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イチ、ニの、サンの、プー太郎!:創作大賞2023

1.奢られとけばよかった話

大学生の頃、ゼミにナグラさんという先輩がいた。
メガネ、猫背、蚊の鳴くような声、伏し目、バイト経験なし、無口。
「この人は今までどうやって生きてきたんだろう?」
という疑問すら湧いた。でも、嫌な感じはしなかった。素で「そういう人」なのだ。
私は、ナグラさんのアパートに数回だけ行ったことがある。
まずびっくりしたのは、物がないこと。
パソコンはない。DVDプレーヤーもない。本もない。雑誌もない。当然ゲームもなければ雑誌もポスターもない。娯楽の類が一切ないのである。
あるものはといえば、ビートルズのCDが数枚とCDプレーヤー、それとアコースティックギター。それだけである。後は日用的に使うものが最低限あるだけ。

別に、ナグラさんは何か主義を持って、物を手放しているわけでも娯楽用品を避けているわけでも何でもない。ただ単に興味がないのである。
その楽しさを知らないだけかもしれないが、興味があれば漫画の1冊や2冊やくらいあるだろう。無論どこかに隠している気配も、断捨離している気配もない。
ただ、ナグラさんはビートルズが好きだった。それは間違いない。でも、持っていたのはアルバム数枚だけで、熱量を全く感じなかった。


私は熱量のある物を探した。

「ギター! ギターはどうだ!?」

弾いてもらったが、持ち主に似て非常に繊細な音だった。音が小さく、一音一音の間が空きすぎて曲になっていない。そもそも、これは曲なのか? 楽器のはずなのに、音をあまり感じなかった。

「冷蔵庫! 冷蔵庫はどうだ!? 酒の1本やシュークリームの1つくらい入ってやしないか???」

入っていなかった。
入っていたのは、卵と、チキンハンバーグと、小分けパックの豆腐と、牛乳。嘘みたいな話だが、後は本当に記憶にない。毎晩レトルトご飯をチンして、卵とチキンハンバーグと豆腐と一緒に食べるのだそう。昼食は学食で済ませるとのこと。
これもまた、無理をしている様子は感じられなかった。確かにナグラさんはバイトをしていなかったが、実家からまとまった額の仕送りが来ている様子だった。ダイエットとか、節約とか、そういうことではない。嗜好が「ない」のである。

「じゃあ、学校のノートはどうだ!? 流石にメモでびっしりだろう!」

文字が小さく、ボリュームもなかった。黒板に書いてあることしか書いてなかった。落書きもメモ書きもない。無論、カカオトークのIDを書くためにノートを千切った跡もない。

気づいたら、私の熱量の方がすっかりなくなっていた。
やっぱり、「こういう人」なのだ。「こういう国の人」なのだ。これが彼にとって当たり前の生活であり、それで不便さや不満を感じている様子も感じられなかった。彼はこれで十分幸せなのだ。

だが、私は帰り際ちゃんと、熱量を感じる物を発見した。

便器だ。

便器が異常に綺麗なのである。塩素の匂いが充満している。汚れ、黄ばみは一つとしてなく、新品よりも綺麗なのではというレベルだった。あまりにも綺麗すぎて、私はナグラハウスのトイレを使うことができなかった。
洗濯機も異常に綺麗で、柔軟剤の匂いが鼻をついた。

ナグラさんは、綺麗好きだったのである。

シンクには皿の一枚もなく、生ゴミの一つもない。玄関の靴はピシッと並び、砂や石ころがない。床のほこりも傷も一切ない。ゴミ箱すら見当たらない。

まあ、そんな人がナグラさんなのであり、それ以上でもそれ以下でもない。
"This is THE NAGURA."
ただそれだけのことである。

だが、私はそんなナグラさんに関して、一つだけ未だに申し訳なく思っていることがある。

それは、卒業を間近に控えたある日、ナグラさんのアパートでのこと。ナグラさんはめでたく実家近くの介護職に就くことが決まっていた。
たまには美味いもんでも食いたいなあ、と私が何の気もなしにこぼすと、ナグラさんはこう言った。

