大石泉ちゃんが護るもの
そのアイドルは泉とよく似たルックスで、おまけにダンスの動きや歌い方も類似点の多いアイドルだったが、それぞれすべての面で泉を上回るパフォーマンスを発揮するアイドルだった。
泉はそのアイドルが名声を浴びるのを見ながら、自分も負けずに優れたアイドルであろうと一生懸命にがんばった。しかし泉の仕事の商業的な成績はやや不調になり、ライブに来るお客さんも減少傾向になりつつあった。
ある日、泉はたまたま事務所で顔を合わせたプロデューサーに言ってみた。
「プロデューサー、私は淘汰されるのかな。私の上位互換みたいなアイドルが活躍しているし、もう私はもう使い物にならないアイドルで、最前線から退場していくのかしら」
プロデューサーは穏やかな口調でそれに応えた。泉を励ましているトーンだった。
「私からすれば大石さんは未だパワーのあるアイドルに見えます。アイドル業界から退場するしかない、とは思いません。もう少しアイドル活動を続けてみませんか」
「うーん……わかったわ。もうちょっとがんばってみる」
プロデューサーが応援してくれたのはうれしかったが、かといって泉本人はどうしたらいいのだろう。もっとスキルを身につけたり、フットワークを軽くして、いろんなところから仕事をもらって、そつなくこなしていけばいいんだろうか。それでは不十分な感じがする。
「私はちょっと片づけなければならない仕事がありまして」と言ってプロデューサーは執務スペースのほうに歩いていった。泉もこれからダンスのレッスンをする予定だったので、ひとりでレッスンルームへ向かった。
アイドルになる前の泉は身体を動かすのは苦手だったが、ダンスの練習を繰り返すうちに体力は増えてきていた。その日のレッスンもミスなく終えることができて、自分は決して劣ったアイドルではないのだとプロデューサーの言葉を思い出した。ただ、もっともっと成長したいとも感じる泉だった。
そんなふうにしながら泉はダンスレッスンを終えて、レッスンルームから出た。ふとスマホをポケットから取り出して時計を見ると、時刻は16時45分。
喉が渇いていたので水分補給しようと泉は休憩室へ足を運ぶことにした。自販機で飲み物を買い、近くの椅子に座って暇つぶしにスマホでニュースを見始めた。画面に並んだ様々なニュースの内、『日本全国の路上に不思議なカードが落ちている。謎の現象』、という見出しの記事が気になったので、その詳細を読んでみた。
今日の15時あたりから、日本中の至る所に赤いカードが落ちているのが見つかり、カードには白いアルファベットのような文字が書かれているのだが、それは意味不明な記号にしか見えず、誰がどうやってそんな奇妙なものを日本にばらまいたのか、謎である……というニュースだった。
なんか不思議なことだな、と思って泉は飲み物で喉を潤し、そろそろ帰らなきゃと事務所の外へ出て行った。
事務所から出てすぐ、地面に赤いカードが落ちているのを泉は見つけた。
これがニュースになったものか、と泉はハガキくらいの大きさのカードを拾った。白い文字が書かれているのも記事の内容通りだ。文字はぱっと見、意味不明な記号だった。
しかし泉は読み取ることができた。
「……私たちを、助けて欲しい?」
文字をそう読み上げた途端、泉は意識を失った。
泉が最初に感じたのは、背中に硬いものが当たっている、という感覚だった。次いで目を開けると、淡い輝きを放つ天井が見えた。天井は石でできているようだ。照明器具は特に見えないのになんできらきら輝いているのだろう、と思いながら泉は身を起こす。どうやら硬い台座のようなものの上に自分は横たわっていたらしい。少し首を振って辺りに視線を向けると、台座の脇に泉が事務所を出たときに持っていたカバンが置いてあったのと、ひとりの少女が泉のそばに近づいてくるのが見えた。
「やりました! 召喚プログラム成功です!」
少女はそんなことを言って笑顔になった。泉はわけがわからなかったがまずその子に聞いてみた。
「ここは、どこですか?」
「ここはラ・ジュールの街にある私のラボです。私の名前はナナ・アベ。あなたのお名前は?」
「大石泉です。ラ・ジュールというのは、地球のどの辺りにある街ですか? ヨーロッパとか中東のほう?」
