第4章 魔界の理


無の壁

エリカが見た魔法の雲は、西の妖精の国を浮遊していた。

雲の上は、建物の残骸が散らばり、惨状の跡を残していた。

その瓦礫の中から、1人の大人しそうな女性が助け起こされた。

女帝 ヴァイオレット・ギャラクシア・メイデン
(メイデン帝国の君主)

彼女は、引き連れて来た軍人に介抱されながら、雲の縁まで行き、空から世界を俯瞰した。

「これが、魔界、、、?」

見惚れながらそう呟く彼女の目線の先には、
絵に描いたような、美しく神秘的な世界が広がっていた。

空中には、揺れ動くリボンや色とりどりの滴達など、謎の浮遊物が漂い、
地上には美しい自然の中に、不思議な形の城が点在している。

ヴァイオレットは、暫く見入っていたが、ふと我を取り戻した。

「フランキー少佐!!
敵国の者達は!?」

厳しい声をあげる女帝の前に、ボブヘアの長身女性がやって来た。

ライラ・フランキー少佐

女性でありながら、男性顔負けの体格をもつ軍人。
公国から派遣された、女帝の護衛である。

彼女は、憂鬱な様子で言った。
「奴等は、この雲と分裂した残骸に乗り、飛んでいきました。
どこへ飛ばされたのか、生死なども不明な状態です。」

ヴァイオレットは、聞き終えると、苦い顔をして言った。
「……了解…」

それから、彼女は再び、雲の端から、この景色を展望し、圧倒されたように呟いた。

「まさに、あの絵本の世界そのまんま。
唯一の生還者が描いたというのは、事実だったようね。」

暫くの間、その壮大で美しい情景に目を奪われる。。。

が、ふと顔を曇らせて言った。
「絵本はどこかへ消え去ってしまったけれどね。
亡きお母様がよく読んでくれたのよ。

妹にも読んであげたかった……。」

すると、ヴァイオレットは、自分の言った最後の言葉にハッとした。
そして、フランキー小佐を見つめて問う。
「妹、、、、
宮殿に置いてきてしまったけれど、心配だわ。
まだ2歳なの。」

フランキー少佐は、渋る様子を見せた。
「陛下……」

その時、幼い声がした。

「ねぇね!」

声の方を見ると、軍人の1人に抱かれている幼女がいた。

皇族の末娘ジュリエッタである。

「ジュリエッタ!!」
ヴァイオレットはそう感嘆し、
その軍人の元へと駆け寄り、妹を受け取った。

「なぜ、こんな所に、、、?」
驚きを隠しきれない様子で、尋ねると、フランキー少佐は暗い表情で答えた。

「敵国の者達に、浚われていたのです。
申し訳ありません。
事態が安定するまで、陛下にも報告を控えさせていただきました。」

ヴァイオレットは、目を丸くして言った。
「幼子とは言え、よく人間1人を今まで私からも隠すことが出来たわね。

……妹を助けてくれたこと深く感謝します。」

その時であった。

1人の少女の叫び声がした。
少女は、真っ直ぐにヴァイオレットを見て怯えていた。

    ジャスミン・ベンジャミン
         (学生見習い・間諜)

