5章 狂笑病


笑い死に


悪夢とまではいかないが、睡眠中にうなされていたようだ。
完全に目が覚めてしまった。

ふと尿意を感じ、1人起きて、階下のトイレに向かう。
階段を降りた先の部屋には、鏡を手にした修道女がいた。

顔のベールをはがし、悩んでいるような表情をしている。

彼女は、エリカの存在に気づいてさっと鏡を隠した。

「、、、修道女さま、、、」
エリカは困惑した。

゛世間が望む、清廉潔白な修道女として、悩みを押し込んでいたのではないですか?゛

無神経な発言になるかもしれない。
とても言えない。

そう自問自答していたら、修道女が口を開いた。
「いけないですね。
修道女なのに、外見のことに悩むだなんて。」

エリカは、髪に手をやると、彼女の悲しい気持ちに触れたような気になった。

事故により呪いにかかった、奇抜な色になってしまった髪。

髪と顔では大きな違いがあるけれど、女性として、綺麗でいたい気持ちは同じだ。

エリカは言った。
「その何がいけないんでしょう。
修道女である前に、1人の人間、1人の女性ではないですか。
誰かを傷つけたりする願いではなければ、望んだっていいではありませんか。」

しかし修道女は、困ったように笑うだけであった。

その時であった。

玄関の扉を叩く音が響き渡った。

音の響きから、ただならぬ様子が伺える。

エリカが不安げな表情を浮かべる中、修道女が扉を開いた。

扉の外いたのは、この村の住民とおぼしき男性だった。
彼は冷や汗をかきながら崩れおちた。

「どうしたのです?」
修道女は屈み、男性の肩に手をかけ、静かに尋ねた。

男性は、呼吸が乱れるのもお構いなしに言った。

「狂笑病の感染者が出ました、、、、」

修道女の目が大きく見開かれる。

狂笑病、、、

エリカはふと、ふと、疫病の話を思い出した。
医女でもある修道女が根絶したという、かつて流行った病。。。

狂笑病とやらがその病ならば、復活してしまったということだろうか。

「狂笑病というのは確かなことですね。」
修道女が念押しするように言った。

「確かですよ!
明らかに見て分かる、特徴的な症状を目にして、疑いようがありません。
修道女さま!どうか、、、!どうかお救いください!!」

男性が懇願するように地面に頭をすり付けると、修道女は言った。

「とにかく、この通りの突き当たりにある一時隔離施設に、すぐさま患者を移してください。
必ず、患者とは距離を取って歩いてください。
私も準備次第、そちらに向かいます。」

「、、、分かりました。」
男性はそう言うと、おぼつかない脚のまま行ってしまった。

扉が閉まると、修道女は準備する様子もなく、呆然と立ち尽くしていた。

騒動で起きたのか、
「何事だ?」と船長が降りてくる。

エリカは修道女に、恐る恐る尋ねた。
「狂笑病、、、
聞いたことのない病です。」

修道女は、震える瞳でエリカを見て言った。
「こればかりは、医女とて、どうしようもないのです!
準備するというのは、、、申し訳ないのですが口から出任せです。

笑い死にする病です。

このような言い方をすると、滑稽な幸せ病のように思えますが、現実はその真逆です。

本人の意思と関係なく笑いが込み上げ、それに半年以上苦しみながら、最期は窒息死してしまうのです。

不思議なことに、栄養補給が一切出来ない状況であるにも関わらず、死ぬことなく長らく生き地獄を味わうこととなるのです。

患者の症状も、それを見る人にトラウマを植え付けるがごとく恐ろしいものです。

自然に出た笑いとは違い、狂ったような恐ろしい形相をしているのです。」

「病に名前がつけられているということは、以前も流行ったということですね?
いかにして、終息させたのですか?」

エリカが尋ねると、修道女は言った

「感染経路は、接触感染です。
そして細菌は、いかなる高温、いかなる強薬にも全く効果を示さないのです。

しかしそれは、突然にして消え去りました。

教会への祈りが通じたのかもしれません
つまり、出来ることは祈りだけです。」

「悪魔によるものと考えられます。」
と言う可愛らしい声が、エリカの背後から聞こえた。

振り向くと、マリアがいた。

いつの間に起きてきたのか、音もなく階下へ降りてきていた。

「、、、悪魔!?」
エリカが驚きの声をあげると、
マリアは静かに言った。
「症状を見る限り、ほぼ確実に悪魔です。
私は公国(科学支配の国)の者ですが、そう考えざるを得ない症例だと分かります。
ましてや、悪魔といった類いが実在すると分かった今、否定しきれません。」

エリカは再び、魔法と魔物の百科全書の一節を思い出した。
一気に顔が青ざめ、震える瞳でマリアを見つめる。
「だとしたら、、、、
尚更、何かしらの手を打たねばなりません!
悪魔に襲われ瀕死状態に至った際は、24時間以内に死ななければ、死後まで呪いを引きつぐことになのですから!」

「と悪魔が宣っているだけです
実際、死後の世界など、死んだ者にしか分かりません。」

マリアの言葉に押し黙る。

ふと彼女の腰にさしてある銃が目に入った。

エリカの頭に、魔の策が降臨する、、、

「ならば、」と言って、銃からマリアにゆっくりと視線を移す。

「ならば楽にしてあげるしかありません。」
エリカは静かに言った。

「おいおいおい!
勘弁してくれよ。
人助けの為の旅じゃないんだからな!」
船長がうんざりしたように言った。

しかし、マリアは銃を抜いていた。

「一発で逝かせることが出来るのですか?」
そう言いながら、マリアは引き金に指をかけた。。

銃口は何と、エリカに向けられた。

厳しく突き放すような口調に、エリカは一瞬怯む。

2人の間に、ぴんと張りつめた空気が流れた、、、

魔族でさえ敵わぬ相手に、自分たちが出来ることなど、これ以外には何もないのだ、、、

黙ったままのエリカに、マリアは静かに言った。
「先輩は、
手を汚す自分を受け入れることは出来るのですか?」
その口調は、責めるでもなく、諭すでもなく、全くの無感情だった。

エリカはもどかしげに返した。
「何で私をそんなにひ弱扱いするんですか?
ただの一度も、弱音なんて吐いたことありませんよね!?」

「先輩個人を弱く見ているわけではありません。
軍部以外の人間は、殆んどが、人を殺めたことがないからです。」

再び沈黙が訪れた。
、、、
、、、

「人を殺めるなど決してあってはなりません。
、、、と言いたいところですが、私もエリカさんに一票です。」
沈黙を破ってそう言ったのは、何と、修道女であった。

船長は大きなため息をついて言った。
「で、本人は良くとも、家族や友人はどうすんだ?」

「本人の意思が第一です。
笑いながらでも、短い言葉ならば発することが出来ます。」
修道女が船長を見て言った。

それから続けた。
「とは言え、家族や友人の気持ちも無下には出来ません。
感染症なので、隔離所に連れていくわけにはいきませんが、患者の意思を伝えてあげることは出来ます。」