なんだか面倒くさい流れになってきたぞと泉は思った。泉がいるのは石をくりぬいて作ったような円形の部屋で、さっきまで泉が横たわっていた台座が円の中央にあり、ほかにはタブレット端末に似たガラス板や銀色の杖と紫色に輝く鏡が辺りに置かれていた。
「いいえ。ここは地球という星ではありません。ナナたちが住んでいるのはモニクと呼ばれている惑星です。そしてモニクにある唯一の街、それがここラ・ジュールです。ラ・ジュールのほかに人類が生活している地域はないでしょう」
「あー、それはつまり」
話を整理しようと泉は考え出した。事務所を出て、赤いカードを拾ったのは覚えている。カードに書かれていた文字を読んで、気がついたらここにいた。「ここ」というのはモニクという星にあるラ・ジュールなる街で、目の前にいるこの女の子はナナ・アベという名だ。思い出してみると、ナナの第一声は「召喚プログラム成功」だった。
「要するに私は地球からモニクに呼び出されたということ? 世界をまたいで私を召喚した、と」
ナナは深く頷いて言った。「はい! 異なる星にカードを送ったんです。適性がある人がそのカードを読むとここに召喚できる、というプログラムを書いて、実行しました。そしてちゃんと成功したのです」
「ファンタジーすぎて実感がわかないわね。夢かな」
「リアルな話です。では、この世界の状況を説明させてもらえませんか? 泉さんも知りたいでしょう」
「知らないままじゃなにもできないよ。説明してくれるなら全部聞くわ」
「それじゃナナのオフィスに行きましょう」
ナナは辺りに置かれたアイテムを両手で抱えて持つと、円形の部屋を出て行った。泉もあとに続く。いくつかのドアが並んだ廊下を通り、ナナのラボから外へ出た。空を見上げれば陽光がさんさんと照りつけるいい天気だった。ダンスレッスンが終わったのが16時45分だったから、ここまで日差しがさしているのは不自然だ。少なくとも空の様子は夕暮れ時になっているはずだろう。やはりここは異なる星の上なのか。
ラボ周辺の様子も奇妙だった。地面はアスファルトに覆われているのではなくむき出しの土で、高層ビルなどなく、小さな家がまばらに並んでいる寂しい景観だった。野菜や小麦を育てているように見える畑らしきものがあって、何人かの人が農具と思われる道具を持ってそこでなにやら作業している。車もバスも自転車も電車も走っていない。信号も道路標識も横断歩道もない。日本ではないことは確かなようだ。
ナナのあとを追いながら泉は考える。しかし、こうして自分が普段と同じようなペースで歩いているということは、この場の重力は地球と似たようなもの。呼吸もちゃんとできているので、大気の成分も地球と同じと見ていい。ならやっぱりここは地球上のどこかとも推測できる。けれども泉はだんだんここは地球ではないのではと思い始めていた。
やがてナナは足を止め、「ここがオフィスです」と言って横に長い形の建物に入っていった。泉もそれに続く。入ってみると左右にドアがある四角い部屋があって、ナナは左側のドアを開けて、こちらに来てくださいと言った。右側にはなにがあるんだろうと思いつつ泉はナナを追う。
ドアの先はちょっと高級な部屋だった。赤い絨毯が敷かれ、ピカピカ輝く青い机があって、壁には美しい風景を描いた絵が何枚か掛かっている。部屋に足を踏み入れると、ラボから持ってきたアイテムを隅に置き、ナナは机に近寄った。
「それでは、この世界のことを説明します」
「ちゃんと聞くから思う存分説明してね」
よくわからないことばかりだから、泉は少しでも情報が欲しかった。ここが異世界・異なる星の上だとしても、なぜ世界をまたいで自分を召喚する必要があったのかも知りたい。
ナナが輝く机に触れると、机の上に立体画像が表示された。こんな機能を持った机が地球にあるだろうか? 泉は動揺して言った。
「えっ、この机はどういう仕組みになってるの」
「これは画像を表示するマジックアイテムなんです。触れれば埋め込まれた画像データを開くことができるんですよ」
「マジックアイテム? 魔法の道具ということ?」