敵国の間諜の罪で囚われた囚人だが、混乱の最中、軍人に連れられ同行していた少女である。

「ベンジャミン!暴れるな!!」
ジャスミンを押さえていた軍人が、更にその手を強めて言った。

ヴァイオレットは、彼女の元へ真っ直ぐに歩いていき尋ねた。
「あなたは、何に怯えているの?
私が怖いの?処刑されることに恐れているの?」

それから、大人に利用された少女を哀れむように言った。
「あなたが、こちら側へつくというなら、見逃します。」

しかし、ジャスミンの怯えた目は、ヴァイオレットではなく、その腕に抱かれた幼子に向けられていた。

「…ジュリエッタが怖いの??」
そう呟くとヴァイオレットは、
腕の中の可愛らしい顔を見て、困惑したように言った。

「確か、この子は、悪魔に襲われた時泣いて追い払った。
……この子は一体、何者なの、、、?」

それから、フランキー少佐を見て、疑念を口にした。
「なぜ、この子を今の今まで、私にも悟られることなく、隠すことができの?」

少佐は、しぶる様子を見せる。
が、口を割った。
「混乱の中、皇女様のお気を煩わせない…。
それが我々の役目でもありますから。」

そんな彼女を、ヴァイオレットは訝しげに見るのであった。


           ⛴


暗い森の中で、黒い大きな物体が横たわっていた。

一艘の船である。

黒焦げになり、原型を止めぬほどに損傷し、無惨な姿をしていた。

そう、それは公国の帆船。

樹海深くには不相応な物であり、陰鬱な森に相応な姿となりはててしまっていた。

辺りには、複数の人間達が、投げ倒されたように無防備な姿で横たわっている。

1人が起き上がって船を見つめていた。

それは、この船の舵を切っていた男である。
船長は、船乗りとしての憂いの念を口にした。

「なぜ、こんなことに………
俺たちはなぜ、無事だったんだ?」

その隣に、船の指揮官であった女性がやって来た。

フランチェスカは、船体に微笑を向けて言った。

「守護魔法により、高速による抑力と拮抗した圧力が生じていましたが、魔法が弱りかけた所にらっかの衝撃が加わり、圧力が分散し、船体は木っ端微塵。
投げ出された船員は、分散した圧力により、体のらっか速度が低下し、死傷することなく地上におりることが出来たようです」

「誰か、要約してくれ」

船長が呟くと、背後から現れた少女が話し始めた。

「つまり、船と共にらっかした人達は死にましたが、投げ出された私達は生きているということです」

そう言ったのはエリカである。 

「いや、それは見れば分かるんだが」  
船長が眉を潜めてそう返すと、
もう1人やって来た少女に尋ねた。

「ルイスさん。これはどういうことなんだ?」

マリアは、淡々と説明した。
「らっかにより、守護魔法の影響が、船体には裏目に出てしまいましたが、
付近に投げ出された者には守護の役割を果たしたということです」

「なるほど…」
納得したようにそう呟いた船長に、
エリカは怪訝な顔で言った。
「さっきの説明とさほど変わらなじゃないですか………」

その時、悲鳴が聞こえた。

「いやだー!放して!」
そう声を荒げながら暴れたのは、アリスであった。

彼女を抑えていたのは、リー大佐である。

アリスは、気が狂ったように叫んだ。
「こっち側に来たら、2度とあっち側に、西の世界には行けないの!!
ほら、見てよ!!東西を隔ててた滝がどこにもないでしょ?!
私達、滝でおちてきたのよ!?
なのに、その滝が跡形もないじゃないの!」

彼女の言う通り、辺り一面木しか見えない。
滝どころか、崖さえもなかった。
謎の川からおちてきたのだから、ここが崖下となるはずだが、その崖壁すらない。

「滝を登るのさえ難しいのに、それ自体消えたらどうすればいいのですか?
研究長!!!」
アリスがフランチェスカを見て訴えかけた。

フランチェスカは、煽るかのようにやけに悠長な態度で近づいていく。

そして、彼女を見下ろし、目をしばたかせながら言った。
「困りましたねぇ。
らっかの時に気づきましたが、この世界じゃ、重力に逆らうことは困難なようです。
つまり、何らかの方法により飛行したとしても、西側へ渡ることも出来ない。
そもそも、飛んだからといって、消えてしまった、隔たりの川が現れるとも限らない。」

アリスはその言葉を聞きながら、更に顔色を悪くしていき、
今まで以上に強く抵抗し、叫んだ。

「なら早く殺してください!!!」

フランチェスカは、その様子を眺めながら含み笑いを浮かべた。
「そうですねぇ、、、。
分かりました。
リー大佐!
泣き疲れたでしょうし、楽にしてあげてください」

アリスの動きがぴたりと止まり、絶望の顔になった。
まさか本当に、自身の発言が受理されるとは思ってもみなかったのだろう。

フランチェスカはくすりと笑って言うと、リー大佐に強い安定剤の入った注射器を手渡した。
「暫くの間、ですよ」

アリスの上腕に、大佐が注射針を挿入すると、彼女の目は次第にとろんとしていき、やがて眠りにおちた。

その時、フランチェスカの背後から、緊迫したエリカの声が響いた。
「研究長!!」

エリカが南を向いて言う。

「あれをご覧ください!」

全員が、遥か南に注目した。

それは、何とも形容しがたい光景であった。

通常、人間が普段見ている景色というのは、視力が及ぶ範囲ならばどこまでもずっと続いており、実際もそうである。

何か壁や隔たりがあったとしても、きちんとそれは、壁や隔たりが視界をふさいでいるように見え、その先にも空間が広がっているような感覚になるものだ。

しかし、今見ているのは、壁や隔たりではなく、明らかにその先はないと考えられるような決定的な視界の断絶。

その断絶は、黒い壁に見える?
はたまた、その先は、物体が一切無い、どこまでも透明な空間が続くのか?