「なるほどな、、、、
出来ることは、患者の意思を聞き出し、家族に伝え、
そして、殺ってほしい場合は」

「私が殺ります。」
船長の言葉に被さるように言ったのは、マリアであった。

「おい、どういう風の吹きまわしだよ。」

「私は最初から否定していません。」

「素人の行為に懸念していただけだとよ。」
船長がエリカを見て言った

「しかし先輩は、、、調教に関しては素人ではありません。」

「調教だと、、、?」

突然の話の飛躍に船長は怪訝な顔をしたが、
エリカはハッとした。

瀕死の動物を安楽死させる術を身につけていたのだ。
そのことはマリアは知らないが、エリカの技術に何か可能性を見いだしていることは確かだった。

「私も、色々な事情があって、安楽死に関しては熟達しています。」

肉体的苦痛。
その苦しみは、どんな生き物にも共通の本能的苦痛。
それだけは何があっても取り払ってあげるべきだ。
だから、瀕死の生き物を見つけたら、
エリカは自分の特技で、楽にしてあげてきた幼女時代があった。
ミミズであれ、ゴキであれ、、、

「それに関しては、、、聞かない方がよさそうだな。」
船長は何かを感じ取ったのか、そう言って言葉を濁した。

「お二方に感染した場合は、即刻殺ります。」
マリアが静かに言った。

「上等です。」

「死後まで呪われるよりはマシだな。」

「私は赤子がいるので出れません。
隔離所にいるパグという男性に、私の名を伝えて頼ってください。」
修道女にそう言って見送られ、3人は向かった。


感染した魔人


3人は、村の一本道を、教えられた通りに走っていた。
辺りの景色は少しずつ閑散としていく。
遂には建物が一切なくなり、
タイル張りの地面と、その上に敷かれた道だけになってしまった。

まるで、静かに衰退しゆく終末世界のように。。。

その寂しい道をひたすらに進む。

暫くすると、1本の裸木が行く手を阻むように生えていた。
そこより先は、道が途絶え、
見渡す限りに続く、荒廃した地が広がっていた。

隔離所らしい建物が見当たらない…。
検討外のことである。

裸木の前で、マリアが止まり、後ろに続いていた2人も止まった。

「恐らく、かつてはこの先も道が続いていたと思われます。」
マリアはそう言って、地面に視線を送った。
確かに、裸木の前で途絶えた道の端は、切断されたように歪な形をしていた。

「ならば、この道の延長線上を辿っていけば、辿り着くかもしれません。」
エリカが言った。

「だとしたら、普通そう説明するはずだ!!」
船長が、懐疑心と苛立ちを顕にして言った。
エリカは、彼の言葉に顔を曇らせたが、ハッとして言った。
「もしかして……修道女様が知る前に、ここで破壊的惨事が起こったのかもしれません。」

しかしその考えは、マリアによって否定された。
「それは考えられません。
この裸木だけが残っているのは不自然です。
例え、運良く切り株が残ったとしても、これだけの高さに成長するには、人間の寿命を越えてしまいます。」

続いてマリアは、懐から小さな何かを取り出した。
方位磁石である。
手の上に乗せ調節をする。

そして彼女は、荒れ地を真っ直ぐ見据えて言った。
「道の延長線上を進むなら、私達が進むべきは北です。」

エリカは即決した。
「北へ進みましょう…。
この件に関しては、不可解な点が多すぎます。
魔界の位置を突き止める手掛りになるかもしれません!」

しかし、マリアは眉を潜めた。
今の意見に反対なのだろうか…。

エリカはそう思ったが、マリアは違う意味で顔をしかめていたようだ。

彼女は、声を殺して言った。
「何者かの気配がします。」

予想外の言葉だった。
警戒して辺りを見回す。

、、、

確かに、何かがいる、、、。
陰鬱な風景による先入観などではない。

確かに、、、何かがいるのだ。

ふと、裸木に掛けられた、古びた標札が目に入る。

「生け贄の地。
誰かの犠牲の上に呪いが封じ込められる時、
悪魔でありながら、人間でもある化け物が誕生する」
エリカは思わず声に出して読み上げていた。

それからハッとして、2人を見る。

「ここですよ。生け贄の地は!
レイナ・マリンは、この地で沈んだんですよね。
そこには、この死領域を守る妖精、レイナがいる、、、!」
興奮気味に言うエリカ。

船長も、「だな。」と頷き、目の前の荒野を眺めて言った。
「しっかし生け贄の地という名に相応しい場所だな。」

彼は、表札に目を移すと小さく呟いた。
「この表札に書いてある化け物ってのは何だ?」

「、、、その化け物は、、、おそらく、ギャラクシアに棲ぐらう魔物と同類でしょう」
マリアが言った。

魔法学校ギャラクシアには、化け物がいる。
それは、悪魔と契約した元人間の成れの果て。
不死の肉体となり学園に囚われ、老化し劣化しつづけた末に、知性を失い化け物のような姿形になったのだ。

そして、この地では恐らく、悪魔との契約により生け贄が差し出された。
それは、ギャラクシアの化け物と同じような過程を辿り、ここに囚われ続けているのだと考えられる、、、。

エリカが固唾を呑んで言った。
「もしかして、以前、狂笑病を鎮火させたのは、、、何者かが、この地で生け贄を」

言葉が途中で途切れた。

その生け贄は、静かに視界に入っていた。

裸木から、こちらを覗く顔。
明らかに、人間のものではなかった。
普通の大きさではないのである。

それは、顔だけを木から出して、声もなく笑っていた。

その衝撃的な光景に、皆が言葉を失った。

化け物も、気味の悪い笑みを浮かべるだけで、動き始める様子を見せない。

両者は対峙したまま、硬直する。

、、、
、、、

暫くの沈黙の後、エリカが小さく声を発した。
「悪魔でないなら、物理攻撃が利くはずです。」
そう言いながら銃に手をかける。

しかし、マリアは手で制して言った。
「、、、恐らくこれが、狂笑病の生け贄だとしたら、感染しているはずです。
手にかけるべきではありません。」

「なら、どうしろと?
逃げますか?」
エリカが焦りを顕にすると、
マリアは張りつめた声で静かに言った。
「今は止まっているから対峙し続けているのでしょう。
逃げた途端、追いかけてくるかもしれません。」