「ええ、魔法によって作られた物ですね。モニクに住む人々は少しだけ魔法的な力が使えるんです。泉さんを召喚できたのも魔法を行使したからです。それに、ナナと泉さんの言葉を自動的に翻訳するマジックアイテムもナナは身につけています。さっきから会話が成り立っているのはそのおかげです」
マジカルな力が使えるなんて、ここが異世界というのはマジな話なのか。そうなるともっとナナの説明を聞きたくなった。
机の上に表示されたフルカラーの画像を見ながらナナが言う。
「これはモニクの地図です。28年前の」
陸地は白、海は青、山は赤、森は緑に色分けされていて、陸の上には複雑に絡み合った線が何本も走っている。
「この線は国境です。モニクには多くの国がありました。そしてそれぞれの国は国益を守るため互いに争ってばかりいたのです。モニクは元々、資源に乏しい地域ばかりで、農耕に適した土地や鉱物を採掘できる鉱山は少なかったんです。限られた資源を自国のものにして版図を広げるために各国は戦争に明け暮れていました。奴隷をこき使っていた国もたくさんありましたし、邪魔な人間がいれば暴力でもって排除するのは当たり前でした。それが女性や子供であっても」
泉は黙ってそれを聞いて、ここが地球とは異なる星だとはっきり理解した。地球には存在しないテクノロジー、存在しない地理的条件があるということは地球とはかけ離れた別個の世界なのだろう。
泉は続きが気になった。ナナは話を止めない。
「戦争が絶え間なく続く中、御使いがあらわれました」
「御使いって?」泉は首をかしげた。
「神の使者である、と言われている怪物です」
ナナが机をコツコツと叩くと、別な画像が表示される。
「これが御使いです」
映し出されたのは恐竜のようなモンスターだった。続いてナナはもっとたくさんの画像を呼び出す。角の生えた巨人、馬鹿でかいカエル、長大なムカデ、火炎を吐く膨張したライオン。
泉はそれらを見て言った。
「気色悪い外見ね……こんなのが神様の使者なの?」
「あくまで『そう言われている』だけです。そして御使いはモニクの大地に降り立つと、無差別に人と建物や土地を破壊しまくりました。その姿が、争いばかりしている愚かなモニク人を否定して根絶するために神から送り込まれた使者と解釈されたのです」
またナナが机を叩くと、御使いが人と物を破壊し続ける映像が浮かび上がった。家屋を焼き払い、人々を踏みつけたり触手でなぎ倒す御使いの姿がずっと泉の目の前にあった。
「御使いは一体で降り立ちます。そして自身のエネルギーが尽きるまで破壊に耽るんです。たとえ御使いを倒してもまた一体、天から降臨します。戦いが繰り返されるわけですね。ただでさえモニクの国々は戦争ばかりしていて優秀な戦士や魔法使いがどんどん戦場に投入され、傷ついて消耗していくのに、御使いにも対処しなくてはならなくなったんです。モニクは想像を絶する大混乱に陥りました。そして28年が過ぎました」
机上の画像がまた切り替わった。再び地図の画像があらわれたが、国境線は見当たらない。
「これが現代のモニクです。陸地に走っていた線はひとつもないでしょう? すべての国が戦争と御使いとの戦いに疲れ切って解体していきました。モニクの人口も減少し続け、いま生き残っている人間は346人しかいません。その346人が暮らす街、それがここラ・ジュールです。ラ・ジュールはモニク全土の中でも奇跡的に資源が豊富なところで、だからここに人が集まって、なんとか生活しています」
「346人……生きている人はたったそれだけなのか」
「ハイ。そして御使いは未だあらわれます。人類が絶滅するまであらわれると言われています。泉さんをこの世界に召喚したのは、御使いと戦ってほしいからです」
「えっ、私があんな怪物と戦えるわけないでしょ」
「武器はあります。強力なやつが。それに搭乗して――」
ふいにドアが強くノックされた。ナナがドアに歩み寄って開けると、若い男性が緊迫した面持ちで立っていた。ナナは聞く。
「なにかありましたか?」
「アベ司令! 御使いの降臨を確認しました! 戦闘の準備を!」
「来ましたか! 了解、司令センターに行きます。泉さんも来てください」
そう言いながらナナはさっさと行ってしまう。泉はなんとなく不安を感じながらナナについていった。