いや、どちらでもなかった。
色も空間もない、完全な゛無゛

景色を断絶するように存在する゛無゛は、あらゆる言葉をもってしても、決して表現出来ることのない光景であった。

しかし、全員がそれは、゛無゛であることが、本能的に、感覚的に、分かってしまったのだ。

その不思議さに、一瞬心を奪われる一同。
だがしかし、直ぐに不可解なその壁に恐怖を顕にした。

ただ一人を除いて。

フランチェスカである。
彼女は、目を輝かせて言った。
「まるで、宇宙の果てのよう…」

完全に、探求心の餌に魅了されているようだ。

「ブラウニーさん」
珍しく、マリアからエリカに話しかけてきた。

「地図を見せてください」
というマリア。

疑問に思いながら、マリアの言葉に従う。

マリアは地図を受けとると暫くそれを見つめ、それからエリカを見て言った。

「この地図、微かに動いています。
地図全体が南側に下がっていき、南端の地が枠外に消え、北側の枠から新たな地が現れてきます」

エリカも地図を覗き込む。

確かに、、、マリアの言う通り、非常に僅かではあるが、枠が北へ向かっているかのように動いている。

「どういうこと?」
そう呟いて、眉間にシワを寄せているエリカ。

マリアはフランチェスカの元に行き、地図を見せた。
「南の果ての景色の断絶は、北へ北へと移動している可能性があります」

マリアの言葉を聞くと、フランチェスカは、遥か南を睨み付けながら言った。

「………なるほど
あれは、゛無の壁゛と呼ばれているようです、は、空間を侵食しながら、こちらへと向かっているわけですね」

地図の南側の枠には、皇族に代々伝わる魔界の言葉で、
゛無の壁゛と書かれていた。
フランチェスカは、いつの間にやら習得していたのだ。

彼女は、振り子時計を取り出し、地図の縮尺から、何やら計算し出した。

彼女は、出した算出結果を微笑を浮かべながら伝えた。

「光の速さで、あの、゛無の壁゛は、
     北へと迫り来ているようですよ。
 この場所も、3ヶ月と経たない内に消滅するでしょう」

誰しもが、彼女の計算の速さに驚く余裕など無いほどに、
深刻な現実を突きつけられることとなった。

「ひ、光の速さ!?」
エリカは思わず声をあげた。

対するフランチェスカは、悠長な様子てある。
「はい。光の速さです。」
と、涼しい顔をして言った。

「ここは一体何なんだよ!!」
船長が驚愕の表情を浮かべて言った。

「私達は、、、どうすればよいのでしょう…」
エリカが不安げに言う。

フランチェスカは、ふふふと笑って言った。
「光の速さに追いつかれる前に、それを超越する速さで北へと進む方法を考えるより他ありませんね。」

それから、顎に手を当てて伏し目がちに言った。
「現に、船は光速を超越していたのですから、何かしらの方法があるはずです。

それにしても不思議ですね。。。
光速を時間軸としたら、光速に近付くにつれ時間はゆっくりになり、光速で時間は止まる。

光速を越えたら時間はどうなるのか、、、。

船での私たちに流れた時間は何だったのでしょう。

何にせよ、北へ進む方法を考えなければなりません」

「、、、北、、、」
そう一言呟くと、
船長はコンパスを取り出し、様々な方向に動かしながら言った。

「そもそも、コンパスは、なぜ正常に方角を指し示しているんだ、、、?
明らかに元いた地球じゃないだろ?」

フランチェスカは首を振って言った。
「、、、分かりません。
地球のように、この地全体が磁石になっているかもしれませんね。
何にせよ、便宜上、無の壁と反対側を、北ということにしましょう。
そもそも、北という定義自体便宜上のものですから、何ら変わりありません」


                        ~~~🌹~~~

 
女帝ヴァイオレットとそのお付きを乗せた魔法の雲は、美しい西の世界の地へ降り、立ち消えた。

ようやく、地に足をつけた一同は、暫くその景色にみとれていた。

木の実が点在し、明るい日の光が降り注ぐ、不思議な森であった。

「あれは一体、何なのかしら」
そう言ったヴァイオレットの目線の先には、空間の断絶、゛無の壁゛があった。

みなが、その景色に注目していると、どこからともなく、儚い声がした。

「あれは、通称、゛無の壁゛。
地を侵食しながら、
 目にも止まらぬ速さでやって来る、恐ろしい壁」

下に目線を移すと、そこには見たこともない、不思議な造形をした花が咲いていた。
花には、目と口が存在しているが、グロテスクな姿ではない。
絵本の世界のように可愛らしい顔をしていた。
その花が話しているのだろうか…。

花は目線をヴァイオレットに向けている。
ヴァイオレットはその瞳に自我を感じた。

花の声だと確信する。

ヴァイオレットは、屈んでその花に話しかけた。
「どういうこと?」

「そのままの意味。
この場所も、直に侵食される、、、。」

花の口が開閉すると共に、美しい声が発せられた。

やはり、、、この花は話せるようだ。

ヴァイオレットは眉を潜める。

それから、震える声で尋ねた。
「、、、あなたも、消え去っていくの?
ここの魔物達も?

