水本ゆかりちゃんの樹

 ゆかりが休憩室に入ると、晶葉がテーブルの上に手帳を広げ、鉛筆でなにかをメモしまくっていた。ゆかりはそばにあった自販機でジュースを買って、晶葉のところに近寄っていった。
「なにをしているんですか、晶葉さん」
 問いかけるゆかりに晶葉は手帳から顔を上げて言った。
「ゆかりか。新しいロボの設計図を閃いたので忘れずに書いておこうと思ってな。こいつはいいアイデアが湧いてきた感触がする」
 ゆかりは英数字と図形と晶葉のコメントで埋まった手帳のページを眺めてから言った。
「晶葉さんも、今度のイベントに参加するんですよね」
「ああ、スペシャルスキルフェスティバルだな。特技を持ったアイドルを集めてステージ上でその特技を披露する――私の天才ぶりを見せるいい機会だ。ゆかりも出るんだろ。フルート演奏が特技だから」
 晶葉は鉛筆の先っぽをゆかりに向けて言った。
「はい。でも特技があるからチャンスが回ってきたというのは初めてです。私は歌唱力もダンスも中堅クラスですから、大きめのステージに立つのはもっと先のことだと思っていたのですが……」
 ゆかりも晶葉もそれぞれプロデューサーにフェスティバルに参加するよう指示を受けていて、ゆかりはステージ上でフルートを吹くことになっていた。晶葉のほうは自身が制作したロボットと共にダンスを踊ることになっていた。
 鉛筆を手放した晶葉は、伸びをしてから言った。
「特技というのはアクションだよ。外から見て、この人はなにか特殊なアクションをしているとわかるものだ。だから我々がイベントに投入されたんだと思う。私のロボ作りもゆかりのフルート演奏も、ほかの人間から見てなにかいいことをやっている、と思われているアクションなんだ」
 晶葉の言い方には芯の強さがあった。アクション、という言葉がゆかりの頭の中に残った。
「つまり単純に得意なものがあるというだけでなく、第三者から見てなにかおもしろそうなことをやっているなと思わせるアクション、ということですね」
 言葉や心にとどめておくのでなく、行為を通じて外側に向かって見せていくのが特技なのだろう。そこで晶葉がまた言った。
「そうだな。だが例えば『核兵器を作るのが特技です!』という奴がいて、実際に見事な核ミサイルをこしらえたとしよう。それは特技かな?」
「具体的なアクションを示せるなら、特技なのかも……でもあまりいい特技ではないのでは」
「戦時下なら重宝されるかもしれないが、いまはそういうものが有効な時代じゃないよな。ならば我々は楽しく人を笑顔にする特技を披露しよう。それがフェスティバルの成功につながるんだ」
「ええ、ベストを尽くしましょう」

 スペシャルスキルフェスティバルでフルートの演奏をするからには、ありふれたクラシック音楽を奏でてもあまりおもしろくないだろうとゆかりは考えた。ではアイドルソングを吹いてみるか。フルートはポップスにも対応できる楽器だ。オーケー。いやだけどそこにもう少しスパイスを加えたい。アニメソングはどうだろう。最近のアニソンはかっこいい曲が多いし。ならその全部を混ぜて、クラシックとポップスとアニソンを組み合わせた曲を吹いてみよう、そうゆかりは決心した。
 思い浮かんだ混沌としたアイデアを組み立てるのは創造的で、やっていてわくわくする作業だった。やがて曲が一通りまとまってきたし、締め切りも近づいてきたので、本番で通用するか確かめるためプロデューサーに聴いてもらった。
 ゆかりがフルートで曲を最後まで演奏すると、プロデューサーは思案してから言った。
「いい音楽だと思うし、聴いていると元気が出る感じがする。ただまとまりに欠けるところがあるとも言える。強力な要素をぎっしり詰め込んであるのはわかるが、全体としてみると荒削りだな……まあ、フェスティバルはお祭りムードでやるから、こういう普通の曲じゃない勢いの強い曲で押してもいいんだろうな。個人的にはもう少し秩序を感じさせるものがほしいが」
「そうですか……」
 及第点をもらえたのはよかったが、未だ完璧ではないところがあるというのはゆかりにとって少し悔しかった。けど自分のベストは尽くしていると思う。なんにせよ本番で使う曲は用意できたのだ。
 そんなわけでゆかりがフェスティバルに向けて日々練習を重ねていると、プロデューサーが声をかけてきた。
「ゆかり、オーディションの審査員になる気はないか? スペシャルスキルフェスティバルに、急遽ほかのプロダクションのアイドルも数名参加させることになったんだ。お客さんにいろんな特技を見せたいからな。ゆかりにはその参加アイドルを選ぶオーディションの審査員をやってほしい」
「私に務まる仕事でしょうか。ほかのアイドルを評価するなら、もっと実力のある方が担当したほうがうまくいくのでは」
 戸惑いを見せるゆかりの目を見ながらプロデューサーは言った。
「ほかのアイドルを見るのもいい経験になると思う。それに特技を持っていて、すでにフェスティバル参加が決まっている人間からの視点が欲しいんだ」
 つまりゆかりは特技というアクションを観察する立場になるのだ。それなら評価基準もだいたい決められるような気がする。自分もアクションをしているわけだし。ゆかりはプロデューサーに言った。
「わかりました。できるだけがんばってみます」
「いい返事だ。スケジュールの打ち合わせをするから、会議室まで行こう」