ナナのオフィスに入ってすぐの、左右にドアのあった部屋――その右側のドアを開けると、そこが司令センターと呼ばれる部屋だった。中を見て泉は学校の教室を連想した。これもマジックアイテムであろう輝く机がいくつか並べて置いてあって、それに向かい会う形で黒板くらいのサイズのモニターのようなガラス板が設置してある。このモニターに見える装置も輝く机と同様のアイテムだろう。
四人のスタッフが輝く机を叩いたり、机上で指を滑らせたりしている。コンピュータを操作している感じ。モニターにはあらわれた御使いの姿が映し出されていた。カマキリを巨大化させて二足歩行にアレンジしたような格好だった。
ナナは硬い表情で泉に言った。
「泉さん、あの御使いを倒してほしくてあなたを呼びました。ナナたちのために戦ってくれますか?」
「……もし、それを私が拒否したらどうなる?」
そう言った泉を、ナナは責めたりしなかった。
「無理ならば、ここはナナたちでなんとかします。武器を持てる住民をかき集めて、御使いと戦います」
「で、でも残っているのは346人だけなんでしょ。どれだけ戦える人がいるの?」
「投入できるのは50人くらいですかね。食料や衣服を作れる住民は残しておきたいですし、子供やお年寄りを戦わせるわけにもいかない」
「勝ち目、あるの?」
「御使いを引きつけて、長時間暴れさせるんです。そうして相手のエネルギーが切れるのを待てば勝てます。暴れるのに付き合う最中に怪我したり死ぬ危険性はありますが」
それが勝利と呼べるのか。しかしナナたちが生存するにはそれしかない。なぜそうして生き残ることを望むのか。世界はメチャクチャになり、人口は激減して人々が生き延びうる可能性は少なくなっていく。それでもなおナナたちは生きることを諦めない。
泉は言った。
「どうしてそこまで戦いを続けるの?」
「それは、生き延びたいからです。御使いなんていう怪獣に負けずに、生きていきたいんです。そう思っている人が集まって、この街に住んでいます。一日でも長く自分の命を持っていたいんですよ、みんな」
本気で生きているんだ、この人たちは、と泉は思った。勇気を持って必死に、力を尽くして生きているのだ。自分も力を出してみよう。泉は決めた。
「わかったわ、ナナさん。私が御使いと戦う。これでいいよね?」
「ありがとうございます! では泉さんの使う武器を渡します」
ナナはスタッフの一人に声をかけた。「御使いはあと何分でここまで来ますか?」
「三分後に、ラ・ジュール付近に到達する見込みです!」スタッフは答えた。
「了解しました。泉さん、走ってラボまで戻りましょう」
「わかったけど……武器って、どんな武器なの? 私、竹刀すら持ったことない」
「そのへんは大丈夫です。武器を見れば分かります。行きましょう」
ナナは駆け出した。泉も走ってラボまで戻った。
そしてラボに入ると、ナナは奥のほうにある部屋に入って、壁に付いたスイッチを押した。すると、床の一部がスライドして穴が空き、地下へ通じているであろうハシゴが見えた。
「武器はこの先にあります。なるべく急いで」
そう言ってナナは慣れた手つきでハシゴを伝って地下に降りていく。泉も遅れずに急いで降りた。
地下のフロアに到達すると、開けた空間がある。その中で、ナナが目の前にあるものを指さして言った。
「あれが泉さんの武器です」
「武器って……巨大ロボットじゃないの、これ」
「御使いに対抗すべく開発された武器ですよ。これもひとつのマジックアイテムなんです。こいつに乗れば御使いを撃破できるでしょう」
銀色の、巨大な人型ロボットとしか表現できない機体だった。騎士の剣を思わせる直線的でエッジのきいたシルエット。頭部にはユニコーンのような角が付いている。マジカルな力は巨大ロボまで設計開発できるらしい。
「部品とかエンジンもマジックアイテムなの?」
泉が聞くと、ナナは頷く。
「はい、全部マジックアイテムで構築された武器です。こいつは対御使い戦に向けて作られたマジックアイテムの塊なんです」
「マジックアイテムって都合良すぎない?」
「都合がいいものは全部使います。生き残るために」
「どう操縦するの? マニュアルとかはある?」
「こいつは搭乗者の意図を汲んで、動作に反映させます。コクピットには操縦桿とフットバーがありますが、適当に動かすだけで泉さんの意図を機体のコアがキャッチして、動いてくれます」
