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水本ゆかりちゃんの根性

 プロデューサーから渡されたタブレット端末でヒットチャートを見ると、ゆかりの曲は13位だった。心の底から残念なことだとゆかりは思い、上位に並んでいる曲のタイトルをひとつひとつ目で追っていく。これらの曲を上回る力を持った歌を、自分は歌えるのか、歌えるようになるのか?
「13位、ですね」とゆかりは言ってみた。「私、格上のアイドルには勝てないんでしょうか」
 よい数字を出せないのは嫌だし、悔しい。プロデューサーはゆかりと一緒に画面を覗いて言った。
「継続は力なりだ。諦めずアイドル活動を続けていけば勝てる日が来る」
 ゆかりは少し苛立っていた。「言葉にするのは簡単ですが、具体的にどうすれば……」
「そりゃ、練習したり経験を積んでいけばいいんだよ」
 プロデューサーは淡々と述べた。ゆかりはさらに聞いた。
「それでもだめだったら?」
「さらに練習したり自分を磨くしかないだろう。長い目で物事を見るというのは本当に難しいから、ゆかりが悔しい気持ちをいますぐに昇華できなくて嫌な気分になるのはよくわかる。だがゆかりはこれからだんだんと伸びていくアイドルだよ。トップに立てるポテンシャルは確実にある。いまはまだ下準備の段階なのさ」
 どうやらプロデューサーとゆかりでは見ているものが違うようだ。とはいえプロデューサーはゆかりを評価しているし、信じている。その気持ちを自分も共有できたらいいな。ゆかりはそう思ってタブレット端末から顔を上げた。

 数日後、学校の授業が終わり、放課後となった。ゆかりがカバンに教科書やペンケースを詰めていると、同じクラスの女の子が近寄ってきた。サッカー部のマネージャーをしている子だ。
「あの、水本さん。ちょっといいかな」マネージャーは真剣な目つきで話しかけてきた。なにやら事情がありそうだがゆかりは丁寧に応じる。
「はい。なんでしょうか?」
「ウチの学校のサッカー部がそんなに強くないってのは、知ってるよね」
「うーん……そうですね、強豪チームではないというのは知っています」
 ゆかりが小さい声で言い返すとマネージャーは何度も頷いた。
「うんうん。その通りなんだけどさ、大会に出場したのよ、ウチのチーム。そしたらベスト4までいったんだ。そんで三位決定戦が来週の土曜日にあるのよ。ちょっと日程が変だと思うだろうけど」
「ほお、それは絶対に勝ちたい試合ですね」
「でしょ。そんで頼みたいことがあって、水本さんにウチのチームの応援歌を歌ってほしいのよ。水本さんの歌、最近チームの中で流行ってるんだ。元気が出る歌声だって」
 ゆかりはちょっと戸惑った。自分の歌が流行っているだなんて。自分はまだそれほど優れたアイドルではないというのに。その上、応援歌を担当してほしいとまで言ってくれている。
 信頼されているのだ、自分は――と思うとゆかりのテンションが上がり始める。ゆかりは答えた。
「わかりました。心を込めて歌わせていただきます」
 マネージャーの顔がぱっと明るくなる。ゆかりの手をぎゅっと握ってマネージャーはぴょんぴょん飛び跳ねた。
「やったー! ありがとう水本さん! じゃ、一緒にキャプテンのところに行こう!」
 マネージャーはゆかりの腕を引っ張って教室から出た。ゆかりはよろめきながらマネージャーにくっついていく。廊下を走って、サッカー部の部室へ直行した。
 部室の中には何人かの男子生徒がいた。当然、全員サッカー部員なのだろう。ゆかりが目を向けるとどの部員も快活にこんにちはと挨拶をしてきた。ゆかりもしっかり挨拶を返す。
 マネージャーは少し背が低い男子生徒を指して「この人がキャプテン!」とゆかりに紹介した。キャプテンが深々と頭を下げてよろしくお願いしますと言うのでゆかりもどうもどうもと頭をペコペコと下げた。
 ほかの部員たちは練習するために部室を出て行き、ゆかりとキャプテンとマネージャーは小さい机を囲んで話をした。
 どのような歌を歌えばいいのかとゆかりが聞くと、サッカー部の応援歌の定番となっている歌がいくつかあるのでそれを歌ってくれればオーケーだと言われた。ちょっと古めのアイドルソングだった。吹奏楽部にも応援を頼んでいて、吹奏楽部の部員たちの演奏にゆかりの歌声を乗せて応援するという形で話が進んでいた。
 ゆかりに異存はなかったが、気がかりなことがあった。それをそのまま言葉にしてみる。
「あの、私はサッカーについてあまり詳しくないのですが、やはり詳しく知っておくべきでしょう。ルールとかポジションとか戦術とか……いかに学べば良いのでしょうか」
 それを聞くとキャプテンは顔を曇らせる。
「俺らの練習を見学してもらえばざっくりとはわかると思う。が、三位になれるかもってことで、みんな必死になってやってるからな。説明してる余裕は少ない。けど水本さんだってサッカーを十分に理解してから歌を歌ったほうが気持ちいいだろうな。試合展開とかみんなの動きの意味とかわかってないと、的外れな応援になるかもしれんし」
「おっしゃるとおりです。応援するからにはサッカーの知識を頭に入れておかないと歌が歪になってしまいますから……それではルールブックを読んだり動画でサッカーのことを調べておきます」
「ありがとう。急な話だけど引き受けてくれてうれしいよ」
 そう言うとキャプテンはまた頭を下げ、マネージャーも頭を下げた。ゆかりもつられて頭を下げた。
「絶対に負けたくない試合なんだ。水本さん、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。頼まれたからには全力を尽くします」
 サッカーを学ぶためのいい書籍や動画を見つけないと、と思いながらゆかりは部室をあとにした。