船長が鼻で笑って言った。
「永遠にここで見つめ合うか?
それとも、誰かが囮にでもなってくれるのか?」
苛立ちと恐れを微かに秘めた口調である。

「逃げます!!!」
マリアが声を張り上げた。

「誰も囮にはなりませんからね!」
エリカは、そう船長に言うと覚悟を決めた。

3人は走り出した。。

裸木を通過して一気に駆け抜ける。

案の定、化け物は追ってきているようだ。
不気味な唸り声と共に、大地を這いつくばりながら進む音が聞こえる。

エリカは、走りながら振り返った。
しかし、その行為に激しく後悔した。
おぞましい全身像を目にしてしまったからだ。

笑みを浮かべたまま、こちらを凝視し、
顔から直接生えた手足で四つん這いになって迫りくる化け物。

目に焼き付けられるには、十分すぎる映像だ。

エリカは、もう振り返らず、前だけを見て走り続けた。

化け物は、速かった。
短距離ならば、逃げきれるだろう。
しかし、長距離は、人間の脚ではもたないだろう。

ましてや、目的地である隔離所が視界の中には見当たらないのだ。

どれほど走ったことだろう。

この地に脚を踏み入れ暫くしてから気づいたが、
地面には、不気味な斑模様が、見渡す限りに広がっていた。

それに対する疑問を、頭の片隅に抱きながらも、前を見て走り続ける。

マリアは勿論、船長もスタミナがもっていた。
2人はエリカより随分と先を走っている。
距離を離さずにはいてくれたのが唯一の慈悲だろう。

エリカは、走るのに精一杯だったが、微かに、船長への疑念が浮かんだ。
確かに航海士ならば、体力は必要だ。
だがしかし、こんなにも速く走れるものだろうか。

しかし直ぐに、頭の中は、疲労感と恐怖で埋め尽くされた。

化け物は執拗に追ってくる。

脇腹が痛み始め、喉の奥が嗄れてきた。

もう、限界だ…。

そう思った時、それらしき建物が見えてきた。

目処がたち、よろけていた脚に力が入る。

しかし、それは意外にも遠かった。
視界の端に見える物は、近そうに見えて、脚で行くには距離がある。

エリカは遂に、へたりこんだ。

ふと、ギャラクシアにいた頃のことが脳裏に浮かぶ。
目の前の化け物と同じ、悲しき囚われ人を、調教により封じ込めた時のことを。

エリカは、笛を取り出し奏でる。
この笛は特殊だ。
音は遠くまで響く。

開けた地で、音の波は広がっていき、マリアの鼓膜を振動させた。

マリアが、エリカの行為に気づく。

彼女は脚を止めて叫んだ。
「恐らく、狂笑病は神経をおかされる病!
音楽の効果は期待出来ません!!!」

しかし、肉声ではエリカの位置まで届かない。

一方で、エリカも調教が効かないことを早々に悟っていた。
その時、笛の記憶のついでかのように、再びギャラクシアからの土産品を思い出した。
シャツのポケットに手を入れる。

入っていた!

それは、粉末状の魔法酵素。
エリカは、それを口にした。

一般人でも一時的に、魔法の真似事が出来る酵素。
少しばかり超人化する程度でしかないが…。

経口摂取によるそれは、舌下吸収により血液内を巡り、数秒で細胞の受容体に結合する。
1つでも結合すれば効果を示す、恐ろしいほどの即効性を有していた。

気づくとエリカは、進行方向から外れ、右手に走っていた。
それは、今までの徒走とは想像もつかぬほどの速さ。

化け物は、エリカを追う。

エリカは銃を抜き、容赦なく銃弾を浴びせた。

血渋きが舞う。
化け物は外傷を負いながらも、速度をおとさない。

恐らく人間のような痛感はない。
ならば移動手段を断つしかない。

エリカは、手足に発砲した。
銃弾は全て命中。

噴射される血渋きを身軽にかわす。

そして、もう1つの銃、熱線銃を取り出し、最終的に切断。

血は噴水のように吹き出し、
エリカは、跳躍しながらそれを回避した。

血は地面を覆い尽くす。

遂に化け物はその場で崩れた。
もがきながら、動こうとしているが、追ってこれる様子がない。

どうやら、一時的ではあるが、猛追を封じ込めることに成功したようだ。
そのことを確認すると、エリカは再び2人の後を追おうとしたその時!!

決して銃などでは抗えないものが動き出した。
血である。
化け物から吹き出たその血は、意思があるかのように迫り来る。

予想外のことに頭が追い付かない…。

しかし突如、血が止まる。。。
そしてそれは地面に吸い込まれ、不気味な斑模様となった。
その模様は、この地に広がる謎の斑模様と同じものだった。
新たに追加され、元からあった模様の上に濃く描かれている。。。

何事かと辺りを見回すと、ずっと先を行っていたはずのマリアと船長がいた。

エリカの窮地に気づき、駆けつけてくれたのだろう。

「苦し紛れに使用した凝固剤が、効果を発揮しました。」
マリアが言った。

「血を、、、止めてくれたのですか?
なぜ凝固剤を持っているのですか?」
エリカは唖然としながら言った。

「軍人は常に多量出血に備えねばなりません。
これは、公国独自に開発した強力な薬ですから、直接圧迫より効力があります。」

それから、続けて言った。
「申し訳ありません。
最初から、化け物を仕留めるべきでした。
ここ一帯は、最初から汚染されていたようです。」

「最初から汚染、、、?」
エリカが首を傾げる。

「この地に広がる斑点模様は、この化け物の血が染み込んで出来たものに違いないでしょう。
これが感染していたとしたら、この辺り一体は既に汚染されていることになります。」
マリアはそう説明すると、
       エリカに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。」

マリアは相変わらず無感情に言ってのけたが、
そのきりっとした仕草は、洗練された軍人の体幹を感じさせた。

「い、いえ。ありがとうございます。」
エリカが圧倒されたように言った。

今や猛追してくるものは、何もない。
一時的にではあるが、完全に封じ込めたようだ。

その間に、建物へと急ぐ。

~~~~~~
約10分後、、、

「ウソ、、、でしょ?」
エリカは思わず口にしていた。

遂に、見えていた建物に着いたが、
それは、廃墟だったのだ。

「やっぱりあの女、嵌めやがったな!」
船長が確信したように言った。

「修道女様のこと?なぜですか?」
エリカが不安げに聞いた。

「分かるだろ?
こんな化け物がいることは一切言わなかったんだぞ!!?」

「知らなかったかもしれないではないですか」

「100歩譲ってそれが是としよう。
だが!隔離所がこんな廃墟だとか、えらく遠くにあるこに関しては何かしら言うだろ!普通は!」

「そ、それは…」
言葉をつまらせるエリカ。

しかしマリアは、躊躇することなく門をくぐっていた。

エリカも彼女に続くと、船長も渋々従った。

すると折よく、誘導者とおぼしき人物が出てきた。
その男はこちらに気づく。

「あんたがパグか?」
食い入るように聞く船長に、相手は戸惑う。
「そうだが、、、あんたら誰だ?」

「単刀直入に言うと、尊厳死のサポートに参りました。」
マリアはそう言うと、怒濤の早口で状況を説明した。
「修道女様の許可を得ています。安楽死の選択と、その手伝いをするのです。」

「は、、、はぁ、、、。」
男が飲み込めずにいる。

「ここ一帯に化け物が徘徊していることは、知っていますか?」
エリカがバグに聞いた。

「知ってるよ。」
そう答えると、バグは3人を見回しながら重い口調で言った。
「言っておくが、接触感染じゃないぞ。
突然変異か何か知らないが、空気感染になっていたんだ。
ここに来た付き添いが感染した」

エリカはさっと血の気が引くのを感じた。
「じゃあ、あなたも、感染してるの?
わ、、、私たちも!?」

しかし、空気感染でなくとも時既に遅しであったことに気づく。
汚染されたこの地面に接触してしまったからだ。

重々しい空気の中、マリアが口を開いた。
「どちらにしろ、患者は24時間以内に殺らなければ、死後も呪われる可能性があります。」

そして、構わずに「それでは、失礼します。」と中へ入っていく。
後を従うエリカ、船長。

「いや本当に、、、誰なんだ?」
1人取り残されたパグはそう呟いたものの、腑に落ちない様子で後を追う。

「殺るって……殺すのか?」
バグが歩きながら、マリアに尋ねた。

「殺します。」
マリアはきっぱり言い放つ。

バグはため息をついて言った。
「ここの村人はどんな理由であれ、殺人を糾弾する。
特にこの地ではな。」
バグはその言葉とは裏腹に、3人の行為に反対する素振りを見せなかった。

彼は続けて言う。
「ここは昔から生け贄を差し出す場として使われていんだ。
その怨念なのか知らないが、変な化け物がうろついているんだ。」

「では、他にも化け物がいるということですか?」
エリカが聞いた。

「分からない。
そもそも普段はここに立ち入らないし、頻出するものでもないだろうしな」

~~~~~

隔離所内では、既に患者が十数人ほどが拘束されていた。
炎で照らされただけの暗く陰気な石造りの広間に、数多の笑い声が響き渡っている。

「あまりにも、感染のスピードが速すぎる、、、
やはり、悪魔の仕業でしたね。」
エリカが、唖然として言った。

粒子爆弾

「発症から推察される潜伏期間を打ち出します。
患者の容態変化について、教えてください。」
マリアはバグを見て言った。

続いて、エリカと船長にも、冷静沈着な様子で指示を出す。
「お二方は、全員分の希望を聞き出してください。」

「お前らに付き合ってたら、解放される前に死にそうだな!」
死刑囚=船長は文句を垂れたが、指示に従おうとした。

しかし、エリカは立ち止まっていた。
名案を閃いたのだ。

「・・・待ってください?」

行こうとした船長が怪訝な顔で振り返り、マリアは「どうかしましたか?」と尋ねる。

エリカは、2人の顔を交互に見ながら言った。
「私は、先ほど、魔法酵素を摂取しました。
ギャラクシアにいた頃、酵素の力で体を治した経験もあります。
つまり、私が感染して治癒すれば、抗体を作り出すことが出来るのでは?