「ご馳走するんで、レストランでも行きませんか?」

私は、遠慮してしまった。だってそれは、ナグラさんのお金ではないから。ナグラさんの親御さんがナグラさんのために振り込んでくれている大事なお金だから。

「ナグラさんが仕事してから、とびきり高いステーキでも食わせてくださいよ笑」

そう言って私は断ってしまったのだった。ナグラさんは珍しく少しだけ粘ったが、頑固な私は動かなかった。

そして卒業後、なぜかナグラさんとは一切の連絡が取れなくなってしまった。ラインは退会済み。それまでは普通に連絡をしていたのに、だ。通話だってしていた。そして悔しいことに、ナグラさんのメールアドレスも、携帯の電話番号も実家の住所も、何一つ持っていなかった。時代が時代なだけに、ライン一つで事は足りてしまっていたのだった。

ある日、ナグラさんのお母さんから急にメールが来た。その時初めて、私はナグラさんが職場から脱走していたことを知った。
翌日警察に保護され、お母さんは安堵していたようだった。ナグラさんを心配していることがひしひしと伝わる文面を見て、私は
「いい親御さんでナグラさんも幸せだと思います」
と言った。続けて私はナグラさんの連絡先を聞いた。お母さんは、「それはあの子に聞いてください」とそれとなく言った。
だが、聞くも何も、聞く手段がなかったのである。ゼミのメーリスやアドレス帳をしらみつぶしに探したがどうにも行かなくなり、ナグラさんのお母さんからのメールにあった番号に電話をかけた。つまり、ナグラさんの実家である。
当然緊張はしたが、思い切って電話をかけた。
出たのはお母さん。特に動揺している様子もなく、「主人に代わります」と言い、ついにお父さんが出てきた。
「うちの息子がどうかしましたか?」
淡々とした口調で、トーンは低かった。
「あの、ナグラさんのゼミの同期のアライと申しますが、ナグラさんはいらっしゃいますか?」
「今は仕事です」
「あの、連絡が取れなくて、もしよろしかったら連絡先を教えていただきたいのですが…」
「それはあの子に聞いてください」
「でも連絡が取れなくて… ご本人に伝えてもらえませんか?」
「…とりあえず、分かりました。」
電話は、そこまでだった。

当然、いくら待っても折り返しの電話は来なかった。

僕は、2つ、後悔をした。
1つは、あんな家の母親に
「いい親御さんでナグラさんも幸せだと思います」
なんて言ってしまったことだった。
あの時の私は、いい面をしようとしたのだろうか。それとも本当にそう思っていたのだろうか。もう思い出せなかった。
後日友人にその話をしたところ、
「その子が聞いたら、自分の味方はいないって思っちゃうんじゃないかな」
と言われた。

その言葉を聞いて初めて、自分はなんて馬鹿なことを言ってしまったんだと思った。状況が全く理解できていなかったのだ。
格好をつけて言った耳障りのいい言葉がナグラさんの耳に入る想定を、一切していなかった。
弁解をしようにも、しようがない。もう言い訳すらさせてもらえないのだ。
「きっとナグラさんは私のことを憎んでいるに違いない」
と私は深く自分を責めた。

もう1つの後悔は、あの日、ナグラさんに奢って貰わなかったこと。
多分、ナグラさんは格好をつけたかったのだ。自分がお金を払い、後輩と一緒に美味しくご飯を食べてみたかったのだ。ただ、それだけのことだったのだ。
でも、その好意を、私は下らない偽善心で無碍にしてしまった。彼の顔に泥を塗ってしまった。
黙って高級ステーキ店に連れて行き、ナグラさんの金でいっぱい食っていっぱい飲んで、そしていっぱい話す。きっとそれだけでよかったのだ。
私は心のどこかでナグラさんのことを見下していたのかもしれない。

「自分より弱い存在」
「気を遣うべき存在」
「哀れみ守るべき存在」

そう思っていたからこそ、私はナグラさんを一人の「先輩」として見ることができなかった。
気を遣われたら、人は皆喜ぶと思っていた。大切にされていると感じるだろうと思っていた。
でも、それは違った。気を遣われることによって、傷つくこともあるのではないか。そんなことを、本人に確認もできないまま勝手に思った。

今、彼はどこで何をしているだろうか。幸せだろうか。幸せだろうか。
人の気持ちは見えない。だからこそ人は傷つき傷つけ、すれ違うのだ。それに気づいてから私は、私が人であることを、少し恥じた。