 学校を出たゆかりは、プロダクションに向かった。これからレッスンの予定があるのだ。ゆかりにはポテンシャルがあるとプロデューサーに言われて以来、レッスンには力を入れている。
 プロダクションに到着すると、そのプロデューサーにばったり会った。ゆかりの顔を見てプロデューサーは言った。
「ゆかり、これからレッスンか」
 プロデューサーは紙を二枚持っていた。新しい企画の企画書だろうか。それにしては小さい。
「はい。ダンスレッスンです。プロデューサーさん、その紙は?」
「ああこれか? 懸賞で当たったんだ。サッカーの試合の観戦チケット。ふたりぶんあるから、誰と行こうかなって思ってて」
「ぜひご一緒させてください」ゆかりは間髪入れずに言った。
「それは俺とデートをしたいってことか?」
「いいえ、違いますよ」ゆかりは首を振った。
「そんなにはっきり言われちゃうと悲しいな。涙が出ちゃう」
「そうでしたか? それは申し訳ありません……」ゆかりは困った顔になった。
「冗談だ。やはりゆかりは天然だな。だけど、サッカーに興味があるのか?」
「実は、学校のほうで――」
 ゆかりが応援歌の件について話すと、プロデューサーも納得したようだった。
「そういう事情だったら生の試合を見るのはいいことだろう。一緒に観戦しようじゃないか」
「はい、よろしくお願いします」
 そのあとプロデューサーが一言付け加えるように言った。
「あーそれと、ヒットチャートが更新された。ゆかりの曲は15位だ」
「そうですか……もっと熱心に励まねばなりませんね」
 やっぱり自分は負けている。ゆかりは元気を欠いた。それでも前を向くしかないのだろう。