患者に摂取すべきですが、あいにく最後の一袋でしたので。」

船長は嘲笑って言った。
「自ら盾を買って出るとは、ありがたいヤツだ!」

それから、マリアに食い気味に問う。
「それで、そんなクソみたいな考えは効を奏すんだな!?」

「理論上はそうなりますが、、、酵素はあくまで、人間の意識を強化するだけ。
魔法となるには、魔法物理学の知識が必要なのです。
私たちは、それを習っていません。
つまり、先輩は、魔法ではなく、強い意思を持って病に抗わなければならないのです。」

マリアが静かに言うと、エリカは胸を張った。

「上等ですよ。
気概だけが唯一の取り柄ですから。

……あ、もう1つありました。

調教で、患者の冷静さを取り戻す試みをしてもよいですか?」

船長は目を見開いて、信じられないというように言った。
「正気か?奴等は病気で笑ってるんだ。
冷静になった所で、治らない!」

エリカは、反論した。
「勿論、意志に反した笑いではあります。
冷静になった所で笑いを抑えられるかは分かりません。
しかし、無理矢理にでも、脳を高揚状態にさせて笑いを誘引させるメカニズムだとしたら、、、
この笛は何らかの効力を発揮するはず。

最後の望みにかけて、治癒を試みてみます、、、」

マリアは、暫く怪訝な顔でエリカの顔を見つめていた。

しかし、
ワゴンの横に立ち、医療器具の中から、注射器を手に取ると、
「……分かりました。どちらも、お願いします。」
と一言添えて、注射器を手渡した。

エリカの腕に、患者の汚染された血が注入される。

3人それぞれの役割は分担されたのだ。

ようやく、隔離所での仕事が始まった。

~~~~~~

それから、、、、

隔離所内に、綺麗な横笛の音色が響き渡った。
エリカの奏でる曲だ。

推定感染時期の記された紙が、患者一人ひとりの拘束具に貼り付けられていく。
マリアによる調査の結果だ。

その紙の上に赤字で印がつけられていく。
船長が、患者の意思を表記したものだ。

そして、
全員分の聴取が終わる。
いよいよ、安楽死の実行に移る時がきた。

マリアは、
腰の銃を抜いて、それから懐からももう1つ取り出して、船長に手渡した。
「殺るならば銃殺で。
脳に血が巡っている内は意識が飛びません。」

マリアは、早速近くの患者の元に行き、最期の念押しをした。
「発症から24時間以上生きながらえた場合です。
あなたは、まだ、後1時間猶予があります。
今すぐら逝きますか?」

患者は目を剥いて叫ぶ。
「はや、早く、、、やって、やれ早く!!」

「分かりました。」と言い、
マリアは躊躇せず、銃口を向けた。
そして、最期の念押しをする。
「よろしいですね。」

患者は、尚も笑い続けている。
しかし、何も言葉を発っしようとしない。
狂喜の表情の中に、葛藤の影が浮かぶ。

「分かりました。」
マリアは、笑い続ける患者にそう答えると、銃口を下ろして、次の患者に同じく質問していく。

、、、、、、

「では、本当に、殺ります」
そうマリアが言う時が来た。

遂に、念押しにも迷いを見せない者が現れたのだ。
早く解放させてほしいという必死の叫び。
……

マリアは、その患者に銃口を向けた。

運命の瞬間は、もう既にそこにあった、、、

マリアの銃の引き金に、指が添えられる。

そして、、、

広間に銃声が響き渡った。

打たれた患者は、予想外の姿を見せた。

何と、体が膨張していくのだ。
風船のように、、、。

明らかに、銃撃による症状ではない。
狂笑病の末期症状なのだろうか。。。

皆、声を出せず唖然としている。

患者は膨張をやめない。
今にも張り裂けそうになっていき、
遂には元の体の2倍ほどの大きさになってしまった。

患者はもはや、人間とは思えぬほどの容姿になり、
うめき声と笑い声が混じった奇妙な声を発した。
変形した目の奥には苦悶の炎が宿っている。

その時であった。

パン!!!

大きな破裂音がしたかと思うと、体は急速に収縮していき、それと同時にうめき声は消えていく。

瞳に映る苦悶の色が消えた頃には、元の大きさ、容姿を取り戻していた。

患者は、もう笑っていなかった。

呆然としながら立ち尽くしている。

「……………え?治ったの?」
エリカが呆気に取られて言う。

「銃で打てば治るのか?」
船長が呟く。

「まさか……どういう機序なのよ……」
エリカが、渇いた声で言った。

バグは、きょとんとしている患者に近づいて言った。
「7+5は?
あなたの名前は?」

患者は、聞かれるがままに答える。
「12
マルコム・ミル」

「脳に、、、異常はありませんね。」
バグが言う。

「本当に、、、治った、、、のか?」
船長が呆気にとられたように言う。

「調教が効いた?」
船長が、半ば疑念を交えつつも、感心した様子で、エリカを見た。

「それはありません。
調教はあくまで心を導くもの。
銃で打たれた外傷までも治癒することは、その範疇を越えています。」
エリカが言った。

「前言撤回だ!」
船長が独り言のように言ったその姿を見て、エリカは吹き出した。

「笑い所じゃないだろ。」

そう言った船長をよそに、エリカは抑えきれないほどの高揚感が込み上げてくるのを感じていた。

おかしい、何もかもが笑える。
笑わされているんじゃなくて、おかしいから笑っているのだ。
それなのに、心の底からの笑いではなかった。
心を操られているかのように、不自然な感情の起伏、、、。

笑いに伴い、いつしか横隔膜が痙攣していた。

エリカが、ただならぬ表情で口角をあげている様子にみなが気づく。

狂笑病に感染し発症にまで至ったことを悟った。

船長が恐れを成して、エリカを避けるように後退りして言った。
「潜伏期間が短かすぎだ。
いくら血液媒介とはいえ……早すぎるたろ…!」

その驚異に、みなが聴取の手を止めた。
マリアでさえも。

マリアは、静かに言った。
「打ったのは、私ではありません。」

「急に何だよ。」
船長が苛立ちと焦りを顕にすると、マリアは答えた。
「ですから、先ほどの患者を打ったのは私ではありません。」

「そりゃそうだ、注射を打ったのは」
そう言いかけた船長の顔は、みりみる内に青ざめていく。
「今頃になって言うな………!
発疱したのはお前じゃないなら、誰なんだよ!」

「弾丸はあちらから飛んできました。」
マリアが視線を斜め上に向ける。

「それが黙視出来るなら早く言え!」
船長は恫喝しながら、恐る恐る彼女の視線を辿った。

打ったのは敵か見方か、、、。

視線の先は吹き抜けの2階。
そこに複数の軍人が控えていた。
帝国の服を身にまとっている。

「帝国軍だ、、、!」
患者とバグが、畏怖の表情を見せた。

彼らの先頭には、軍人らを先導していると思われる、長身の女性が立っていた。

その女性は、階段を優雅に降りてきた。

ワンピースに白衣の出で立ちで現れた、柔和で優しそうな顔立ちの長身美女。

3人に旅を命じた公国最高峰の研究長フランチェスカ・フランソワーである。

フランチェスカは優しげに言った。
「お待たせ致しました。
ギャラクシアでの案件は済みました故、同行しに来ましたよ。」

続いて、懐から、小さな縦長の丸い物体を取り出し、微笑を皆に向けながら言った。
「特効薬を持って来ましたよ。」

彼女は微笑を浮かべたまま、意味深な様子で言った。
「助手2人と囚人を探すついでに、良い被験体を見つけました。」

「被験体、、、だと?!」
船長が、意表をつかれたように言うと、フランチェスカは言った。

「ですから、この特効薬は試験段階のものです。

失敗すれば、体が散り散りに崩壊するだけでなく、最悪の場合、想像もつかないほどに大規模な爆発が起こります。

それでも、やりますか?」

「皇女様、お聞かせください。
その薬は、どのような原理でマルコムを治癒させたのですか?」
バグが尋ねた。