逃げないの?」

花は言った。

「私は、動くことの出来ない魔物だから、その時を待つだけ。
 けれども、それが出来る魔物は、みな侵食を逃れながら北へと進む。」

ヴァイオレットは、更に尋ねた。

「どのようにして?
魔物だから、瞬間移動出来るというのかしら。
人間は、魔法をもってしても、出来ないことがある。

それは、空間と時間の超越。

魔物ならば、それが可能になるというの?」

花は静かに答えた。

「全ての魔物が出来るとは限らない。
それに、瞬間移動出来るのは、ほんの僅かな距離。
けれども、それをいくつも連ねることにより、
侵食の速さよりも速く、動くことが出来る魔物がいる。
みな、それに乗って北へ逃げる」

ヴァイオレットが尋ねた。
「私達人間も、その魔物に乗ることが出来る?」

花は言った。

「それは、魔物の気分次第。
この地面の反対側の世界から来るその魔物は、
基本的には良心的だけれど、
この妖精の世界の住人のように、確固たる善の心を持たない」

ヴァイオレットが再び尋ねる。
「どのようにしたら、その魔物に会える?」

しかし、花は目を瞑って言った。

「逃げることが可能な妖精達に聞いて。
私は知らない」

ヴァイオレットは、暫く固まっていた。
彼女だけではない。
ここにいる皆が、今までの話に凍り付いている。

「……教えてくれて…ありがとう」
ヴァイオレットは、絞り出すような声で、やっと礼を述べた。

それから立ち上がろうとしたが、思いおこした様子で花に向かって言った。

「私達が、あなたを連れていくことも出来る。」

花は、首を振るような仕草で花弁を振って言った。

「それは出来ない。
私の根は、地中深くにあって、
それはこの地の反対側にある海まで続いて、
栄養分を吸いとっている。
その海の成分でしか、私は生きられない」

「……そうなの。
残念だわ」
ヴァイオレットが悲しげな顔で立ち上がった時、花が尋ねた。

「なぜ、ここへ来たの?
秘少石を探しに?」

秘少石という言葉に、ヴァイオレットの目が見開かれた。

「知っているの?
石は、どこにあるの、、、?」

花は言った。

「知らない。
過去に、人間が発明した石で、
   その力が魔界と人間界の扉を開いた。
その程度にしか、私はその石について知らない」

ヴァイオレットは、声をおとして言った。
「それについては、
フランチェスカ、、、っていう研究者がいるのたけど、彼女から聞いたから知っているわ。
ありがとう。
お礼に何かしたいのだけれど、、、」

花は言った。

「それなら、消滅を待つしかない哀れな私に冥途の土産を頂戴。
 なぜ、その石を探すの?」

ヴァイオレットは、その問いに意表を付かれたように一瞬固まった。 

それから、一言一言噛みしめるように声を発する。

「秘少石に、魔法の秘密があるから。

魔法を行使する時に、その石から来る光が、意識エネルギーに作用することで、魔力が生じることが分かったの。

石はたった1つしかないのに、光はまるで、瞬間移動したようにやって来る。

しかも不思議なことにその光は、素粒子がなく、全てが光なの。

つまり、私たちが定義する、光子で成る光とは全く別のものであるばかりか、物質という定義にすら当てはまらない。」

花は言った。


「……そう。
概ね理解したけど、
 素粒子などという物理用語は私達、魔物には分からないわ。
人間は、魔法物理学という物理学の延長線上にある学問をもって、
        魔法を扱うのだということは聞いている。
私達、魔物は何も考えることなく操れてしまうから、
 論理的思考は持ち合わせてない」