 そして数回の打ち合わせをはさみ、オーディションの日がやってきた。審査員はゆかりを含めて五人。オーディションを受けるのは八人で、その中の三人がフェスティバル参加の資格を得ることになっていた。
 八人のうち七人は、オーディション会場で様々な特技を披露した。宙返りをする者、三分間で早口言葉を可能な限り連発する者、普段見かけない楽器を演奏する者、猫のようなしなやかな動きでダンスを踊る者。などなど。ゆかりはがんばって審査することに徹した。
 最後の一名は、「高峯のあ」という名前の女性だった。のあは審査員とテーブルを挟んで話を始めた。
「あなたの特技を教えてください」
 と審査員のリーダー格のスタッフが言った。のあは答えた。
「アイドルが歌う曲ならばなんでも完璧に歌える自信があるわ。それが私にとっての特技のようなもの……」
「なんでも完璧にですか」
 そう言ってリーダーは手元にあったタブレット端末を操作した。
「ではこの曲を歌ってみてください」
 タブレットから流行のアイドルソングが聞こえてきた。ただしヴォーカルの声だけを抜き取る加工がしてある。のあは無表情で頷くと、歌い始めた。
 美しい声だ、とゆかりは思った。音の高低もリズムも崩れていない。ここまで完璧に響く歌声を持つアイドルはなかなかいないだろう。そのあともタブレットからたくさんの曲が再生された。そのすべてにのあは完璧な声で対応した。歌詞を間違えることもなかった。のあの特技が終わったあと、リーダーが言った。
「実にノーマルな能力ですね」
「それは、マイナスの評価かしら……」
「マイナスでもプラスでもない、ゼロという評価です。あなたは多くの歌を歌いますが、それは新しいことではありません。普通のことなんです」
 のあは無表情なままだった。しかし話は理解しているようだった。ゆかりにもリーダーの言うことが聞こえていた。
「特技と呼ぶのには特らしさがないということね……」
「ええ、技術的にはすばらしいですが、内容面で新しい驚きがないのです。これはちょっと普通とは違うぞ、と思わせるワンダーな要素が見当たりません」
「それでは私は不合格……」
 そこでゆかりが口を挟んだ。普通の歌を完璧に歌えるのあに、普通ではない曲を与えたらどうなるか?
「あのう、私は高峯さんが歌ったことのない歌が聴きたいです」
 のあはゆかりに目を向けて言った。
「どういうことかしら」
「いま、この場で高峯さんが歌ったのは既存のアイドルソングばかりです。まったく知らない曲を聴いて、それを完璧にこなすことは可能ですか?」
「できると思うわ……しかし私がまるで知らない曲などというものがあるの?」
「あります」
 ゆかりはスマホを取り出した。フェスティバル用に作ったフルートの曲のデータが保存してある。練習した際に、特にばっちりできたものをとっておいたのだ。ゆかりはスマホをいじってその曲を再生した。クラシックとポップスとアニソンが融合した荒っぽくて全体がまとまっていない音楽が流れ始める。
「このメロディに歌声をつけてください」
 そうゆかりが言うと、のあは曲が終わるまで黙っていた。そして理解したという様子で頷いた。
「いい曲ね……わかったわ。即興で詞をつける……」
 ゆかりは再び曲を再生する。のあは歌いだした。のあの声で、無秩序な音楽に秩序が組み込まれていく。歌詞には確かなメッセージがあり、即興で組んだようには思えない出来栄えだ。戸惑うこともなく、ゆかりが演奏するフルートにのあは丁寧に声を重ねていった。普通じゃない曲が普通に聞こえる、とてもいい感じのアクションだった。

 スペシャルスキルフェスティバルが開催される会場、その控え室にゆかりとのあはいた。もうすぐ晶葉と晶葉の作ったロボたちによるダンスが終わる。ゆかりたちの出番はその次だ。
「いよいよ私たちがステージに立つのね……」
「高峯さん、よろしくお願いします」
 のあはオーディションに合格し、ここにいた。ゆかりの曲に調和する歌が歌えたところ、荒れていた曲をすぐに、的確に調整し直したことが特技と見なされたのだった。ゆかりは言った。
「気合いのこもった演奏で行きます。ヴォーカルのほうは高峯さんに任せますから」
「いいわ……ただ、私を呼ぶときは下の名前で呼んでほしい……少なくともいまは私たちは仲間だわ……」
 相変わらず表情の乏しいのあだったが、性格は冷たくはないようだった。ゆかりはちょっと恥ずかしかったが言ってみた。
「わかりました、のあさん」
「そうね……行きましょう、ゆかり……」
 控え室からステージに向かいながら、ふたりでひとつの特技を生み出すこともできるんだなとゆかりは思う。自分とのあの間に特技が眠っていた。特技というのは個人の中だけにあるわけではないらしい。だとしたら、特技というのはこれから出会う人間の中にもたくさんあるのかもしれない。ゆかりはそれを見つけたいと願った。
 今日は最高におもしろく演奏しよう、そう思ってゆかりは光あふれるステージに足を踏み入れていく。

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