見出し画像

ふと映画館に行く時

私は一時期映画にハマっていた時がある。映画というよりも映画館という方がふさわしいかもしれない。ふと時間ができた時によく近所の映画館に向かった。その映画館は私の中でとてもお気に入りの場所だ。綺麗な商業ビルの中にその映画館は入っていて、映画館に入るには品のいい受付レディがいる側を通らなければならない。学生風情が一人で通り抜けていい場所なのか緊張しながら、進むと4台ほどのエレベーターがあり、自分の今いる階まで到着するのを待つ。そこでかかっているエレベーター音楽は無機質で緊張感がありながら落ち着くものでやけに耳に残っている。エレベーター音楽という概念を知ったのは、村上春樹の「女のいない男たち」を読んでからだ。その作中の登場人物曰く、「無になれる、天国でかかっていそう、窮屈な感じがなくなる」なんだそうだ。そこでかかっているエレベーター音楽を思い返すとなんだか確かにと腑に落ちる感じがする。そしてエレベーターが到着したら乗り込むわけだが、そのエレベーターには透明な窓の部分があり、自分たちが商業ビルの中を上っていく様子を見ることができる。一緒に乗る人がいなければほっと一息、一緒にいる人と沈黙で過ごすならば少し気まずく、さらに一緒に乗る人が連れ立っていて、会話をしているならばもっと気まずく…といった具合に数十秒の時間が過ぎるのを待つ。そして目的の階につけば映画館だ。ポップコーンの匂いと重厚感のあるフロアには何度来ても高揚する。基本的に予約はしないので、カウンターに並んで、直前にチケットをもらう。「ー時のーー、1枚で。」といって。こだわりの座席を指定。一人の時は大体端の2席のうちのどちらかだ。そして時間を気にしつつ、チケットを無くさないように急いでトイレを済ませてから、劇場へ滑り込む。暗い足元を気にしながらコツコツと階段を登っていく。まだCMだ、とほっとして、腰を下ろすとふんわりと座席に包まれるような気持ちだ。
映画を見る前と見た後ではなんだか世界が少し違う気がする。世界が広がった気がするから映画が好きだ。村上春樹の「女のいない男たち」の中から引用させてもらうと、「いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。」言い得て妙である。