彼は、帝国軍を引き連れているフランチェスカを皇女か何かだと勘違いしているようだ。

フランチェスカは、真顔で恐ろしい一言を発した。
「この特効薬は、端的に言えば、、、

粒子爆弾です。」

その場に戦慄が走る。
緊張の空気が更に張りつめていく。

「粒子、、、爆弾だと!?」
船長が、声を上げた。

フランチェスカは話し始めた。
「悪魔の存在は、実態のない幻覚。
故に物理行使は効きません。
悪魔が物理攻撃以外で直接私たちを襲う場合、つまり病などですね、
その場合、自身の幻覚によって苦しめられているのです。
つまり、自傷行為です。
しかしそれは、死体解剖してみて初めて分かることなのです。
私たちは、共通に見える幻覚によって、自分を自分で呪っているのです。

しかし、
その呪いが、細菌など、現実世界の物質を介して発動した場合は異なります。

呪いが物質化したわけですから、理論上、物理的に退治することは出来ます。

しかし、それに必要なエネルギーは天文学的数値。
現実的には、ふ可能、、、”でした”

しかし私は、原子よりも小さい粒子を破壊する、粒子爆弾の精製に成功し、その天文学的数値を打ち破りました。
今行ったのは、爆弾による多大な力で、細菌を死滅させるという荒療治。

みなさん!喜ぶのです!
机上の空論が現実化したのですよ。

一歩間違えば、核爆弾より更に規模の大きな爆発が生じるところでした。

但し、これを作るには、膨大な精神力を集約しなければならず、量産出来ません。」

「今成功しただろ!」

船長が必死の形相で叫ぶと、フランチェスカはまったりとした口調で答えた。

「、、、それは、調教があったからかもしれません。
その調教師は今、ご覧の状況です。」

「逆だろ!
調教がなければもっと静かに治療出来たはずだ。

曲が悪魔を押さえ込んでいたんだぞ?
爆弾のエネルギーを吸収するはずの悪魔がな!」

フランチェスカは、「ほう。」と悠長に感嘆して言った。
「それもその通りですが、、、
やってみないと何事も分かりません。」

誰も何も言えずにいる。

辺りは、狂った笑い声が響き渡っている。
この凍りついた場面では、それがより鮮明に聞こえるもいた。

「早く決断してください。」
フランチェスカが畳み掛けるように言った。

「、、、」

尚も沈黙が続くと、フランチェスカは言った。

「仕方ありませんね。」

そう言うと、丸いその物体を銃に入れ、2人目の患者に銃口を向けて躊躇なく発砲した。

患者の体は、膨れ上がっていく。

止まることなく先ほどよりも数倍に膨張していく。。。

「やはり、、、無理矢理症状を押さえ込んだ為に、逆に細菌が活性化していたようです。
だから、私の発砲を吸収することが出来た。
でも今はどうでしょう。」

フランチェスカが患者を見上げて言った。


赤子の血


隔離所内で、一際大きな音が響き渡った。

その爆音に、皆が耳を押さえる。

フランチェスカやマリアでさえも、、、

いよいよ、世の行く末が決まる、、、

そこには、、、、

元どおりの姿形の患者がいた。

しかし、先ほどの患者よりもずっと容態が悪そうだった。

「激しい爆発の副作用がないわけはありませんね。」
フランチェスカはにやりと笑った。

つまり、治療は成功したのである。

みな唖然としている中で、フランチェスカはお構いなしに3人目の患者にも銃を向ける。

「これで!」「悪魔からの」「呪縛から」「解放されますよ」

一言ずつ添えながら発疱していくフランチェスカ。

広間は、膨れては破裂する人間のうめき声と破裂音、発症中の人間の笑い声が響き渡るカオスと化していた。

そして、うめき声が消え、1人の笑い声だけになった頃、エリカは最後の患者として銃口を向けられた。

それを制した者がいた。
「待て!
こいつは、体内で抗体を作っているんだぞ!!
自力で治癒させるんだ!!」
そう声を荒らげて、フランチェスカを睨み付けたのは、船長である。

フランチェスカは、船長をまじまじと見つめて笑みを浮かべた。
「先程からお話していてもしやと思いましたが、、、あなたが死刑囚さん?
初めまして。
旅の協力を条件に解放したのですから、役目は果たしてくださいね。」

船長は鼻で笑って言った。
「死刑囚はやめろ!船長だ!
その魔界の入り口とやらは、海のど真中にあることだけは分かっているんだ!?
そんなバカげた旅に同行出来る航海術を持ち合わせているのはオレだけだ!」

「船長さん、広い広い海の上のどこにあるのでしょう。
その場所を突き止める為に貴女方をこの地に派遣したのですが、見つかりましたか?」
そう言うと、フランチェスカは不審な目を船長に向けた。
「あなたは、私達のお仲間ではないようですね。」

「当たり前だ。
利害の一致で同行してるだけだ。」
船長は、薄ら笑いを浮かべながら言った。

2人は対峙し、空気が張り詰める。

、、、、、、

「研究長、24時間以内には、先輩を治療するか殺るかの決断をしなければなりません。」
両者の間の緊張を絶つように、マリアが言った。

フランチェスカはくすりと笑って、それに答える。
「分かっていますよ。
ですが、その必要はなさそうですよ。」

エリカの引き笑いは、徐々に治まっていたのだ。

皆がその様子を見守る。

エリカは今、沸き起こる高揚感が落ちつきつつあるのを感じていた。

そして、完全に平常通りの安定した精神に戻る。

一度呼吸を整えると、エリカは言った。

「どうやら、、、治ったみたいです。
予想より短時間ですんなりと、、、」

自分自身でも信じられない出来事だった。

「お、恐ろしいヤツだな!」
船長が引いたように言う。

「感謝してくださいね。
抗体が生成できたはずです。多分。」
エリカはそう言うと、
「一刻も早く、打ちましょう。
ここにいる人達は感染してしまっているはずです。」とマリアを見て促す。

ところが、マリアは首を振って言った。
「直ぐには出来ません。
血液型が適合しない場合もあります。
抗体のみを抽出するには、特殊な措置が必要です。」

「安心してください。
ここに、簡易的に抗体のみを抽出出来る試験管があります。」
そう言ったのはフランチェスカ。

彼女は、指の間に挟んだ4本の試験管を見せびらかした。

そしてそれを、瓶の隣に置く。
瓶には、採取したばかりの、エリカの血液が入っている。

皆が思いがけない話に硬直している中、先陣を切ったのはマリアだった。

マリアは血液を試験管に入れると撹拌し、自身の上腕に注射する。

しかし、彼女以外はみな不審な目を向けている。

フランチェスカは皆を見回して言った。

「……どうしたのです?
早く打たないと、死にますよ。」

「なぜだ?なぜお前は、そんなもの持ってるんだよ。
誰かが抗体を精製することを予想していまのか?」
船長が、皆の疑念を代弁した。

「私自身の体で精製するつもりでしたが、ブラウニーさんが先に自身の体を使ってくれました。」
フランチェスカが落ち着き払って答えるも、船長は糾弾を止めない。
「その試験管もお前が開発したのか?」

「いいえ。」と首を振ったフランチェスカ。「この試験管は、狂笑病菌を作り出した人物により、開発されました。」

「菌を作り出した人物?
悪魔の仕業じゃないのか?」

「それをお話する前に一言。
さっさと打ってくれます?」

フランチェスカのこの言葉に、船長は苦い顔をした。
そして、マリアの次に続き、渋々ながら抗体が注射する。

他の者達も、船長に倣い、半信半疑な様子で打ち出す。

その様子を見届けつつ、フランチェスカは話し始めた。
「今対峙したのは、患者の中にいた、悪魔に準ずるものでした。

そしてこの村にある、もうひとつの、悪魔に準ずるものを連れてきました。」

そう言うと、フランチェスカは控えていた軍人に視線を送り指示を出す。

彼らの中から1人の女性が引っ張り出された。

