第2章 魔法の完全消費


魔法の完全消費

魔界への入り口とされる海の坂。
それは、坂のようになった奇妙な海の盛り上がりである。

液体であるはずの海水は、まるで個体のように坂を成しており、坂上からは水が流れて来ていない。

高い所から低い所へと流れる水の性質とは著しく反しているのである。

通常の物理法則を成さない魔法の坂は、正に別世界へと続く橋渡しとなっていた。

大海原を航海する一艘の幡船が、その坂下へ到達した。

アクア公国のものである。

甲板では、柔和な顔立ちの長身美女が、船首から、その光景を眺望していた。

その人物こそがこの船の指揮者、研究長フランチェスカ・フランソワーである。

彼女は、海の坂を臨みながら言った。

「坂の向こう側には、魔界が、、、存在する。

片道であり、帰りはない。
故に、その世界を見た者が、人々に語り伝えることは無い。

未知の領域へと続く海の坂」

それから、探求心に満ちた笑みを浮かべる。
「未知よ。
私を恐れていなさい。
あなたを必ずや、既知のものにしてみせます」

そんな彼女を、小柄な少女が遠目に見ていた。
マリア・ルイス
(研究長の助手、軍人)

別の少女がマリアに声をかけた。
「研究長は、どこですか!?」

      エリカ・ブラウニー
     (研究長の助手・学生)

エリカは、小柄ながら勝ち気な少女である。

「船首で黄昏ています。」
マリアは、事務的な口調で答えた。
彼女は、愛らしい顔立ちに反して、淡白な、時には無慈悲にもなるような人物である。

エリカは、フランチェスカの方を見ながらマリアに言った。
「確か研究長は、この坂を、魔法を使って登るとおっしゃいましたよね。」

「魔法と人力ですね。」
と付け加えるマリアに、エリカがもどかしげに返した。
「ですから、人力もですが、船を上らせるのに、魔法も使そうですが?」

「それがどうかしましたか?」
とマリアは涼しげに言った。

対称的に、エリカは落ち着かない様子。
「私達は魔族じゃないし、そもそも公国民。
魔法支配の国メイデンでさえ、皇族以外は魔法を扱えないというのに。
この船の者は誰も魔法は使えないはずです。」
エリカは眉根を連ねてマリアに言った。

「ですから、魔法遺伝子を注入した細菌を使うと、研究長がおっしゃっていましたよ、、、。」
マリアは淡々と答える。

「確かにそう言っていましたが、、、。」
エリカは納得いかない様子を見せた。

旅の途中で入手に成功したの魔法遺伝子。
多細胞生物の人間には組み込めない。
故に、細菌(単細胞生物)に組み込み保管していたが。。。
あれは確か、、、

「確か、コロニーを積んだ船は難破したはず、、、」
エリカは険しい表情を崩さずに呟いた。

「いくつかは、運良く残っています。」
マリアが、人形のような無表情で答える。

「しかし、どうやって、坂を登る魔法を行使するというのです?
魔法は、魔法物理学を理解しなければ扱うことが出来ませんよね。
魔法物理学は、4次元認知を有する、帝国の魔族にしか理解出来ませんよ。
魔法遺伝子を注入した細菌は魔力を発することは出来ますが、それを希望通りの力に変える脳は持ち合わせていません。」

「発せられる魔力を、我々人間が誘引させるしかないのです。」

「どうやって、、、?
それは魔法物理学が分からないと出来ないのではないですか?
何度も言いますが、私たちは魔族じゃありません。」

「単純な魔法ならば、検討がつきます。
その細菌を、何か強い刺激を与えて進行方向に無理矢理追いやる、つまり、強い生存本能を誘引させることで強力な魔力を導きだし、更には進行方向に向かわせるということです。」
マリアが言った。