続けて花は言った。

「最期に、もう1つだけ聞かせて
なぜ、魔法の秘密を知りたいの?」

「それは、、、
魔法が消え去ってしまうのが怖いから。
魔法の原理は全ては解明されてない。
だからこそ、それを解明することで、魔法の存在を確固たるものにしたい」

ヴァイオレットの不安げに言うその表情を見て、花は納得したように言った。

「そう…。
謎が解けること、私も願う……。」

気づくと、花の顔は消えていた。
不思議な形だけれど、なんの変哲もない普通の花になっていた。


             🌲


別離

東世界の暗い森を、エリカ達は歩いていた。

船長は、不貞腐れふたように言った。
「何で俺がこいつを担がなきゃなんねーんだよ…。」

彼は、寝ているアリスをおぶっていたのだ。

「護衛に担がせるわけにはいきません。」

隣でエリカが言うと、船長が反論した。

「そのことなんだが、今さらながら言うが、魔物に物理行使は効かないんだろ?
軍人が役に立つとは到底思えないな」

エリカが言った。
「しかし、交わすことは出来ます。
人間の悲しみを凝縮した黒玉を投げれば、それが好物な悪魔の気をそらすことが出来ます。

私達護衛は、守るべき対象を、悪魔の攻撃から退けるのです」

「おっと聞き捨てならないな。
いつから只の助手が護衛になった?」

船長が言うと、エリカが声を潜めて言った。
「私が、黒玉発疱の担当になったのです。
涙から精製した黒玉は、主が投げるのが1番効果的なのです」

「精製の為に泣けと言われて、お前が1番泣いてたからな」

船長の言葉に、エリカは口を閉ざした。

それから、辛労そうな表情をしている船長を見て不安げな顔を浮かべる。

いくら少女と言えど、長時間担いで歩くのは、素人の体にはこたえるのだろう。

船長は、重そうに体を揺らすと、前を歩く大佐に向かって声をあげた。

「リー大佐、代わってくれ」

研究長の前を守っていた大佐は、困った顔になりながら、手で示して言った。

「分かりました。
こちらへ連れてきてください」

が、大佐は手で制し、緊迫した声をあげた。

「止まってください」

彼の命でみな足を止める。

木々が不自然に騒めき、暗闇の中で、何かが蠢めいていた。

大きな得体の知れない足音が近づいてきている。

、、、魔物である。

「黒玉を、発砲して……」
フランチェスカが小さな声でエリカに命じた。

黒玉を投げることは則ち、自分達の居場所を教えるようなもの。

どれほどの効果があるかは誰も知らないが、人間の姿を見られてしまった後では効果が相殺される可能性もある。

エリカは、緊張の面持ちで、大佐とマリアの間に立ち、黒玉の入った銃を、構えた。

その時、アリスが目を覚ました。
だらんとした体が、意思を持って動いていることに気づき、船長は枯れた声で言った。

「最悪な状況で、厄介な奴が起きたな。」

アリスは、暫く寝ぼけ眼でいたが、次第に意識をはっきりさせていく。

その時、フランチェスカは暗闇の向こうにいる、残酷な本能を、敏感に感じとった。

彼女は精神安定剤として、いつも白衣を身に纏っている。
どういうわけか、着用することで、あらゆる恐怖よりも探求心が勝るというのだ。
しかし、自身にとって最も恐れるものには効かない。
それは、知性のない生き物。。。
そう、今目の前にいるそれだ。