 後日、そんなわけで、ゆかりとプロデューサーはサッカーの試合が行われるスタジアムにやって来た。シルバーゴーレムスというチームとボロスナイツというチームが戦う試合だった。スタジアムに集まったサポーターの服装はカラフルで少しばかり辺りへの主張が激しく、物騒な雰囲気になっている。これから戦いが始まるのならそうなるのも当然か、と地味な服装を選んだゆかりは思った。
 そしてゆかりたちは観客席に腰を下ろした。
「ナイツのほうが上位にいるチームで、ゴーレムスはそれほど強くないチームなんだ」
 とプロデューサーが言った。まもなくキックオフで、ゆかりはセンターサークルを見つめていた。
「それではボロスナイツがこのゲームに勝つと?」
「順当に行けばな」
 そして主審の笛が鳴り試合が始まった。プロデューサーの言葉通り、ボロスナイツが快調に攻め続け、シルバーゴーレムスは序盤から押され気味だった。
 よく見ておかねば、とゆかりはピッチを凝視してメモを取る。ナイツの選手たちのプレーは見事だった。パスの精度は高く、運動量は豊富で、空いたスペースを見つける技術、相手を無駄に走らせて釣る動きなど、ボロスナイツの選手は常に巧みに戦っていた。前半終了時のスコアはナイツが2点、ゴーレムスは0点だった。
 後半の始まりからもナイツが主導権を握ってゲームを展開した。しかし後半13分、コーナーキックからのゴールでゴーレムスが1点を得た。ゴーレムスのサポーターたちは盛り上がり、追加点を得るよう応援する。しかし失点が怒りに火をつけたのか、ナイツの選手たちは猛然とゴーレムスに反撃した。パスをつないでボールを前線に運び、ゴールの枠内めがけてシュートを撃ちまくる。ゴーレムスは必死にディフェンスし、攻めに転じられない。
 そうして後半の45分が過ぎ、残るはわずかなアディショナルタイムとなった。スコアはナイツ2点、ゴーレムス1点で、このまま試合が決まるか、とゆかりが思ったときにゴーレムスの選手が敵のパスをカットし、相手のゴールに向かい全力でドリブルをし始めた。試合は終盤で、体力も尽きているだろうに、シルバーゴーレムスの選手は猛突進していく。その背中を押すようにゴーレムスのサポーターは大きな声援を送る。
 がんばれ、とゆかりが思うとその選手はシュートを放った。スタジアムにいる全員が息を止めてシュートの軌道を見守る。決まれば2-2でドロー、となるところだったが、あと少しのところでボールはポストに当たり跳ね返された。直後に試合終了。ボロスナイツのサポーターたちは歓喜の声を上げた。
 試合展開を見て、ゆかりはちょっと興奮していた。
「惜しかったですね。あのシュートが入っていれば引き分けだったのに」
 プロデューサーの返事は素っ気なかった。
「負けは負けだよ。1点差でも。確かにナイツは強力なチームだが、ゴーレムスにも勝ち筋はあったわけだろう。その勝ち筋を拾えなかったから負けた。もっと強くならんとな」
「それは、そうですが」
 ゆかりは自分のことを言われているように感じた。ゆかりもまた勝ち筋を拾えずにいる。継続は力なり、ということはもっと練習すれば勝ち筋を手にすることができるのだろう。ゴールは見えている。しかしその勝ち筋を拾うところまで行くエネルギー、それが自分には欠けている。エネルギーの無いまま練習しても、歩みは遅くなるだろうし、迷ってしまう。それでは嫌だが、どうしたらいいのかわからない。

