疾患なのか障害なのか

成人したころに発症した。
「発症」と表現するのに
病名は「〇〇障害」となっている。

20歳で発症した場合
一般的には完治はしないと知った。

この病気と一生付き合っていくなんて
絶望しかなかった。

でも
わたしには受け入れなければならない罰なのだとしたら
仕方ない気がした。

大学3年生の終わりごろ
大学からの帰宅途中に突然涙がこぼれた。

やばい
これはやばいやつだ。

やばいだろうということはわかったので
投げやりな気持ちで大学の先輩にメールをした。

帰宅途中、歩いているときに涙が出てきたんですけど
これってやばいですよね…

そんな文面だったはず。
先輩からはすぐに返事が来た。

何かを思い出したとかきっかけがないなら病気だな。

シンプルな回答。
心理学を専攻していたわたしには
「これがうつ病というやつか…」
と思い至るのに時間はかからなかった。

うつ病になる原因はいくつか思い当たった。
人には言っていないこともある。
言ったところでどうにもできないことだし
非難されるだけだろうと思ったから言わなかった。

このことは親にも言わなかった。
言えなかった。

家族や友人には
部活の問題だけを思い当たる原因として伝えた。
大学の学生相談室のようなところに通い、カウンセリングを受けることになった。
紹介された病院に通院するようになった。

そこの院長は一貫してわたしを「思春期のうつ病」と診断(断言)した。
しかし、少しずつうつ病では説明ができない状態がでてきた。

仕事で忙しかった母がいろいろ調べて、
わたしが別の病気ではないかと思い至った。
しかし、その院長はこちらの話を聞かず、うつ病だと言い続けた。

状態が良くならないまま大学を卒業し、
奇跡的に就職した。
職場の近くの病院を自分で探し、病院を変えた。
2つ目の病院では初診時に、母が調べたときにたどり着いた病名がついた。

やっぱり
単極性ではなかったのだ。

うつ病の薬を飲んでいても状態が安定するわけがない。
根本的な性質が違うのだから。
やっぱり最初の主治医はやぶだった。

2つ目の病院に通い始めて3年目、
九州にいる有名な先生の診断を受けようと思い
両親に付き添ってもらって出かけた。

そこでわたしにはどの薬が合うのかアドバイスをもらい
地元にいるその先生の知っている医者を教えてもらった。

今はその3つ目の病院に通うようになって5年になる。
発症(診断)から9年と半年。
薬を飲まなくてよいと判断された。

いまも苦しくなると薬に頼りたくなる。
主治医もあまりにつらいようならまた飲み始めてもいいと言う。
だけど、薬を飲んでいるとお酒が飲めない。
目の前でおいしそうにお酒を飲まれると私も飲みたくなる。
制約だらけのあの頃に戻りたくない。

もちろん、薬を服用するようになれば献血もできないし、妊活もできない。

できないことだらけの生活は
振り返ってみるとなかなかしんどい。

10年前に発症してからのわたしのノルマは
「1日でも長生きすること」
つまり「今日死なないこと」。

いまだに生きるのはしんどいなと思う日はあるし
消えてなくなりたいと思う日がある。

でも、
手首は切れなかったし(肌が強すぎるみたい)
オーバードーズはできない(飲み込めない)

そして家に帰るとわたしがいないと生きていけなさそうな生き物がいる。
しかも最近増えた。
そうやって自分で自分を死なせないための工夫をするようになった。

親兄弟やパートナーは
私が死んでもなんとか生きていくだろう。
でも
猫は言葉も通じないし、わたしが死んだことも理解できずに
ずっと帰りを待ってなくかもしれない。
そんなの切なすぎるじゃないか。

まだ死ねない。
娘たちが寿命を全うするまでは。


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