その言葉に、エリカは表情を変える。

「魔力が進行方向に向かうことで、船もその方向へ進むと、、、そういう理屈ですか。
そもそも、魔力に、方向、ベクトルなどあるのでしょうか?」

「それは、やってみなければ誰も分からないことです。」
そう答えたマリアは相も変わらず、無表情のままである。

エリカは凍りついたような顔で言った。
「なるほど。行き当たりばったりな試みですね。
仮説が間違っていれば、船は沈没しますが。」

その時、エリカの背後から声がした。
「行き当たりばったりですみません。」

振り返ると、いつの間にかフランチェスカが立っていた。
柔らかい表情で、エリカを見下ろしている。

「研究長。すみません。」
エリカはバツが悪そうにそう言ってから、尋ねた。

「つかぬことお尋ね申しますが、
細菌の魔法遺伝子を発動させ、魔力を誘発させる強い刺激とは、一体何を使うのですか?」

「電磁波を使います。」
フランチェスカが一言そう答えた。

「、、、電磁波?
この辺りは磁気不良にはならないのですか?」
エリカは、首を傾げて尋ねる。

「先ほど試しましたが、ここではなりません。
この異空間に完全に入ってしまえば、磁気は正常に働くようですよ。」
フランチェスカは、どこか楽しげにそう言った。

それから、意気揚々と指示を出す。

「ブラウニーさんはあるだけのコロニーを集めてきてください。
マリア、あなたは屈折角から坂の角度を導きだして。」
言い終えるや否や、フランチェスカは踵を返して立ち去っていく。

「はい!」
エリカが意気揚々と返事をした。

「承りました。」
マリアが静かに応えた。

2人は、立ち去るフランチェスカの背に返事をして散った。

その間、フランチェスカは甲板を闊歩しながら、他船員にも次々と指示を出していく。
それに従い、巨大な磁気装置が、船首に設置されようとする。

「船長さん?
この山の先はどうなっているのでしょう」
船員に設置させる傍ら、
フランチェスカは、舵の前に立つ船長に声をかけた。

船長は吐き捨てるように言った。
「知るか!
オレだって、海の山を登ったことなんかない!
っていうか、誰もないだろ!そんなバカな所越えようっていう奴の気が知れないわ!」

フランチェスカは、ほほほと上品に笑って言った。
「私はそのバカですが…
何かしら答えてくださると嬉しいです。船長さん。
航海士なら、経験から予想出来ることもおありでしょう。」

「無茶言うな!
そんな経験あるわけないだろ!」
船長は声を荒げると、ちらりと磁気装置に目をやりながら、気休め程度に言った。

「……その細菌の魔力とやらを利用するんだろ?
なら、転覆に備えて、守護魔法やらなんやらをかけておくんだな。
って、もうかけてたか。。。
(第2話参照:仲間の妖精により、守護魔法は施されたが、妖精はその力で消滅した。)」

フランチェスカは、長い睫毛をしばたかせ、考えるように言った。
「、、、それはそうですが、、、
しかし、船を上に向かわせる魔法と守護魔法、どちらも同時に使わせるほど、この子達(細菌)の体力はもつかしら」

その時、エリカが、コロニーを持って、フランチェスカの元にやって来た。
「これが全てです!」

数ケースの培養土を手渡すエリカに、
「ご苦労様。では設置してください。」と言うフランチェスカ。

エリカは指示に従いコロニーの設置を始める。

その間に、マリアが報告にやって来た。
「この坂の角度はぴったり60°。水の摩擦を引いた、sin60°mg以上の力が必要になります。
重力の分散ベクトルに、90°以上のものを加えることは不可能ではありませんが、かなり厳しいです。」(※)

「予想以上に急角度ですね…」
フランチェスカは、手を顎に当てて俯きがちに言った。

「何言ってるのか、さーっぱり分からない。」
そう呟いたのは、アリス・アリアである。

エリカやマリアと同学年の物理学生であり、メイデン帝国出身の少女である。
彼女は成り行き上、このアクア公国の船にて旅路を共にしている。

フランチェスカが優しげに微笑んで、アリスの疑問に答えた。
「まぁ要するに、とても急角度なので登るのは難しいですよってことです。」

エリカは、装着しながら、アリスの言葉に違和感を覚えた。

彼女も同じ、物理学生のはずだ。
なぜ、マリアの言うことを理解出来ないと言ったのか、それとも何かの揶揄なのだろうか。。。

いやしかし、今フランチェスカは、確実に、噛み砕いて説明していた。

エリカは疑念を抱きながらも、作業を終わらせた。

「準備が完了しました」
という報告を入れる。

フランチェスカは、コロニーがしっかりと設置されていることを確認し、微笑を浮かべた。
「コロニーちゃん、頑張ってくださいね」
優しげにそう言って、
装置の磁気棒を使い、コロニーの端を刺激する。

「本当に、こんなんで、私達が意図するように魔法が働いてくれるのでしょうか。」
エリカが不安を吐露したが、言い終わらぬ内に、その答えが出た。

コロニーが、、、動いたのだ。
人間が黙視出来るほどの速さで、、、、

その珍現象に見入っていると、体がぐらついた。
船の速度が増したことに気づく。

魔法は、、、成功したのだ。
細菌から発せられる魔力が、進行方向に進み、船を押している、、、。

「すごい、、、!」
エリカは思わず感嘆した。

フランチェスカは、安堵の吐息を小さくついてから、張りつめた声で言った。
「いよいよ、坂にさしかかります。
重力に逆らって登るには、船首に向かって走り続けなければなりません」

