わたくし

思春期の頃
「わたし」「じぶん」というものが
「何であるか」を定義したくて
長い時間考えていた。

考えていた理由はとても簡単で
「自分がこの世に存在すること」を
許してほしくて
許される理由を見つけたかったから。

昔から自信がなくて
自分ができることは世間一般の人はできるのだと思っていた。

世間一般の「普通の人」は
できるのだと信じていた。

だから学校で私より成績が低い子のことは
見下していたし、
他者に過剰な期待をしていた。
「これくらいできるだろう、私だってできるのだから」と。

兄弟が優秀だった。両親も優秀だった。
祖父母も他の親戚も優秀だった。

幼いころのわたしの周りには
優秀な人しかいなかったら
ちょっとできるだけでは認めてもらえないと思っていた。

(実際は私が何ができて何ができなくても
 親族は私の存在を許してくれていたのだけど
 それに気が付くまでに長い時間がかかった。)

反抗期には
「どうしてもっと愛してくれないのだ」
と、母に訴えた。

なんて直接的なんだろうと
高校生になったころに自分でも笑った。
高校に入って、親が無条件に(兄弟よりもずっと)
私を愛してくれていることに気が付いた。

本当にそれは突然のことで
きっかけは覚えていないけど
親に愛されていることを実感できた日があった。

それから何かあっても何もなくても
「いつも愛してくれてありがとう」
「あの頃は愛されていることがわからず文句を言ってごめん」
と言うようになった。

母は、
「こんなに(何ならほかの兄弟よりも)愛しているのに
 それが伝わっていなくて、どうすればいいのかなって思った」
と笑って言った。

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