フランチェスカは地面に綜たりこむ。

「研究長様、、、」
そう言って助け起こそうとした大佐の手を、フランチェスカは激しく拒絶した。

その様子を見届けつつ、エリカは言った。
「発砲します。」

銃の引き金が引かれ、銃口から、黒玉が飛んでいく。

それは、普通の銃弾よりもかなり遅く、明るい場所ならば黙視出来るほどであった。

遠すぎず近すぎず、効果的な位置に黒玉を飛ばす為に改良された銃だからである。

黒玉が、蠢めく暗闇の先へと消えていく。。。

すると、木々の騒めきと共に、足音がぴたりと止んだ。

「魔物は去ったのでしょうか……?」

エリカが、隣のマリアに尋ねると、彼女は前を見ながら静かに言った。

「止まっているだけです。
おそらく、私達人間の放つ恐怖の感情と、悲しみを凝縮した黒玉、2つの間で立ち往生しているのでしょう」

その時であった。

恐怖の悲鳴がした。

状況を認識してしまったアリスが声をあげたのだ。

人間の恐怖と黒玉。
前者の方が上回ってしまったようだ。

再び暗闇が騒めき出した。

それも、先ほどよりもずっと激しい。
狙いを定めたように足音が速くなる。。。

今だ立てずにいるフランチェスカは、自身を抱えようとしたリー大佐を激しく拒み、恫喝した。

「銃撃して!!!」

物理行使など効かない魔物に、威嚇射撃をするつもりでいるのだ。

「しかし、、、」

リー大佐が戸惑いを隠しきれずにいると、フランチェスカが更に声を荒げた。

「いいから、、、!銃撃するのです!!」

その威勢と頑なな態度に圧され、大佐は逃げようとする部下に厳しく命じた。

「引くな!!発疱!!!」

命に応じて、みな立ち止まり、人間界の銃を構える。
次々に発疱され、多数の銃弾が暗闇へと放たれた。

しかし、剥き出しの本能に対して、人間はあまりにも無力であった。

正体不明の蠢きは、一切怯む様子を見せずに、寧ろ勢いを増して、突進してくる。

そして遂に、魔物が姿を現した。

それは、カバのようなフォルムで、表面が謎の赤いケロイド状の物質に覆われている、不気味な化け物であった。

「私の研究を妨害する者は、、、死になさい!!!」
フランチェスカが狂ったようにそう叫んだ。
そして彼女は、魔物に向かって走っていく。

物理行使の効かない相手に、自身の銃で対抗しようとしていたのだ。

フランチェスカは、恐怖と怒りが入り交じった震える手元で、銃を乱射する。。。

大佐と数人の人間は、彼女を追っていったが、それ以外の者は見切りをつけた。

皆次々に逃げ出す中で、マリアは銃撃を続けていた。
彼女に倣い、エリカも黒玉の発疱を再開する。

魔物は黒玉が飛ばされる度に勢いを若干衰えさせるが、目の前にいる人間に対する本能に勝ることはなかった。

大口を開けてフランチェスカと、それを援護する軍人達に迫る、、、!!!

しかし、予想外のことが起きた!
魔物は、立ち往生している者達を通りこし、エリカ達の方へと真っ先に走ってきのだ!