研究長フランチェスカ、その助手のエリカとマリア、それから船長。
4人は船首で、互いに顔を見合わせながら覚悟を決めた。
最後になるであろう、旅の節目に。

「っていうか今更だが、、、
乗り物の中を人間が走って、乗り物が前に進むものなのか?」
固い空気を破って声をあげた船長。

「出来ますよ。これが、液体のように見える個体などではなく、
完全なる液体の水であるとすれば、ですが。」

航海士として多少の物理はひつらえている船長。
理解したように顔を緩めて言った。
「船首を沈ませることにより、坂上に重力をかけるということか。
確かに、個体ならば出来ない技だな。」

フランチェスカは「そうです」と優雅に言ってから、船長を見据えて言った。
「ですので、表面張力による巨大な水の盛り上がりだと祈りましょう。」

「こんな巨大な表面張力、あるわけないだろ!素人でも分かるぞ!」

「ですから申し上げましたよ。そう祈りましょうと。」

「つまり、確証なしに、仮説だけでこの山に突っ込もうってわけか!
その仮説自体も意味不明だな、、、」

「まぁそう悲観なさらないで。」
フランチェスカはそう言って優雅に振り返り、船員らを見回した。

航海士や公国の軍人、それから、道中で仲間に引き入れた海賊達、、、。
今、船には、様々な立場の者達が搭乗し、運命を共にしている。

皆、作業を止めて、船首のフランチェスカの方を向き、指示を待っていた。

フランチェスカは微笑を浮かべたまま、優しげな声で、命を下した。
「登攀の為の力走を命じます。
力尽きた者は、容赦なく切り捨てますので、覚悟してください。」

柔らかな雰囲気とは比べ物にならないほどの、厳しい命令である。

みなが固唾を呑み、危険な旅への心構えを持とうと努めた。

しかし船は、覚悟を定める間など与えぬかの如く、みるみる内に進んでいく。

船員のほとんどが、不本意に連れて来られた従者であり、
期待など微塵もなく、代わりに大きな不安を抱いていた。

その張りつめた重い空気の中で、好奇心に目を輝かせたのは、フランチェスカだけではない。
エリカもまた、未知への好奇心を秘めていた。
船が進むごとに、彼女の期待は膨らみ、不安は心の底へと葬り去られていく。

そして船は、、、
研究者と学生、軍人、航海士や海賊らを乗せて、
遂に、、、
坂の真下に来てしまった。

期待を膨らませる者、覚悟を固めた者、不安と恐怖に支配されてしまった者、、、。

心の内に様々な思いを抱える者達に等しく訪れるのは、坂上に向かっての辛く厳しい力走である。

「今だ!!!!」
船長(航海士)の掛け声が響き、船員みなが、船首に向かって走りだした。

幸いなことに、マストにかかる風は追い風だった。

細菌の魔法が進む力を生み出す間、
その魔力を助けるように、
みなが、坂上に向かって走り続けなければならなかった。

従者達は、列を成して連なり、大勢の力で船首の壁を押しながら力走した。

過酷な肉体労働が始まったのだ。

長久戦に耐えきれず、何人かの船員が転落していく。

船尾におち、進む坂上とは逆側に重しがかかった。

重しとなってしまったのは、海賊達。

船長同様、彼らも極刑の免除を条件に同行している罪人である。

重力による負荷がよりかかりやすいからなのか、
屈強なはずの彼らばかりが転落していく。

「船尾から飛び降りなさいよ!野蛮人!」

そう声を荒げたのはアリスである。

彼女は、列の最後尾を走っていたが、隣の列の最後尾にいるエリカに目を向けた。

「エリカ・ブラウニー殺りなさいよ。
あなた護衛でしょ。」
アリスは、息を切らしながら苦しそうにそう言った。

「護衛ではなく、助手です。」
エリカは、前を見てひたすら走り続けながらそう返した。

「でもあなたは、銃を持っているじゃない!」

「護身用です…!
物理学生なら普通、持ち歩いていますよ…」

「他国に狙われてるのは…公国の物理学生でしょ…!」
アリスは、いつものように高飛車な態度を取ろうとしていたが、苦しそうな声である。
エリカはそんな彼女を見て言った。
「こんな会話で体力無駄にしないでください。
学生といえど、ここにいる以上は命の保障はないのですよ。」

