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距離感

自分の人生すらままならないのに推しに喜怒哀楽の感情を揺さぶられている場合じゃない。
そんなことずっと前から気づいてたけど、ようやくその核に当たる部分に自分もぶつかったような、今それを痛感してる。


別にオタクしてる人がちゃんとしてないとかそういうことじゃなくて、事ある毎に自分の未熟さが浮き彫りになってバカだなーと思うし、最近はそんなことが多すぎてもう全部が嫌になる。だからちゃんとしなきゃって思った。
娯楽なのに負の感情の方が強いって、普通に考えてみれば意味わかんないし。

それはもうさ、今が潮時だよね って思わざるを得なかった。


ていうか、ちゃんとするって何。




私にとってその人は物心ついた頃から当たり前の存在だったから、それが無くなるとかそこから離れるとか、考えてみても全然ピンとこなくて、現実味が無かったんだと思う。
そのシワ寄せって言ったらうーんって感じだけど、薄々感じてたものが今爆発したような。

だからこれ以上深入りするのはもう終わりにしよう!って区切りつけたい気持ちある。ずっとある。
でもそれをできるかどうかは別問題で、やっぱ私にはアイドルがいないとこの先やっていける気がしない。


まぁ、そういう所なんです。
もう遅いんです。




そこに頼りすぎたなーって感じだし、絶対的だって信じて疑わなかった。

いつか必ず終わりは来るものですから。
それなら絶頂の内にオタクをやめる(フェードアウトする)のが吉 という学び。それでも楽しくて幸せだった時間は間違いないし。
なんか、失恋?

妥協じゃないけど、私はこの人生でいいのに って思ってても結果的に推しはそういう訳ではなかったから。そのズレを認めざるを得ない瞬間って来るもんだね。もちろんその人が悪い訳もなくて、ただその感覚に差があることがつらかった。彼が悪者だと錯覚することで、ようやく形を保つことができた。
それもこれも全部自分の中で生まれた感情だから、自分の中でケリをつければいいのに。
俺だけ馬鹿みたいや。




まぁ降りるとかじゃなくて、深入りしすぎず、美味しいところだけ啜って自分の健康第一で誰よりも幸せになってやりましょうよって。


言うだけで終わるの悔しかったから今回こそはと思っていよいよTwitterのアカウントを消した。
珍しく長く続いたアカウントで割と居心地良かったから寂しくはあったけど、明らか心にゆとりが生まれて比較的ラフに応援できてる。

知らなくていいことってある。





今年は環境も大きく変わるし忙しくなるだろうから、少しでも自分のしていることに自信を持てるようになったらいいなとか思ってる。

そうやって楽しむことに後ろめたさを感じないくらい自分の輪郭がはっきりしてきたら、いつか胸を張ってライブに行ける日がくるのかな。





つらさと引き換えに何かに注ぎ続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

推し、燃ゆ/宇佐見りん

ドキリ。

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