マリアは、潔く銃を仕舞うと、逃げていった者達の後に続き走り出した。

エリカも、遂に黒玉を切らしてしまい、彼女に倣わざるを得なくなった。

フランチェスカらを乗り越え、エリカらを狙って猛追する化け物、、、

アリスの恐怖の涙が黒い滴となり浮き上がり、化け物の狩猟本能を余計に刺激しているのかもしれない。

背後から知性の感じられない獰猛な鳴き声が迫ってきた。

マリアは息をきらす様子もなく、尋常ではない速さで走り抜け、船長の背後につくと、事務的な声で言った。

「止まってください。
アリアさんの涙を採取します」

「黒玉が効かないからこんなことになってるんだろーが!!!」
船長が、不本意な表情を隠しきれず止まると、マリアによりアリスの顔は涙袋で覆われた。

袋の中で、水滴として浮かびあがった涙は、漏れることなく入っていき、黒玉へと変化する。

暫く採取していると、後続のエリカが追い付いた。

「装填してください」
マリアはそう言って、涙袋をエリカに押し付ける。

しかし、そんな暇は一瞬たりともなかった。

マリアは一度押し付けた涙袋を奪い返し、掌いっぱいに掴むと思いっきり投げた。

置いてきてしまったフランチェスカのいる方面とは逆方向に。
つまり、エリカ達の進んでいた方角である。

玉は、マリアの華奢な腕で投げられたとは思えぬほどに、遠くに飛んでいき、闇に消えた。

「ちょっと!どこに投げているんですか!?」
エリカが驚いて叫ぶ。

マリアは、答える代わりに逃げる進行方向が変えた。
右手に向かって走り出したのだ。

船長も、エリカを置いて彼女に付いていく。

マリアの策略に気づくと、慌てエリカも後を追った。

しかし、黒玉と自分達、どちらに向かってくるかは分からない。
化け物の先程の行動から考えると、こちらに狙いを定めてくるだろう。

、、、
ところが、威圧が背後に感じられない。

エリカは走りながら後ろを振り返った。

化け物は、動きを止めていた。
進む向きにしか意識を向けられないのかもしれない。
突然の方向転換に戸惑っているのだ。

その間に、距離をつけていく。。。

「全く滑稽だな」
船長が走りながら、疲れ果てて心労どそうに言った。

「あともう一息です!」
エリカが励ますように言った。

「お前は身軽でいいよな」
船長は低い声で言った。

どれほど経ったことだろうか。。。
魔物は、気づくと姿を消していた。

「油断せず、もう少し先まで走ります!!」
マリアが言った。

「アリア!いい加減自分で走れ!」
船長が言った。

アリスは今、すっかり泣き止み、けろりとしていた。

彼女は「ふん!」とそっぽを向くと、船長の背から降りた。

いつの間にか、、、
魔物は完全に気配を消していた。

皆足を緩め、エリカとアリスは息を切らしながら地面に綜たりこんだ。

「魔物を撒くことに成功したのでしょうか」

エリカが、疲弊したように言うと、マリアが厳しい表情で答えた。

「分かりません」

「研究長やリー大佐と逸れてしまいましたね」
エリカはそう言うと、途方に暮れた表情で辺りを見回した。

そこは、木々がなく、獣道のようになっていた。
広い道である。

道の周りの木々は丸裸で、点々と生えている為、森の中は見晴らしが良い。

人間界にはまず見られぬであろう不思議な風景である。

皆、暫しの間、見入っていた。

ふとエリカが言った。
「思った以上に黒玉の効果はありませんでしたね」

「こいつが泣いたからなんじゃないか?」
船長がアリスを見て言った。

「でも、その為に、黒玉が大量に採取出来たじゃない!」
アリスが声を大にする。

エリカは、涙袋の中身を見て言った。
「確かにずいぶん余ってますけど…効果は期待出来ませんよ。」
それからふっと息をついて付け足した。
「まぁ、無いよりは良いですか。」

「ところで、、、」
船長が顔をしかめて低い声を出した。

彼の様子に緊張の空気が漂う。。。

次に出た言葉は予想外のものだった。

「お前、何かオレに言うことあるだろ!」
そう言った船長。
アリスを睨んでいる。

「……あ、ありがとう」
アリスがバツが悪そうに言う。

船長は軽くため息をつくと、言った。
「黒玉の効果が分かったという点では、一応感謝しとくか」

「何その謎の上から目線は!」
アリスの目がつり上がる。

「謎でも何でもないだろ!
そもそもの現況はお前なんだからな!」

「戦犯みたいな言い方しないでよ!」

船長とアリスの小競り合いの中、エリカは目を見開いた。
2人のやり取りに、表情が緩めた意外な人物が目に入ったからである。
マリアだ。

彼女はかつて魔物との契約し、感情を失った為に、いつも表情がなく、たまに笑っても張り付いた微笑でしかなかった。
しかし、今、それ以外の表情を見せている。

みな気づいていなかったが、エリカは気づいていた。

ふと、自身の緊張も揺るんだのを感じた。

「全く、私たち、間抜けでしたね!」
エリカはそう言うと、なぜか可笑しくなってしまい吹き出した。

それから、笑いは伝染し皆が爆笑しだす。

笑い声は響き渡ったが、陽気な明るい声は、人間の負の感情を好む魔物を退けたことだろう。

しかし、
無の壁から逃れる方法が見つからない絶望的な状況で生まれた笑いは、
精神の支障をきたしつつある異常な光景のようでもあったのかもしれない。

、、、

甘かったようだ、、、。

生身の人間の笑いで、悪魔が引くわけもない。。。

秘少石

数人が笑みを消し、顔を硬直させた。

彼らの様子に気づいた者達は、その視線を辿った。
一気に笑い声が小さくなり、他の者も危険を察知し、完全に静かになる。

辺りは風もなく、無音である。

不気味な息使いを除いて、、、。

低い唸り声がそこに加わった。

背後にそれを聞いたエリカは恐る恐る振り返る。

そこにはいた。

悪魔だ。

先程猛追してきた個体とは別の個体である。

鋭く尖った小さな眼、大きな頭、、、。
肉食恐竜のような姿をしていたがそれは、
図鑑やメディアで見るようなものよりも、、、遥かにグロテスクな風貌をしていた。

数メートル先に佇み、
こちらに狙いを定めている、、、。

エリカは、静かに、黒玉を装填した。

皆、動かずにいる。

動物的勘とでもいうべきだろうか

皆共通に悟っていた。

その悪魔は、逃げる者を真っ先に追う習性かあるということを。

同じような勘を働かせることが出来るのは、魔物が共通に見える、幻覚だからである、、、

只1人、正気を完全に失い、その勘が機能しない者がいた。

アリスである。

彼女は声をあげ、逃げ出した。
獣道を外れて、木々の中へ走り出す。

悪魔が動き出した!!!

知性の無い悪魔にしては、かなり速い!

脚の速い人間でも追い付かれるか否かである。

エリカが咄嗟に黒玉を銃弾するが、、、!

悪魔は勢いを衰えさせない!!!

木々をへし折り、バキバキと音をさせながら走っていく!
アリスの背に向かって!

裸木の森の中は見晴らしが良い。
アリスが距離を縮められていることが見てとれるには充分なほどに。。。

そして、次の瞬間!!!!!