2.私の最大の敵は私かもしれない話

ここ最近、70歳の人が「就活」をしていると聞く。
「『終活』の間違いじゃないか?」
とも思ったが、違うらしい。「就活」らしい。

ニュースで見たのは、70を超えた、白髪混じりのお爺さん。腰も曲がり始めていて、老眼鏡をかけている。無論、腕も足も細く弱い。指でつついたら心臓発作で死にそうだ。
「なんでもやらないといけないと思ってますので…」
と俯きながらも必死に訴えたが、私がその人事の目の中に見たのは「No」の2文字。シニア世代に興味を持っているようには到底見えなかった。

「年金が少ない」「独り身」「連れが病気で養わなければならない」「これから先が不安」

求職者のインタビューではそんな声ばかりで、「御社でバリバリ働きたいです!」
というよりは、
「働かないと生きていけないんです。助けて下さい…」
という風に受け取れた。

そもそも、70になっても働かないといけないとなると、どういう心情になるのだろうか。
昔は、60か65になれば定年退職で、「悠々自適なセカンドライフを…」みたいな感じだった気がする。でもそれは、共働きである程度の収入があった場合だ。
うちのばあちゃんは70まで働いていた。30年間勤めた工場を60で定年退職した後、清掃を10年くらいやって、キャリアを終えた。
今までやった仕事はどれもブルーカラー。
70で退いた後、関節が飛び出て曲がらなくなった指を見ながら
「一生懸命働いたけど、女手一つじゃ家の一つも持てんかった…」
と溢していた時は、正直見ていられなかった。
その後、一部屋500万のマンションがあると聞きばあちゃんは飛びついたが、ハウスメーカー勤務の息子に止められ泣く泣く諦めた。

70になったら、私はどうなっているのだろう。
子なし。嫁なし。持ち家なし。一人っ子。
どう考えても孤独死待ったなし。

と言えど日銭を稼がなくては生きていけないが、70の心身薄弱に何ができる?
草むしりか? 便所の掃除か? それとも80の要介護者の下の世話か?
70の爺さんが80の爺さんの世話をするとはまるで落語みたいな話であるが、そういう類の話は、実際に私の周りでもよく聞く。


今朝、病院で新聞を見たら、ちょうど老人の就活が取り上げられていた。
今や、就活中の老人対象のセミナーが開かれ、ついには老人の就活を支援するエージェントまでいるらしい。

とある60代の男性、Bさんは紙面でこう語っていた。

「自分の経験や志望動機を、きちんと客観視した上で説明できなければ就職は難しいだろう。
セミナーで情報収集をしっかりし、エージェントのアドバイスを真摯に受け取るべきだ。学び直して資格を取るのもいいのではないか。
手はいくらでもある。

この人は、前職でつながりのあった知人の紹介で今の仕事にありつけたのだそうだ。
「普通に仕事をしていれば、キャリアを見て周りが次に繋いでくれる」
とのこと。

多分、Bみたいな人たちは以下のようなことを思ってる気がする。口には出さないから私が描く。

「Bさんは何も間違ったことは言っていない。人生は能力、努力、行動力。

あらいあい(B面)

「当たり前のことだが、歳をとったからと言って急に格差が埋まるわけはない。そのまま生活していたら優秀な若者は優秀な老人となり、無能な若者は無能な老人となるってだけの話だ。」

あらいあい(B面)

「頑張ってきた人は頑張った分だけ余裕のある暮らしができて、頑張ってこなかった人は余裕のない暮らしを強いられるのは当然でしょう。だって、今まで楽してきたんだから。

あらいあい(B面)

「嫌だったらすぐに仕事変えて、散々遊び回って、スキルアップも研修も残業も碌にやってこなかった人が権利ばっかり求めてもねえ…。怠け者が国民の血税で悠々自適に暮らされるような世の中じゃあ、それまでずっと真面目にやってきた人達が可哀想じゃないですか。

あらいあい(B面)

格差なんてあって当然。今までサボってきたやつが悪い。」

あらいあい(B面)