つまりはこの機体の中には優れたAIのようなものあって、こちらの操縦を解釈し、機動に反映させてくれるらしい。
泉とナナは機体に近寄った。脚部にあるアクセスパネルを開けると、青いボタンがあった。ナナがそれを押すと、機体の胸部が開いた。同時に太いケーブルがそこから泉たちのところへ落ちてくる。
「このケーブルに捕まれば、自動的に胸部のコクピットに引っ張り上げてくれます。コクピットのシートに座ったら、機体が泉さんをスキャンします」
「スキャン? なにかを測定するの?」
「搭乗者の誕生日と髪型をスキャンして、OKとこいつが判断すれば、こいつは起動します。NGだったら起動しません。誰でも乗れるようには作られていないのです」
「誕生日と髪型? なんでそんな仕様に?」
「ナナが作った武器ではないので詳しくはわからないんですが、こいつは誰かの専用機として作られたみたいなんです。特定の誕生日と髪型が合致する者のみが操れるんですよ」
「まさか、その条件に当てはまるから私を召喚したの?」
「当たりです。条件に一致する者がここにはいないので、搭乗者を異なる星から呼んで、その人に乗ってもらうという計画でした。絶望的に当たる確率の低いくじを引くようなものですが」
「なんと……それもまた、生きるためか。わかった、やってみる」
そう言うと泉はケーブルを手で握った。すると上の方向に引っ張られ、胸にあるコクピットへ入ることができた。中にはナナの言ったようにシートがあったのでそこに座った。
すると、コクピット内部が一瞬キラリと光った。光が収まると、シートの背中側から甲高い音が聞こえてきた。エンジンが始動したと推測できる。この機体は泉を信頼したらしい。間もなく開かれていたコクピットが自動的に閉まった。
シートの正面には司令センターで見たモニターのようなものの小型バージョンが据え付けられていた。外の様子がこのモニターっぽいものを通して見える。
機体の足下でナナが叫んでいた。その声がコクピット内に伝わって聞こえた。外部の音声を拾っているらしい。
『起動しましたね! もう御使いは街のすぐ近くまで来ています! フロアの右手に進んでください。地上にワープする魔法陣があります。幸運を祈っています!』
「了解……なにか武器とか持ってないの、この機体」
『あ、忘れてました。壁に剣が掛かっているでしょう。それを使ってください』
泉が操縦桿を握って少し動かすと機体の右手が壁の剣を取るように動いた。動かしかたはこんなもんでいいのかな、と泉は思い、フットバーに足を乗せると、機体はゆっくり動き出した。操縦桿を右側に倒せば機体は右を向いた。そのまま進んで、床に四つの三角形が重なって描かれたところまで来た。
これが魔法陣らしい。泉は三角形の模様の中心へ機体を立たせる。そうすると周囲に淡いブルーの光がきらめき、機体が上昇していくのが感じられた。エレベーターに乗っているような感覚だと泉が考えていると、光は薄れていき、気がつくと泉と機体は地上に立っていた。
真っ正面に、御使いがいた。
「うわっ……!」
近くで見ると本当に巨大で不気味な化け物だ。御使いはいきなりあらわれた泉に対して容赦することもなく、即座に切り裂こうとカマキリ状の腕を振りかぶる。泉は慌ててフットバーを踏んだ。機体の反応は忠実で、泉は右へ小さくジャンプ、御使いの一撃を回避した。
どう戦えばいいのかと泉が考えていると、御使いはタックルを仕掛けてきた。その動きは素早かったが、直線的で動きを見切りやすい。泉は少しステップを踏んでかわす。
御使いはがむしゃらに泉の機体を破壊しようと暴れ回った。その動きのテンポは単調で、アイドルとしてダンスの練習を繰り返していた泉にとっては避けやすいリズムのものだった。
御使いの攻撃に合わせて踊るように回避機動を取る泉。泉はまず避けることに徹した。その間に敵の隙を見つけようと観察する。
ここだ、というタイミングを計って泉は剣で御使いに斬りかかる。御使いは腕でガードした。御使いの腕は硬く、剣の刃が弾かれてしまった。もっと強い力で斬りつけないと、こいつにダメージを与えられない。なにか策はあるか。
