自分を見つめた先にシアワセはあるのか?
「自分の内側に意識を向けましょう」
自己啓発やスピリチュアル系の文章や動画を見ている人は必ず見かけるアドバイス。
もはや、鬱陶しい脱毛サロンの広告より頻繁に見る。
一見正しいように思えるこのアドバイスは、はたして本当にあなたのシアワセにつながっているのだろうか?
自分を見れば見るほど、自分にとってこれは必要なのかどうかを常に意識することになる。
それって、
良くも悪くも「自分がどう思うか、どう考えるかに強く振り回される」ことになるんだ。
例えば…
あなたが今誰とも付き合っていないとして、恋人が欲しくなったとする。
出会いの場に出かけて行ったり、今だとマッチングアプリで良さげな人を探したりする。
恋人候補の人と食事をしたり、早い段階で体の関係になったりするかもしれない。
そこで、自分の内側(感情や思考)に意識を向けていると、少しでもストレスがあった場合、「この人は違う」とすぐに別の出会いに出ていくことになる。
あるいは、なんとなくピンとくる相手だったら、別の人であればストレスに感じるようなことであったとしても、さほど気にならないかもしれない。
その出会いが結果的に良いものになった場合であれ、そうでないものであれ、自分の思考に基づいて、いや縛られていることには変わらない。
思考は過去のものしかない。そして思考無きところに、感情は生まれない。
あなたがまだ知らないことは絶対に考えることができないし、そして考えることができないのなら、絶対に感じることができない。そうではないですか?
あなたが自分の内側に意識を向けて、感じたものに基づいて判断をするほど、今までの自分が集めた記憶に基づいて選択をすることになる。
それってあなたにとって新しい出会いをもたらしてくれるものなのだろうか?
新しい何かを開いていくことにつながるのだろうか?
もう一度思い出してみよう。
なぜあなたは自分の内側に意識を向けることを始めようと思ったのだろうか?
おそらく、あなたにとって納得できないことがあったり、本当に思っていることが伝えられなくてネガティブな気持ちになったり、本当は選びたくない選択をして損をした経験や記憶があるからなのではないだろうか?
あなたはもう後悔したくなかった。
自分にとって間違った選択を取りたくなかった。
だからこそ「ホントウノジブンニツナガッテ」、人生を歩んで行こうとしたのではないだろうか?
ホントウノジブンってなに?
ネットにいる教祖さまたちは、あなたの思考や感情(これをまとめて直感を言ったりする)を本当の自分であると言うけど、はたしてそれはホントウノアナタなのだろうか。
混乱してきた人もいるかもしれない。
察しの良い人なら、
「本当の自分って、いるようで、いなくね?」
と思い始めてきたかもしれない。
もしそうなら、あなたはカンが良い。
あなたが考える本当の自分は、実は思考でしかない。
そして思考は、いろんな条件が変われば変化してしまう不安定なものなのだ。
例えば、寝不足になったり、お腹が空いたりしたら、思考や感情は変わる。直感も変わるだろう。
たとえガンジーでも、寝不足のときにガンガン罵倒されたら拳を振り上げてフルスイングするかもしれないし、
たとえマザー・テレサでも、何日も食べていないなら患者に優しい笑顔を向けることは難しいだろう。
あなたもそうではないではないだろうか?
そんな移ろい易いものを本当の自分だと呼ぶことができるだろうか?
「いや、だから健康に気を遣っているのだ!」と思うかもしれない。
自分の心身を良い状態に保てば、自分にとって最適な判断ができると思うかもしれない。
もしそうなら、国際的に見て健康状態が良い日本は幸福度が他国より高いはずだ。
しかし残念ながら、日本の幸福度は先進国の中では最低ランクだ。うつ病患者は溢れかえり、毎日どこかで誰かが生涯を自ら終わらせる。
ぼくたちは簡単に壊れない家に住むことができている。
食べ物もある。余っている。
着るものもある。これも余っている。
貧乏な国の人なら見たことがないかもしれないiphoneをいじって、電車に揺られている。
なのになぜ本当の自分にこだわってしまうくらいに、シアワセを追いかけてしまうのだろうか?
むしろ、自分の内側に意識を向けた結果、ここではないどこかを求めて、ぼくらはしんどくなっているのではないだろうか?
もし自分の内側に意識を向けているのに、幸せにならないと悩む人がいるのなら、自分が「感じる、考える」ホントウノジブンはとっっっっってもうつろいやすいものだということを思い出すと良いかもしれない。
2023/12/20
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