「若い人は、今のうちに身を粉にして働いたほうがいいんじゃないかな。
いい仕事について、25までに嫁さんもらって、30で家建てて子供作って、って…
自分のことなんだから、ちゃんと自分で考えないと!
配偶者がいて、子供がいて、家がある。
守るべきものがあれば、どんなに辛くても必死こいて頑張るもんだ。守るべきものを作らないから怠けるようになるんだよ。

あらいあい(B面)

「チャンスは皆に平等に。ルールは皆に公平に。

それが民主主義ってもんじゃないか。何が間違っているかが分からない。」

あらいあい(B面)

まあでも、そうかもなあ。
60になったら港に飛び込んで1人で死ぬか。

どちらもわたし

3.修学旅行のバスカラオケには気をつけた方がいい話

誰が考えたんだか知らないが、義務教育内ではどの学校にも行事がある。
入学式、授業参観、林間学校、プール開き、応援合戦、運動会、マラソン大会、合唱コンクール、修学旅行、卒業式。
特に、修学旅行がない学校というのを私は聞いたことがない。通常、修学旅行というのは全ての生徒にとって、最大のお楽しみイベントである。

仲のいいツレとイケてる異性とで班を組み、夢を膨らませる。自由行動の予定をみんなで話し合って決める。
バスの中では飲み食いしておしゃべりし、貴重なクラス総合カラオケ大会。もちろん締めはバスガイドさんも巻き込んでの学園天国。
着いたら奈良で鹿に餌をやり、お調子者の男子が鹿せんべいを撒いて鹿の群れに囲まれ皆から笑われる。
夕食はホテルの和食バイキング。
欲張って取りすぎたやつが目をうつろにし、その傍らではドリンクソムリエがミックスジュースのこれやってみたかってん開催中。
夜は仲のいい友達の部屋にみんなで集まって大富豪大会。負けたやつには好きな人暴露の罰ゲーム。告っちゃえよ告っちゃえよと煽られながら湧くバカ男子達を横目に、律儀なやつはこっそり部屋を抜け出し彼女と2人っきりの京さんぽ。

夜が明けたら2日目は朝から座禅。
シーンとした寺の講堂で、笑わせる男子と笑う男子。清められるのは笑った方。
パシーと喝入れが終わったら、お次は金閣寺に銀閣寺。真面目に授業のレポート用の写真を撮る女子と、それに無理やり映り込む男子。いつの間にかいなくなり、ドヤ顔で木刀を持って現れる男子。
おやつの時間はみんなで茶道体験。ちっとも美味くない抹茶をすすり、なんとなく見る枯山水。
夜は仲のいい男女で大富豪。廊下を回る生徒指導の鬼に隠れて好きな異性にアプローチ。健全なのに、ちょっと大人になれた気がした14の夜。

3日目は朝から自由行動。予定は決めたはずなのに、少しずつずれていく予定時間と男女の温度。結局いらん喧嘩が起きるも、それも結局惚れた腫れたの痴話喧嘩。
あっという間に清水寺。清水の舞台から落ちたつもりの大告白。泣くも笑うも全て青春。勝った2人は記念撮影。負けた1人は遺影撮影。勝っても負けても歩くは坂道。土産と舞妓の京ロマン。
最後のスポット八坂の塔では、無礼講の大撮影会。班で固まっていたつもりが流れに任せてあちらこちらの社交界。落としたしおりは数知れず。
帰りのバスもカラオケ大会。だけど勝てない嬉しい眠気。
翌週には、焼き増しした思い出の写真がずらり。「ハタチになったら、絶対皆でまた会おうね!」アルバムの思い出がまたひとつ増え、一生忘れられない貴重な体験を学生たちはすることができるのであった。

とまあ大体こんなもんだ。


さて、この中で1つだけ、見過ごせない人権侵害イベントがあったことにお気づきだろうか。
多感な思春期を迎える男女の成長過程に絶対盛り込んではいけない、破廉恥かつ酒池肉林の乱痴気騒ぎ。性の乱れというほかない、風紀破りのアバンチュール。アムネスティインターナショナルも警鐘を鳴らした鬼畜殺戮イベント。
ここまで読んでくださったみなさんはもうお分かりであろう。
そう。