いったん泉はバックステップして御使いと距離をとった。御使いは泉をぶっ飛ばそうと突撃してくる。泉は迫る御使いと向かい合い、機体の両腕で剣を大上段に構え、至近距離に迫った御使いに、剣を思いっきり振り下ろそうとした。御使いはまた硬い腕で剣を弾く動きを見せたが、泉は動きの途中で剣を止め、代わりに右足でキックを放った。予想していなかった泉のフェイントからの蹴りに、御使いは姿勢を崩し倒れかける。
今度こそ、泉は操縦桿を握りしめ、全力で御使いを斬る。フルパワーの斬撃は倒れかけの御使いの腕をついに断ち斬り、身体に刃を食い込ませた。だが御使いは起き上がって反撃しようとしてくる。まだ剣を止めてはだめだ。とどめを刺すために泉は力を注ぎ続ける。歯を食いしばり、手が痛くなるくらい強く操縦桿を握った。
やがて御使いの抵抗は弱まり、泉が刃をさらに深く通すと、御使いの動きは途絶えた。泉が御使いを斬ったのだ。
撃破した、と泉が思うと同時に、御使いの身体は砂のような細かい粒になって散っていった。こいつは死体を残さないようだ。舞い散る砂を泉は眺めた。その中でたったひとつ、黒い粒が空に昇っていくのを泉は見た。
どうやら勝ったらしい。ロボに乗って、怪獣と戦って、泉は勝った。生き残ることができた。泉は息を吐いて、シートの背もたれに寄りかかった。モンスターと命の取り合いをする経験など初めてだ。でも悪くない気分だった。
機体を歩かせてラ・ジュールの街に帰ると、ナナを先頭に多くの人が泉の機体のそばに集まってきた。
『泉さん! ありがとうございます!』とナナが言った。
「ナナさん、私、どうやってこの機体から降りたらいいの?」
『シートの下の方にあるレバーを引くんです! そうしたらコクピットが開きますから』
言われたとおりレバーがあったのでそれを引くと、コクピットが開放された。同時に乗ったときと同じようにケーブルが伸びたので、それに捕まって地上まで降りていった。
泉が地面に足を付けると、集まった人々から歓声が上がった。街のほぼすべての人がここに集合しているようだった。泉はライブで声援を送られたときのことを思い出した。
ナナを含めたみんなが「ありがとう」と笑顔で言っていた。自分たちが生き残れたことを、心の底から感謝していた。それを見た泉も笑顔になった。みんながとてもうれしいと思えることを、己は成し遂げたと思った。賑やかな歓声の中で、泉は充実した気分になっていた。
やがて日は落ちて夜の闇がラ・ジュールを包んだ。泉はナナのラボの一室に寝泊まりすることになった。泉はナナと一緒にその部屋を片づけ、眠る準備をしていると、ナナが言った。
「泉さん、今日の戦い、どう思いましたか」
「どうって言われても……相手の動きがけっこう単純だったっていう感じはあった。ダンスの初心者みたいな動き方だったというか」
「御使いの挙動がシンプルに見える、というのはこれまでの戦いから得られた情報のひとつです。あのように巨大ですから、ただ暴れ回るだけで人を蹴散らすことはできるんですけどね」
「同じサイズで挑めば渡り合えるってことを、私が証明したのか」
「はい、有効な戦い方ができたと思います。ナナたちは御使いと戦う戦術も研究していますから、泉さんが乗りこんだあの機体をぶつければ勝てるのでは、と考えていました」
「ということは、全部、ナナさんたちの生き残りを懸けたアイデア通りだったわけか。勝てたからいいけど」
「でも、御使いはどうして一体ずつあらわれるのかが未だにわかりません。本当にモニク人を根絶したいなら、逐次一体ずつ襲ってくるのでなく、戦力を一気に投入させて人を殺し尽くすべきでしょう。なぜそれをやらないんですかね」
「破壊以外に、なんらかの目的があって御使いが襲ってくると? ナナさんはどう考えているの」
「そこはちょっとまだわかりません。なにか、ただの戦闘ではない気がするのです」
泉はそれを聞きながら窓の外を見た。この世界にも月があって、美しく輝いていた。この先どうなるかはわからない。でも必死に生きている人を応援したい気があるのは確かだし、自分もまだ生きていたい。もうちょっとこの世界で生き抜いてみよう。
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