その人物に、
エリカは目を疑ったが、船長とマリアは想定内だとでもいうように目が座っていた。

修道女である。

フランチェスカは、3人それぞれの反応を楽しむかのように見回すと、懐から何やら取り出した。

それは、彼女のような人間が決して手にしないであろう書物、聖典だった。
聖典は読み上げられる。
「悪魔は、醜い感情が具現化したものであり、
妖精は、慈悲の感情が具現化したもの。

魔物の生みの親は人間の感情であり、
誕生した後に、心の扉から魔界へと放たれる、そう考える学者もいます。

しかし、その悪の心を実践してしまえば、その人物が悪魔に準ずるものになってしまうのです。
多少のことなれば、善の心と均衡を保ち、悪人などという類いにはなりません。
逆を言えば、均衡が崩れ、悪に傾けば、じわりじわりと悪の心に蝕まれていきます。

極度に善に傾いてしまった時もまた然り
むしろそちらの方が、一気に坂を転げるように、、、悪に染まっていくでしょう。
または、善と悪に激しく揺れ動く時も、非常に危険な状態です。

あなたは、悪魔と契約し、代償として民を犠牲にしましたね。」

ここで言葉を切ったフランチェスカ。
まるで、朗読の一部かのように言ってのけたが、
最後の言葉は、修道女に向けられていた。

動揺を示す彼女に、フランチェスカは容赦なく続けた。
「医女でもあるあなたに課せられた代償は、最強の病原菌を作り出し、蔓延させること。
悪魔にとっては、修道女だけでなく、医師としての志をも踏みにじることの出来る、美味しい餌です。」

それからフランチェスカは、後ろの軍人に手招きをした。
帝国軍をまるで、自国の従軍かのように扱い、持ってこさせたのは、何かの資料だった。
彼女は、それを奪うように取ると、修道女に見せつけた。
「暴露前の接種により死亡率が抑えられるのに加え、血液感染なのでパンデミックを管理しやすい。
あなたは、狂犬病ウィルスを選んだ。
そしてそれを細菌化し、自己増殖可能にした、狂犬菌を作りあげた。

まぁギャラクシアの研究者顔負けの才能ではないですか。

あなたは、狂犬菌を、魔力に晒し、それに耐えた菌を抽出、培養、抽出、培養、、、と繰り返した。
そうしている内に、それは本来の病症とは大きくかけはなれた狂笑病の菌となったわけですよ。
そうとは知らないあなたは、それを悪魔に献上し、伝染病が始まった。」

修道女は、何もかも諦めたように、空っぽな瞳で話した。
「、、、
おっしゃる通りです。

管理出来ると思ったのです。
悪魔など、手玉にとることが出来ると。
でも、そんなのは私の傲慢な考えでした。
契約は悪魔とて逆らえず、何らかの強い力が働き、両者とも強制的に守らされるのです。

私は罪悪感にさいなまれ、契約を撤回しました。
ですが、強力な力が働く契約とは違い、撤回については、只の口約束にしか過ぎないのです。

勿論、悪魔ですから、約束など守りません。
こうして、忘れた頃に、狂笑病を流行らせたのですから。」

フランチェスカは、張り付いたような笑顔で尋ねた。
「興味本位にお聞きしたいのですが、
どのような契約をしたのです?」

修道女は、声を絞り出した。
「私は、
人々の為に全てを捧げているつもりでした。
しかし、崇め奉られる内に、保身に走るようになったのです。
特に、容姿に関しては。

ベールを外した私を見て、肖像画との差異の大きさにみな強い嫌悪を示すのです。
ですから、美を対価に契約をしました。」

フランチェスカは聞きながら、次第に苛立ちを見せ始めた。
それから、問いただす。
「なるほど。
それで、今後あなたはどうするおつもりですか?
勿論わたくしは、帝国側に告訴しなければなりません。」

修道女は静かに答えた。
「勿論、その覚悟は出来ています。
その前に、差し出がましいことを承知でお願いがあります。
抗体を島民に注射してください。」

「、、、え?」
エリカが思わず声を上げた。

「やっっっっと、教えてくれましたか。」
フランチェスカは溜め込んでいた苛立ちを全てこの言葉で表出しきると、
静かに言った。
「細菌が死滅したのは、患者の体の中だけだということですよね。
今もこの空気中にはまだ漂っているでしょう。」

エリカはハッとした。
確かに、爆弾で細菌を死滅させたのは患者の体内に過ぎない。

「早く出ましょう!!」
焦りを見せたエリカ。

フランチェスカは、修道女をまっすぐ見て言った。
「無駄です。
もう十分暴露してますから。
それに、ブラウニーさん1人の体では、島民全員分の量に達しません。」

修道女は、低い声で言った。
「私が育てている赤子です、、、
あの子の血は、抗体を増幅させる力があるのです。」

フランチェスカは、目を光らせた。
「魔族にも、この力があるとされています。
それが、魔力に抗う生命力の源だと。」

エリカが恐る恐る言った。
「じゃあ、あの子はやっぱり、皇族の、、、」
「とにかく急ぎますよ。」と、フランチェスカはその言葉を遮った。

その時であった!!!!

高らかな笑い声が響き渡った。
狂笑病が再発したか、新たな感染者が現れたのか、、、!


悪の皮を被った善人

笑っていたのは、修道女だった。

誰もが、彼女が感染したと思ったが、すぐに違うと気づく。
その笑いは、狂気帯びていたが、病症とはどこか異なる。

「私が悪魔に準ずる物ですって!?」
修道女はそう叫びながら、けたけたと笑う。

彼女を拘束していた軍人が警戒し、その手に力を込めた。

それにも屈服することなく、彼女は嘲笑って叫ぶ。
「本物の悪魔がここにいるとも知らずに……!!」

そして、怪訝な顔を向ける者達に、脅迫した。
「さっき話したことは事実よ。
でも、生きて還さないわよ!」

「本物の悪魔がいる?」
エリカが呟くと、
マリアが静かに言った。
「人間に化けてる可能性があります。」

その言葉に不穏な空気が漂い始めた。

この場にいる全員が、互いに警戒しあい、疑いの目で皆を見回した。

その中で、
1人の人間が、顔色を変え、小さく痙攣していた。
焦点の合わぬ目、土気色の肌

突発的な体調不良かのように、痙攣は次第に強くなっていく。

それは、ここの案内人、バグであった。

皆が彼の様子に気づいた時、彼は刃物を手にエリカに迫っていた。

避けることが出来ない!
先ほどのように、超人的身体能力が目覚めないのだ…。
魔法酵素の効力は、既に使いきってしまったようだ。

エリカは腕を掴まれてしまった。
バグはエリカの腰の銃を抜きながら、刃物を振りおろす。

その瞬間、バグの手から銃器と刃物が音を立てておちる。
彼の腹部には風穴が空いていた。

銃弾によるものである。
発砲したのはマリア。

彼女は容赦なく、次の銃弾をかましたが、それは交わされた。
バグは、尋常ではないほどに機敏な動きを見せた。

マリアは、躊躇せずに発砲していくも、彼はおちた銃器を広いあげながら攻撃をかいくぐる。

一歩遅れて、帝国軍も参戦するも、彼は銃弾の嵐の中をすり抜けていく。

「バグって奴の体は身軽だな!」
邪悪な笑みを浮かべてそう叫び、バグ=悪魔は、マリアだけを集中的に狙いながら逆襲した。
彼女の銃弾だけが、体を掠っていくからだ。

「人間の皮を被っている内に仕止めなさい!
悪魔になられては、太刀打ち出来ません!!」
フランチェスカがそう叫んだ時、地響きと共に柱が崩壊した。

瓦礫が散乱し、何人かの体に命中、重症をおってしまった。

柱を壊したのは、うねうねと動く巨大な爬虫類。

大蛇である。

人間のバグの体を食い破り、姿を現したのだ。

蝋燭がおち、広間が炎上する。

「撤退!!!
その女も連れなさい!」
フランチェスカの掛け声と共に、従軍は、修道女を連行しながら外に避難する。

それにエリカ、マリア、船長が追う。
、、、それから患者も。

瓦礫の下敷きになった重症者を置き去りにして、、、。

