦訳の文体について
  僕の好みです。二人称で「おん身」とか使うので演技くさいですが、演技くささもまた良さと思います。エキゾチズムの中の一つでしょう。
  他言語に訳すと、文のもつ本来の威厳が失われちゃうのではないかなと思って、どうしても「おれはシッダールタを読んだぞ!」と言うのに抵抗が生じます。しかし比喩表現やものがたり全体の流れは訳を経ても色褪せないものと思うので、海外文学も積極的に読んでいこうと思いました。

●ブッダ(?)
  鎌倉大仏とか手塚治虫とかの「ブッダ」と同じ人なのか違う人なのかよくわからない主人公です。
 伝記などでは半裸の、古代の、なかば伝説っぽいブッダをよく見ますが、この本の中での「シッダールタ」は今のインドのような雑多な、人いきれや生活の臭気にまみれた環境の中にあって、「ああ、伝記には書かれていないけど、ブッダのいた時代にも街にはたくさんの人がいて、活気にあふれていたのかな」などと気付けました。
  こども用の伝記ではそういったリアルな息遣いが欠けていたのかもしれません。よく言われることですが、この一冊によって世界の、シッダールタの時代の解像度が上がりました。

●まとめ
  「インドの夕暮れの空の下で、その薄暗さの中に活気付き始めた街を遠くに聞き、渡守の小屋で眠るシッダールタ」などというポエティックな情景は、この本を読まなかったら見れなかったかもしれません。
  だんだんエキゾチズムの虜になっていく気がします。千夜一夜物語まっしぐらです。

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