バス車内のカラオケ大会である。


大前提として、彼らは14歳だ。
中学2年生と言えば、かつて「厨二病」という言葉が流行ったくらいの超繊細な時期。ちょっとした羞恥体験が後世にまで響く呪いとなり、空気を少し乱しただけで学外追放となる恐ろしい時期である。
そんな多感な時期に集団カラオケという、高等かつ高度なコミュニケーション能力を要する試練が本当に必要ですかね?
班規模でやる分には構わない。滑ったって割腹したって笑い事で済むんだから。仲間内とはそういうものである。だが、クラス40人規模となるとそうはいかない。1人の選曲ミスが、39人を気まずくさせてしまうのである。これを酷と言わずなんと言うか。
そんな酷な思いを、これからの未来ある若者たちには1回だってさせたくない。

そのため、今回は内気な生徒諸君を対象とした、バスカラオケで滑らないためのポイントをいくつかお教えしよう。

①そもそも歌わない
大正解。
別にカラオケ大会は強制参加でもなんでもない。あくまで「お楽しみ」なのだから、お楽しめない人は早々に舞台から降りる勇気も必要だ。
だが、身は削らねばならない。かつて太平洋戦争の時代に若者が醤油を一升飲んで兵役を免れた例があるように、特例免除の要件を満たす必要があるのだ。
おすすめしたいのは、バス酔いしたフリをすること。
いくらカラオケといえど、学校行事の最中。
もしものことを考え、担任は心配し、救護班は酔い止めをくれるだろう。当然そんな状態の人に周囲は歌唱を強要するわけにはいかないし、歌ってる最中にマイクのアミアミでゲロを濾過されても困る。必要最低限の自己申告で、いとも簡単に兵役を免れることができるというわけだ。

ただ、日頃ふざけている人間がいくら気持ち悪そうにしていてもまともに取り合ってもらえない。これが成立するのは、普段真面目で優しい人間だけである。
中学生にもなってくると、「弱そうな子」や「何かを抱えていそうな子」はいじってはいけないと、肌感覚で感じるようになる。それは「いじめ」になるからだ。普段真面目で嘘をつかずに健気に生きている子は、いざという時に自己申告だけで関門を通してもらえる子なのである。


②1人で歌わない(デュエット曲を選ぶ)
これはいわゆる
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
の法則を応用したものである。
例えば1人でオナラをしたら確実に陰で笑い物にされるが、2人でオナラをしたらもう片方の1人は必ず味方になる。それを共犯と呼ぶ者もいるが、言い方を変えればシェアリングである。
もし女子が1人で「ガンダーラ」を歌った場合、1人で10kgの罪を背負わねばならなくなる。
だが、女子2人で歌えば1人5kgで済むのである。
「家帰ったらパフェ奢るから!」
と言って多少強引に泣きつくのもいい。後ですてきな思い出になるだろう。

というか、選曲が「ガンダーラ」でなく「未来へ」だったらむしろ好印象なのである。
14歳の女子中学生2人が制服姿で歌うKiroro。
そのシチュエーションを想像しただけで、つい足元を見てしまう。別に上手くなくていいのだ。ハモリも無理してやらなくていいのだ。1人で歌う上手い歌より、2人で歌う下手な曲の方が盛り上がる。釣られて1人2人と座席からアカペラで口ずさむ者も出てくるであろう。

kiroroより楽なのは、元からパートが分かれている仕様の曲である。これは機種によっては対応していないものもあるので何とも難しいが、「ライオン(May'n/中島愛)」「硝子の少年(
KinKi Kids)」あたりなら堅いだろう。


③ラップのある曲を歌わない
まず言えるのは、
「睡蓮花とロコローションはやめとけ」
ということである。
あれは内気な中学生が半端な気持ちで手を出したら大火傷を負う。ケツメイシやAqua Timezあたりも危ない。ラップというものはテンポが早く、大抵の日本人はラップのメロディーと歌詞を一致させて覚えられない。
そんな状態でダラダラ歌うのは何とも言えずみっともないのだ。
しかし、身の振り方が上手いやつは
「ここ分からんわ笑」
と軽く笑い飛ばし、おすましタイムをかますことができる。そのスキルがあれば問題はないが、そんな人はそもそもこんな文章を読んでない。