~~~~

外には、数台のガソリン車が停車してあった。

「全員乗車を許可します!」
フランチェスカはそう叫びながら、我先にと乗り込み、彼女に続いた従軍により、発車される。

マリアは、残った車の運転席に乗り込み、エリカ、船長も同車する。
そこへ、、、従軍2人に囚われた修道女も乗り込んできた。
これで満員だ。
修道女は、手錠により両手を座席に拘束された。
旅人3人に加え、軍人2人と修道女は、同じ車で運命を共することとなった。

他生存者達も、残りの車に乗り込み、それに続いた。
村人の乗る車を運転していたのは、分散した帝国軍。

「一体どうやって動いているんだ?」
緊急時の中、何人かが物珍しげに車を身は回していた。

この島の住人は車を運転したこともなければ見たこともないのだ。

一方で、大蛇は巨大化していた。
廃墟の窓から顔を出し、長い体をくねらせて柱を破壊。
建物は遂に倒壊した。

おちる瓦礫の中から全身を顕にすると、大蛇は地面を這いだした。

逃げていた車に魔の手が迫る、、、!

しかし巨体故か動きが遅い。
大蛇は重そうに体をくねらせていた。

全ての車は、次第に距離を離していく。

そして視界の中からは、大蛇が消え去った。

一先ず、一時の安堵を得る。

、、、
と思ったのもつかの間!
運転手のマリアは顔つきを変え、ハンドルを切った。
車は急旋回し、乗員はよろめく。

事態を把握する前に、窓に風穴が空いた。
銃弾だ。

それを皮切りに、何者かによる銃撃が始まった。
いくつもいくつも、弾丸を浴びせられ、
反撃する間もない。
皆頭を低くした。

一体誰が攻撃しているのか、、、

エリカは、そっと顔をあげて窓の外を見た。

どうやら、銃弾は、並走していた車からきていたようだ。

その車に乗る者は、大半が村人だった。

「あいつらも、悪魔かもしれん!」
「殺られる前に殺れー!」
「修道女とは名ばかりな!」

それは、半狂乱になった村人達による襲撃だった。
運転手の軍人は、人数的にも彼らを止められずにいる。

マリアの運転により、車は可憐に避けるも、何発かは窓ガラスに食い込んでしまった。
運転手でない者達が、彼等を抑えるべきだが、窓を開けるわけにもいかない。。。
マリアの運転に全てを任せるより他なかった。

「なぜ、只の村人があんな沢山銃を持っているの?」
そうエリカが疑問を口にした時、
座席下の銃器に気がつく。

その瞬間!!窓がついに粉砕した。

皆、両手で頭をかばって伏せる。

窓がなくなった今、防げるものは何もない。

こちらからの逆襲が始まった。

軍人に対して向こうは素人。

1人、また1人と、村人は倒れていく。。。

運転席の軍人も、流れ弾により死んでしまい、
あっという間に無人車となった。

運転手のいなくなった車は、走行を止めて、エリカの視界の隅に消え、、、
                                     ようとしていた。

しかし、視界から消える前に、その車は物理的に消えた。

それは、一瞬の出来事だった。

車ごと喰われたのだ。
大口を開けた化け物によって、ひと呑みに、、、。

それは、来るときに、一時的に動きを封じ込めたあの化け物である。

その時とは想像もつかぬ速さで走っている。
車をも凌駕してしまうほどの脚力である。

笑っているように見える巨大な顔は、
  四つ這いを続け、別の車に狙いを定めた。

それは、フランチェスカの乗る車だった。

「研究長の乗る車が!」
エリカは思わず叫んだ。

化け物は大口を開け、今にも飲み込もうとしている。

マリアが後ろ手で発砲、
斜め後方にいた化け物にそれは命中した。
化け物がよろめき、僅かに動きが遅れる。

しかし、車との距離は離れない。

マリアは、メーター一杯に飛ばし、他の者は銃撃により、化け物の銃傷を試みる。

しかし、こちら側も動いているゆえに、焦点が定まらない。

何発かが、化け物でなく、
フランチェスカの乗る車の方に当たった。

「流れ弾が、研究長に当たります!
照準器はないのですか!?」
エリカが叫ぶ。

混乱する車内。

「公国民が偉そうに命令するな!」
同車する軍人がエリカに銃口を向けた。

咄嗟に避けて、相手の腕を撃ち抜く。
銃は軍人の手からおちるも、彼は恨めしい顔でエリカを睨み付けた。

もう1人の軍人が瞬時にエリカを狙って銃口を向けたが遅かった。

次の瞬間に、2人の軍人は前頭部を撃ち抜かれ絶命した。
打ったのは船長。

彼は、エリカの胸ぐらを掴み恫喝した。
「公国の研究者は護身術を身に付けてるそうだな!
護身とは護心か?
さっさと殺るんだよ!
中途半端が1番迷惑なんだよ!」

その気迫に圧されエリカは頷いた。
正論といえば正論だ。
必要悪とも言える…。

その後は、やけに平穏だった。
仮初めの平穏だ。
人間どうしの争いは途絶え妙に静かになった。
が、
化け物が迫りくる惨状は変わらない。

どれほど走ったことだろうか。

化け物はフランチェスカの車を執拗に狙うが、距離は縮まりも離れもしない。

そして遂に、裸木が見えてきた。
この荒れ野と人間の道との境目。

しかし、ここを越えた所で安全は保証されないだろう。
最悪の場合、村に化け物を呼び寄せることになる…。

エリカはそう懸念しながらも、希望を胸に、只ひたすらに前を見つめた。

しかし車が突然、スピードをおとす。

「パンクしました。」

マリアが言った。

恐ろしい一言だった。

化け物がこちらに標的を変えてしまった、、、。
物凄い速さで迫り来る。

次第に距離を縮めていき、遂に逃れられぬ位置に来た。

もはや、出来ることは何もなかった。

しかし、化け物は不可解な動きを見せた。
車と並走し始めたのだ。
笑ったように見える、巨大な顔だけをこちらに向けて…。

エリカも船長も、その顔に銃口を向けた。
発砲する。
マリアも後ろ手で銃を持ち参戦。
しかし、発砲し続けても、何故か、効かない!