 そして、ゆかりの学校のサッカー部が三位決定戦を戦う日が来た。会場は陸上競技にも使われる運動公園だった。自軍と敵軍それぞれの学校の生徒が応援に来ている。席はそこそこ埋まっていた。マネージャーは観客席の最前列にいるゆかりにマイクを渡した。
「はい、水本さん。マイクの使用許可もらったから試合始まったら思いっきり歌っちゃって」
 傍らには吹奏楽部の面々がいる。彼ら彼女らと応援歌を奏で、自軍を勝利に導く。それがゆかりの仕事だった。
「わかりました。皆さん、よろしくお願いします」
 一礼すると吹奏楽部員も礼をした。マネージャーは「あとはよろしく」と言って引っ込んだ。
 試合が始まると、ゆかりは大きく息を吸い込んだ。試合の流れを受けて、チームに元気を与える歌、励ます歌、護る歌、いろいろな曲をゆかりは歌った。戦況は自軍の劣勢が続いていた。ボロスナイツに苦しめられたシルバーゴーレムスと同様に、ゆかりの学校のサッカー部はなかなか攻撃を展開できず、守りを強いられている。
 ゆかりは力一杯歌った。自分の学校のサッカー部に勝ち筋を掴んでほしい、と祈って。観客は盛り上がり、それに応えようと自軍の動きも鋭くなっていく。負けるなと思ってゆかりはプレーを見守る。プロサッカー選手に比べればプレーのレベルは低い。それでもみんなが全力で戦い、試合は白熱し、ゆかりはピッチに立つ選手のすべてを見て歌声を張り上げる。
 しかし結果としてゆかりの学校のサッカー部は負けた。部員たちは落ちこんだ顔でコートを去って行く。ゆかりの気分も落ちこんだ。すると観客席にいるゆかりのところにマネージャーが来た。
「キャプテンがお礼を言いたいって。水本さん、来てくれない?」
「ええ、行きます」
 マネージャーに連れられてゆかりはキャプテンと対面した。キャプテンはゆかりの姿を見ると、微笑んで言った。
「ありがとう、水本さん。いい応援歌だった。気持ちよく戦えたよ」
「いえ、私は大して役に立てませんでした。負けてしまったのが悔しいです」
 キャプテンも悔しそうだったが、表情は前向きに見えた。
「そうだな。勝つためにはさらに鍛えないとだめだ」
「強くなるには、練習するしかないんですね」
 ゆかりがそう言うと、キャプテンは深く頷いた。
「うん。限界まで挑戦するしかないよ。でも一回の試合に負けるのは一回だけなんだ」
「と、言いますと?」
「試合を一回やって、二回負けて三回勝つということはありえないだろ? お互いが一回勝って一回負ける。一対一の対応だよ。だからプレーのひとつひとつを調べれば、パスの正確さに欠けていたとか、走り込むタイミングが悪かったとか、一個ずつ潰していけるんだ。すべてのプレーに対応するミスと答えがあるんだよ」
 ゆかりは考えた。アイドル活動とサッカーではルールがまるで違うし、一対一の対応はしていないのかもしれない。それでも自分の弱い部分、負けに繋がりそうな点を確認して、次に進んで戦うことはできる。負けの裏側には勝ちがあるのだろう。裏から負けを見る、それが勝ち筋を見つけるポイントなのだ。
「要するに、負けを認めるから、そういう考えができるのですね」
 そうゆかりが言うと、キャプテンはちょっと驚いたあと、笑った。
「ああ。負けたあと、負けたことをどう取り扱うかだな。負けは対策を立てる材料になるものでもある」
 キャプテンの言葉にゆかりの気持ちがほどけていく。
「負けはエネルギーにもなりますね」
「そうとも言える。負けはエネルギーの源なのかもな」

 数週間後、ゆかりの新曲をリリースするプロジェクトが始まった。できればヒットチャートの上位に入りたいところだ。プロデューサーはゆかりに企画書を読むように言った。
「大切な人の元気を回復させる、がテーマですか」
「いまの世の中、暗いニュースが多いからな。ゆかりの歌を聴いて元気を出そう! というのがコンセプトなんだ」
 ゆかりは思う。この曲で勝ち筋を拾えるか。勝っても負けても良いことがあるはずだ。負けから得るものを得て、勝ちにつなげるエネルギーに変換する。それこそが真の勝利かもしれない。自分はアイドル業界の中でどう負けて、どう勝つか? そう思うとゆかりはワクワクしてきた。

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