④上手く歌える曲を歌わない
上手くても、元から「歌上手い人枠」として認められている者ならいい。
だがそうではない陰の者が修学旅行のバスの中で例え120点満点の「Everything」を披露しても、「カッコつけ」と言われて終わりなのである。
まともな陰の者ならマイクを置いた後、謎の恥ずかしさに襲われることだろう。
それがバスカラオケにおける1人歌唱の、何とも言えず理不尽なところなのだ。

⑤文化レベルの低い曲を歌う
まず、英語パートが入っている歌は歌わない方がいい。
これは英語の授業でもなければ音楽の授業でもなく、社会適応の授業だからだ。帰国子女ならまだいいが、島国の日本では先進的なものほど苦い顔をされる。英単語が混ざってるくらいなら全く構わない。

あとは、芸術的な歌や歌謡曲、演歌など文化レベルの高い歌はやめておいた方がいい。
周りに座っているのは観客ではなく、オナニーを覚えたてのケツの赤い猿なのである。
猿は高尚な文化を理解するだけの知識も、教養も持ち合わせていない。あるのは快楽に対する欲求だけであって、大声出して気持ちよくなれればそれでいいのである。

「オーディエンスは猿である」。

そう考えれば曲のチョイスも楽になるだろう。


⑥教育テレビ関連の曲を歌わない
これは少し難しい話だが、大切なことだ。
無難な曲だと「だんご3兄弟」「おしりかじり虫」「メトロポリタン美術館」「るるるの歌」あたりが挙げられる。
だが、こういうのは、「歌ってもいい人」が限られる。普段幼稚なキャラの女子や、偏差値が低いバカキャラ男子なら「かわいい」と受け取ってもらえる。好感度80点は堅いだろう。

だが、それを普段おとなしい子が歌ってしまうと「ウブ感」「チェリー感」が出てしまうのである。
14歳と言えば大人の真似をし始め、ワックスをつけたり携帯を触ったりして背伸びをし始める時期。それとともに、「幼稚さ」への嫌悪感、及び反発が生まれる。そんな中で子供向けの歌を精神年齢高めキャラの14歳が歌うのは、多少なりともリスクが伴う。なんとなく「狙ってる感」「ポピュリズム感」が出てしまうのである。
だんご3兄弟をチョイスしてしまう気持ちもわかるのだ。分かりやすいし、単調だし、文化レベルも比較的低い。認知度が高いし、何よりクリーンな印象を与えられる。
だが、14歳のバスカラオケでは、14歳の少年少女が一番気にしがちな「どういう自分になりたいか」は、バスの中にいる間は考えなくてよい。
むしろ考えるべきなのは、「普段自分がどういう人だと思われているか」の方だ。
主観性より客観性、オリジナルよりフォーマル。それが14歳のバスカラオケにおけるキモなのである。


⑦合いの手を入れやすい曲を選ぶ
バスカラオケは「ショー」ではなく、「ステージ」だと思った方がいい。
「技術」や「オーラ」は辛気臭いのでバスカラオケではNG。「コールアンドレスポンス」と「オーディエンスの熱量」が全てだ。バスの中の生徒達は「鑑賞」しているわけではなく、「共振」しているからである。
その時キーとなるのは掛け声。気を利かせて、その場に合った丁度いい合いの手を丁度いいタイミングで入れてくれる清水健みたいな男子もいるかもしれないが、14歳でそこまでの境地に至るのは中々難しいはずだ。
そのため、歌詞の中に「(hey!)」「(wow wow)」などがちゃんと書いてくれてある方がベターだ。周りはコールしやすい。
例えばど定番の「学園天国」なんかは、曲がコールから始まる。逆に言えばみんなでコールをしなければこの曲は始まらないのである。そのため、最初から周囲が合いの手を入れてくれ、スムーズにスタートアップすることができるのだ。「お決まり」を舐めてはいけない。


というように、カラオケ自体もあまり行ったことがないであろう14歳にとって、バスカラオケはそれなりに酷なイベントなのである。
だが、それと同時に社会を学ぶ貴重な機会でもあることは間違いない。成功なんてしなくてもいい。トラウマになってしまうようなことだけは、やはり避けてほしいと思うのが私の親心なのだ。

乗り物はひとりで乗るのがすき

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