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MacとかWindowsとか関係なかった資料作りに学ぶ

いつも読ませていただいているウクモリヒロオさんの記事に対する一人勝手アンサー記事のつもりです。

資料作りのクエストに参加

先日、久しぶりにやった資料作りの提出が終わりました。

最初WordのフォーマットにMacで資料作って、チェックする人に下書きを持っていきました。

すると「Mac版ではなくWindows版Wordで資料を作るように」と指示を受けました。

そこで、生真面目な私は、チャンス(!?)とばかりに、しばらく使って無かったWindows10の入ったPCを立ち上げるのですが起動に5分から10分しかもHDD回転止まらないしに呆れ、メモリとSSDを新調しました。

PCパーツ屋さんへ行く途中、自転車で転んででんぐり返ししてしまったり、まったく変な出来事を経験することもしました。

最初の資料チェックを受けた時にもどります。
「これは単なる文字の羅列。ウケない。文字はこれ以上増やさないでください。読みたくない」という評価をうけました。

言い方としては「文字数はこれ以上要りません」「もっと図や表、イラストを使ってください」「こんな書き方をしてください」という言い方でしたが、その後「日本語がおかしい」という言い方をされました。

文章の中にはこれまでの思いや苦労、置かれている立場などかなりしっかりと書いてありましたが「読み手はそんなこと関係ない」と言われました。

「これは資料ではない作文だ」という烙印。

参考までにと先行者の良い資料のアウトラインをいただきました。

まるで素人を馬鹿に見下した態度に、昔だったら腹を立てていたでしょう。

数日で「参考までに」と渡された資料の雰囲気でまるっきり一からプロットしなおして、写真にグラフにイラストに表、さらには章立てとフォントも分かりやすく「見た目」を作り替えて再度チェックに提出をしました。

すると「よくなりました」という回答と「日本語がおかしいので書き直した」という言葉。

でもどこを直したという説明もない。

読むと最初の1〜2ブロックしか手が入っていない。ストーリーがあわない「私やりました!すごいでしょう!」みたいな文章が挟まれている。

それって真っ先に落とされる書き方では??

後はもう心を込めて文章を書きチェックを受けるのは無駄足だと理解。作業としてロボットのように手だけ動かしてました。

「そこに愛はあるんか?」
「いや、ない」みたいな繰り返し。

その中で「日本語がおかしい」は、このチェックをする人のマウント取りたい口ぐせなのだと分かりました。

「日本語おかしい」と何度となく言われた上、その人に書き加えられた文字こそ流れを壊している。しかも小学生でも間違えない言葉が間違って書き加えられてくる。

「日本語おかしい」のはチェックする人が普段上司にそう言われているがために出てしまうストレスのはけ口にされた訳でした。

とはいえ締切は迫る

最終の提出フォームはnoteのようにWebサイトへ項目ごとに書き出す仕組みでした。

そうMacだろうがWindowsだろうが全く関係なかったのです。

しかも項目数がずっと細かく増えていて、「文字が全然足りない」ため最後の一日で再度アウトラインから構築しなおし全てを作り直しました。

これまで無かった項目への書き込みをいくつか作文することにもなりました。

これでは受からないかもしれないなと思い折れそうな心をはげまし、ここには愛を込めて

いざ提出

受かるも受からぬもそれは時の運。
時間が来れば分かることです。

苦手なWindowsのWord環境を再構築したり、クルマにWindowsPC載せて東京出張してたりしたのは、noteに記事を書く良いテーマをもらえたのだと思うことにします。

しかも、宝箱のWindows機は飛ぶように早くなりました。Windows11もインストールしましたから、来年2025年10月のWindows10サポート終了をクリア出来るパソコンを確保も出来ました。

最近の冒険者もののアニメでよく引っかけ問題クエストが描かれているのを体験した気分。

嘘のマップや、違うルートへ回り道のアドバイスも、最終的にダンジョンのクエストを攻略するためにはボスキャラは自分で倒す。結果宝箱としてWindows11環境が手に入りました〜みたいな。

そもそも何でやらなきゃいけないんだ?とか別のゲームの方が良くないか?も含め、頭を使うべきは自分がどの場所に立つかの選択の時点である程度決まる。結局は今いる場所で最善を尽くすしかないに帰着します。

チェックをした人もやりたくない仕事をやらされて嫌だったから適当にやっただけ。悪者扱いするのではなく、ストレス発散がうまく出来ていないかわいそうな人と思うことにします。酒でも飲んだらあんがいいい奴かもしれない。行かないけど。

ウクモリさんの立場だったらどうだろう?

きっとこんなクエストは毎日死ぬほどクリアしているのでしょう。

その中でたくさんの同志を味方につけられて一大パーティを組み深い階層をクリアしようとされている。

私は孤独にダンジョンの入り口でうかうかしているだけ。それでも時間だけは同じように経過してしまいます。

もうちょっと視点が高ければ、たとえば最初にデスクトップ機じゃなくてノートPC買えば良かったじゃん。みたいな。

確かにあの時の数万円でノートPC買えたかも

もはや失った時間は返ってこなくて、こればかりは「ループ」は現実には起こらないと、いまこの時は二度と経験出来ない貴重なものなのだと。

爪痕を残す必要もないけれど、ちょっと引っ掻いてみたかった気分。デスクトップ機の構築は楽しかったし悪くないものでした。

若い頃とは明らかに違う何か

ノートPCでは画面狭いし、細かいのは視力がついていかないのは歳を取った証拠で、これからどんどん身体は劣化していくからもはや恐怖でしかない。争うすべはあるのか?

きっとそれは驚くほどにシンプルな答えでしょう

健康的な生活、しっかり野菜を食べて運動して、昼間活動して夜は寝る。日々ちょっとでも好きなモノを見たり、趣味に触れて癒やしをする。
自分の心が丈夫でしなやかなら長生きして笑っていられるでしょう。

人生で自由に身体が動く時期はもうじき終わるという逃れられない確実な現実

みんな心臓の鼓動は止まり、朽ち果てる
その日が来るまで、出来たら笑って過ごしたいと誰もが思うことでしょう。

そのために歯を食いしばる時もある。
むしろ、試練を経験出来ているというのは心と身体が健康な証拠でありがたいことです。

そして今日もダンジョン攻略は続くのかぁ



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