アリスは地面に崩れた。

、、、

それは、彼女だけではなかった。
獣道にいたエリカ達も倒れていた。

大地が突如、揺れたのである。

その揺れにも耐えたのは悪魔である。
止まることなく真っ直ぐにアリスに向かっていく!

謎の揺れは止まらない!
悪魔も止まらない!

そして!!!

突如、閃光が放たれた。
悪魔の体が光っている、、、!

かのように見えたが、

実際その光は、悪魔の踏みしめる地面から発せられていた。

悪魔は、光に絡め捕られたかのように、その場から動けなくなった。
もがいて出ようとしている。

皆、その不思議な光に目を奪われた。
アリスも、腰を抜かしたまま、見上げている。

光は、青かった。

エリカの脳裏に、記憶が浮かんだ。
この光は、以前も見たことがある。

人間界にいた頃に行った実験。
魔法が行使される際に、術者の体内で発せられると分かった光である。

次の瞬間!!!!!!!!!!

光は、一気に遥か上空へ突き抜けた。
地面から空へと伸びる光。

悪魔がより一層激しくもがいた。
脚が、地面にのめり込んでいたのた。

少しずつ、のめり込みは深さを増していき、悪魔の脚は地面の中へと引きずりこまれていく。

そして、脚は完全に地中へと姿を消した。

悪魔は、地面から出た胴体をくねらせ激しく抵抗している。

アリスは、体を引きずりながら後退りした。

地面の不可解な変化が、毛色を変えたのだ。

地面が崩れていた!!
まるで、両手にすくった砂が、隙間からこぼれていくかの如く、、、

それは、悪魔の体を中心に、放射状に広がっていく。。。

悪魔はあっという間に、崩れた地面と共に、、、奈落の底へと消えた。

地面は崩壊の範囲を広げていく。
崩壊により出来た穴は、どれほどの深さあるか分からない。。。

青い光は、その深い深い底から発っせられていたのだ。

少しずつ、少しずつ、穴は直径を広げていく。

アリスは遂に立ち上がった。
そして、逃げ出す。

エリカ達も立ち上がった。
そして、逃げ出す。

悪魔でもない、生き物でもない脅威を前に、
皆、逃げた。

逃げて逃げて、ひたすら逃げた。

どれほど走ったことだろうか、、、

気づくと、謎の光は見えなくなっていた。

先頭のマリアが止まると、他の者達もそれに倣った。

皆、逃走の間もはぐれることはなかったようだ。
エリカも、マリアも、船長も、従軍もいる。

そして、アリスもいた。

いつの間に追い付いたのだろうか。

エリカは彼女の姿を見つけ、驚くと共に安堵の表情を浮かべた。

「アリアさん、脚速いですね。」

「逃げ足だけだろ?」
船長が言った。

アリスは、何も言えず、苦しそうに息を切らしながら、地面にへたりこんでいる。

「また、暗い森の中ですね。」
エリカが辺りを見回して言う。

そこは、葉のある木々が鬱蒼と生い茂る、陰気な森の中だった。

しかし、まだ道は続いていた。
が、それは獣道などではない。
煉瓦で舗装されていたのだ。
それは道幅が狭く、木々の合間を縫いながら、どこかへ続いていた。

エリカ達が走ってきた獣道は、いつの間にか煉瓦道へと変わり、森の中へ入っていたのだ。

「この道、どこに続いているのでしょうか。」
エリカが首を傾げた。

「しかし、あの、青い光は何なんだ?」
船長がマリアを見て言うと、
彼女は答えた。
「秘少石という石の光です。

それは遥か昔に発明された石で、その力により魔界と人間界が繋がったと言われています。。。

そして、その石の光は、魔法を行使する者の体内に出現するということが、実験で分かりました。

その石が魔法の謎を解くキーになるかもしれません。」

「で、その石はどこにあるんだ?」
船長が食い入るように聞いた。

マリアは話を続けた。
「魔界と人間界が繋がった時、石はどこかへ消えました。
魔界に飛ばされたと、伝えられています。
世界にたった1つしかない石です。

魔界にあるとしたら、
その石の光は、
魔法の行使と同時に、瞬間移動したかのように、一瞬で、寸分の狂いもなく全く同時に、やって来ることになります。

更にその光の不思議なことは、素粒子がないということ、、、。」

マリアは、冷笑を浮かべて言った。

「      ー秘少石ー
魔界のどこかにあり、その光は魔法の術者の体内に出現する。
その石を探すことが、
旅の目的である、魔法の謎の解明に、繋がることでしょう。」




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