遂に、化け物が大口を開ける。
今度こそ、本当に喰われる、、、!

その時、か細い声がした。

『待って…待ってそっちに行かないで!』

それは、化け物の口の中から聞こえた。
エリカは目を凝らして、その口蓋の奥を見つめる。
そして、思わず身を引いてしまった。。
人間の顔が埋もれていたのだ。

他の者達もそれに気づき、声をあげる。

口の中にある人間の顔……

その衝撃的な光景に、誰よりも恐れを顕にした者がいた。

修道女である。

彼女は、声を振るわせながら叫んだ。
「わ、わ、わ私を恨んでいるの?
あなたを、あなたを、伝染病をとめる為の生け贄にしたから…!」

エリカは、ハッとして修道女を見た。
彼女は、かつて狂笑病を終息させるのに、祈りしかないと言っていた。
しかし、、、
村を守ったのは祈りではなく、悪魔との契約により捧げられた生け贄。。。

この化け物はやはり、元人間、、、。
つまり、生け贄。

化け物、いやその口の中に見える人間の顔に、エリカは再び目を向けた。

そこには、苦悶と悲しみの表情が見えた。

ギャラクシアにいた頃に化け物と同じ瞳をしている。

身も心も醜く変化していく苦しみ、葛藤。
そんな人間らしい感情が、化け物の皮の中に埋もれていたのだ。

その顔は訴えかけるように言った。
『あなたは何故修道女になったの?
崇めたて奉られて初心を忘れたの?
私が生け贄に選ばれた時、私の赤ちゃんを育ててくれると約束してくれたじゃない。
まさか、貴女が現況だったの!』

「ご、ごめ、ごめんなさ」
修道女は声にもならぬ声で謝罪するも、それは、化け物により遮られた。
『ここにいると、潜んでいた悪の心が剥き出しになる!
早く出なさい!』

突然、マリアが言った。
「ここは、狂笑病の菌に汚染されています。
隔離所を爆破してください。これで。
、、、とその化け物に伝えて託けてください。」

マリアが片手でエリカに手渡したのは、銃器。
しかし只の銃器ではない。
どこか見覚えがあった。

それは、フランチェスカが、粒子爆弾を発砲するのに使用した銃器だった。
恐らく、粒子爆弾の充填用に改良されたものだろう。

「研究長がおとしていった物です。
一発だけ残っています。
空気中に使用すれば、どれほどの規模になるか分かりません。
しかし、悪魔を退治する威力も、期待出来ます。」
マリアが言った。

彼女の示す悪魔とは、この目の前の化け物だけではなく、廃墟を崩壊させた大蛇のことだろう。
車の速さで撒くことが出来ているが、大蛇の悪魔はやがて村へと侵入してくるだろう。

「悪魔は、人間の幻覚です。退治など出来るのですか?」
エリカが問いかけた。

「皆に共通に見えるのが、幻覚ですか?
幻覚が廃墟を崩壊させますか?」
マリアは相変わらず無感情にそう言ったが、初めて反論らしい反論を見せた。

「幻覚だと証明されたと、ギャラクシアで習ったではありませんか!

悪魔を見ている人間の脳内解析で、視覚や聴覚が刺激されてないのに、視覚野や聴覚野が活性化しているのですよ?

なぜ、建物を倒壊させたり、物理的な被害をもたらすかは不明ですが、第五感による人間の自傷、他害行為だと言われています。」

「おっしゃる通り、悪魔の存在は第五感を示唆しています。
スピリチュアル的な意味ではなく、科学的に第五感は存在するはずです。
何らかの、物質でない何かが幻覚を見せている。
粒子爆弾は、物質の最小単位です。
それをうち壊せば、物質世界から解き放たれた何かが出現するはずです。」

「只のエネルギーに過ぎません。
エネルギーも物理世界の産物です。
ルイスさんは、何の権限で、多数の命を天秤にかけるようなことをするのです?」

「研究長は元々それが目的だったようです。」
マリアは、銃器に差し込んであったメモ書きを指差した。

エリカはそれを抜き取り確認する。
確かに、フランチェスカの字である。

「あぁ!もうお前らの口論には蕁麻疹が出るなぁ!
さっさと爆弾投下すればいいだろ?」
そう言って割って入ってきたのは船長。

彼はエリカの手から、銃器を奪うように取ると、化け物の方に顔を向けた。

しかし、一瞬怯んだように体を反らすと、修道女を見て言った。
「お前が渡せ!」

「……分かりました。
ですが、これを外してください。」
修道女はそう言って手錠を見せた。

「鍵はどこだ?」

船長がそう言った時、銃声と共に手錠が外れた。

エリカが発砲し、鎖を壊したのだ。
そして、修道女へと銃口を向け、警戒態勢をとりながら言った。

「粒子爆弾をつめた銃を渡してください。」

「…分かりました。」
修道女は、決意を固めたようにそう言うと、船長から銃器を受けとった。

人間の顔は、化け物の口の奥深くにある。
彼女は、銃器を手に、体を半分口の中へと入れた。

そして、目一杯に手を伸ばす。

修道女の顔と、化け物に埋もれた顔が見つめ合う。
その顔に、一瞬だけ、人間であった頃の優しい母親の片鱗が見えた。

修道女は、声を振り絞って言った。
「ごめんなさい。
このまま、私を喰い殺していいから、これで全てを終わらせて。」

その瞬間、人間の顔はみるみるうちに、憤怒の表情へと変わる。
『だめだ!
お前は、ここで死に逃げるつもりか!
苦しみの中で民に贖罪しろ!
許されぬと分かりながらも、ひたすらに贖罪しつづけろ!!!』

それは、幾重にも重なった、恐ろしい声だった。

修道女は、震え上がり、恐怖にすくみ、動けなくなってしまった。

人間の顔は、その様子を見て表情を和らげた。
それから、穏やかに言った。
『しかし、、、粒子爆弾の話は受理しましょう。』

そして顔は、銃器を口に咥えた。
修道女が手を離す。

粒子爆弾が受けとられたのだ。

「聞いて!!」と修道女が叫んだ。

「爆弾は島全体に及ぶかもしれない!
せめて、島民全員を避難させる猶予がほしい。
3日目の0時に、、、実行して。」
修道女が懇願するように言った。

その瞬間!
修道女は車内へと吹き飛んだ。
後頭部を強打し、意識を失う。

化け物は、大口を閉じると、張り付いた笑顔のまま、去っていった。

最後の願いは聞き届けられたであろうか…。


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