アリスは、もう何も言い返してこなかった。
既に余裕を失くしていたのだ。

一方、
フランチェスカは、磁気装置の板に背中を預けて立っていた。
彼女は、コロニーを操りながらも、
らっかした海賊達に静かなる苛立ちを秘めていた。

フランチェスカは、奇妙なほど優しげな声で、腹心に命を下した。

「力になれぬ海賊は只の罪人です。
マリア、殺りなさい」

マリアは、愛らしい顔立ちとは裏腹に、冷徹な表情で、銃を船尾に向かって突きつけた。

そして、
複数の発疱音と共に、
無惨にも、、、海賊達は倒れ、意識を失ったまま、海に投げ出されていく。

無慈悲な彼女の唯一の優しさは、その高い射的能力により一瞬で意識を奪ったことである。

しかし、転らくしていくのは、体が重い航海士も同じであった。

再び、船尾に重みがかかる。

「研究長、彼らも処刑しますか?」
マリアが、走り続けながら無表情で指示を仰いだ。

「私を罪人にしたいのですか?
それは違法です。」
フランチェスカが、微笑を浮かべて嗜めた。

それから彼女は唐突に、声を張り上げた。

「リー大佐!!
らっかした者達を引き上げて!」

マルコ・リー大佐。
20歳後半の眼光の鋭い、端正な顔立ちをした軍人である。

「承りました。」
彼は指示を受けると、
船縁に引っ掻けてある縄を剣で切り、
救いの手としてそれを船尾に投げた。

エリカの横では、アリスが限界に達したようにふらついていた。

「苦しすぎる。
いつまで、走ってればいいのよ!」

苛立ちを吐露するアリスであったが、脚は完全にもたつき、今にも倒れそうである。

エリカは彼女の後ろにまわって、背中を押した。

「アリアさん、見習い生は容赦なく切り捨てられます。何とか持ち堪えてください。」

そう言ってから、エリカは上を向いて顔を輝かせた。

「坂の頂上、見えてきました…よ!」
アリスの後ろで、思わず感嘆の声が出た。

水の盛り上がりの切れ目が、すぐそこにあったのだ。

それは2つの世界を繋ぐ水平線。

アリスは一瞬時が止まったように見入り、ぽつりと呟いた。

「向こうの空も、、、青いのね。」

彼女のふらついていた足は、最後の力を振り絞るが如く、しっかりと地を蹴り出した。

そして、遂に、、、、
坂の頂上に、この世との境界線に、船首が触れた。

坂の向こう側は、登りきった頂上からでないと、その全容は見えない。

頂上から鳥瞰出来るのは、未知の世界。
それを見てしまえば、人間界の空を再び見ることは叶わなくなるだろう。

エリカは覚悟を決めて、瞳を閉じた。

いよいよ、船体が坂上に乗り上げる。
坂に隠されていた、向こうの世界が今、視野に入ろうとしていた。

新たな旅の幕開けである。

それは、魔界が向こう側ではなく、こちら側になる瞬間であった。

、、、、が!!

突如として現れた浮遊感が、船員を襲った。
この地を俯瞰する間もななかった。。。

船体が急降下していく。。。
頂上を越えたところは、水の急な下り坂となっていたのだ。

そうだと気づいた時には遅かった。

船員は次々と投げ出されていく。

それは相当数の隊員を失う出来事であった。

体重の軽い少女達3人、エリカ、マリア、アリスは、一気に吹き飛ばされていた。
が、
マリアはマストの棒に捕まることに成功し、
エリカは船室に逃げ込み、
アリスは、船尾へと投げ出されていく所を、リー大佐に救いあげられ、無事を確保した。

船員達が投げ出されたり、船の突起に捕まったりしている間、
フランチェスカは、甲板に辛うじて脚を付けていた。
それは、コロニーによる魔力のおかげであった。
らっかする寸前で、彼女はそれを悟り、電磁波の波動値を上げていたのだ。
それにより、細菌の自己防衛機能が働き、芽胞を形成、
遂には、魔力により船体を包むほどにまでに膨れ上がった。

今、船体は、真透明の守護膜により保護されている。
らっかによる浮遊は逃れられないが、船員が外に投げ出される心配はなくなったのだ。

フランチェスカの体も、保護空間の中で空に浮いていた。

彼女は、目を閉じて、一人呟いた。
「これで、全てのコロニーは完全消失。
私達に魔法を使える者はなくなりました。
ここから先は、魔法なしで、魔法の世界に挑まなければなりません。」



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