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恋愛のことと心のこと 9

 そして彼を駅に送るために車を走らせた時である。気持ちを決める決定的なことがあった。
「じゃあ」
 「また」とは言えなかった。「また」会ってもいいのだろうか。私は部屋で合ったことからこれからこの人と会うのに気まずさを感じて、すでに別れたほうがいいのかもしれないと思っていた。自分が変われる自信がなかったし、彼を待たせているという気持ちに耐えられそうにない。早いほうがいいかもしれないが、面と向かって言う勇気はない。しばらく考えたり、誰かに相談したりして、それから連絡をしたほうがいいのかもしれない。その気持ちを後押しする形になった瞬間だった。
「じゃあ、これからの練習ということで」
 彼が私のハンドルを握る手を上から握ったのである。
 私は硬直した。あまり覚えていないがそして「やめてください」と言った。
「えっ」
「いや、ほんとに無理なので、じゃあ」
 私は車を走らせた。
 気持ち悪かった。
 私は気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いと言いながら運転をした。
 多分何のことはないことだ、一般的にも、彼の中でも、そう分かっている反面、この時胸にあるのは怒りだった。
 マンションに戻り、そしてすぐにLINEで彼に「やっぱり付き合うのはなしにしてもらえませんか」と連絡をした。
「嫌だと言ったのに突然触ってきたのに本当にショックでした」
「あなたといると意見が噛み合っていないということをすごく意識してしまい、うまく話せなくなり、これが続くのは本当に辛いです」
「私なんかの彼氏になってくれる、と言ってくれたことは本当に嬉しかったんですが、申し訳ありません」 
数時間で一方的に彼氏なし、に戻してしまったが、あの瞬間はっきり理解した。

本当に無理である。

そして私は無理をしていた。そして例え私がそれで普通じゃないとカテゴライズされようと、誰かを傷つけようと、迷惑をかけようと、自分の感情を曲げるというのは無理だ。
それを理解したので、今まででも自分の意見を言ったつもりだったが、その人をはねのけることに迷いはなかった。
その連絡に対して私以上の長文で返事が返ってきた。
「確かにそう言っていましたが、あんなにひどく拒否されるなんてショックでした」
「そんなに考えてしまうなんて神経症の恐れがあるのでは?他の人に指摘されたことはありませんか?必要かはわかりませんが、参考にリンクを貼っておきます」
「彼氏に関してはわかりました。ですがあなたともっと仲良くしたいと僕は思うので、いつか触れてくれたらいいなと思っています」
 
 噛み合っていないと感じた。

 彼は心配しているのだろう。だが私は心配してきた彼が、自分の気持ちをに従ってくれないのが本当に嫌だと思った。例えそれが自分の我儘と言われようと。私は彼との連絡を絶った。


 私は彼がひどいことをしてきた、最悪の人間だ、とは特に思わない。文章で自分の気持ちを綴るのに焦点を置いていたので書いてはいないが、彼は私のために色々行動して時間を割いてくれたし、面白い話題を提供してくれようとしていたのも知っている。私に好意を示してくれたし、行動も倫理観から大きく外れてきたことをしてきた訳ではないと思っている。それにこの連絡の後に「この間傷つけたことを誤りたいので一度話しませんか?」と連絡も来た。ただ、私が私の感情で心から「嬉しい」と受け入れられなかったのだ。なんと思われようがもう話したくないと思ったのだ。 しばらく一緒にデートをして、部屋に招き、お付き合いをOKし、相手にしたら思わせぶりな態度を取ったと思われているだろうなと強く思しまった上で、だ。だがそう言われようと申し訳ないという罪悪感よりも「私はこういう人間だったので仕方ない」と泰然と思える。
 私は自分自身のことをはっきり分かっているとは言えないけど、この人と知り合う以前よりは分かった気がしている。少なくとも私は無理に曲がれないものなんだ、ということが分かって自分自身を受け入れることができた。「病気ではないですか」と心配してくれたが、「私はそういう持病を持っていても問題なく生きられるので」と返せるように自分を受け入れるようになった感じだ。

 これは恋愛がわからない人間の妄想だが、恋愛は好意が流動的に上がって至るものではなく、決定的にそれとわかるものなのかもしれない。または、相手のことを受け入れたい、という相互の状態において成立するもの またはそれがうまい具合に噛み合うもの もしくは私の妄想していたそれを相手とのコミュニケーションで妥当点を見出していくものなのかなと思う。
また、思いがけずに気持ちが変化して発展するものなのかもしれない。でも、自分を曲げる必要があってもなくても「相手といたい」という強い感情がなければでき無いのだと思う。私には縁がなかったといえばそれまでなのだが、「恋愛しようとする自分に疲れた」自分がするのもどうかなと思うので今は自分が今したいことをする自分の気持ちに素直に従いたいなと思っている。気持ちが共有できる相手がいるのが羨ましい。でも、それは私が持っていない何かを他の人が持っていることが羨ましいだけで具体的に誰かを望むわけじゃない。少なくとも今の私はそれを無理になんとかしようとは、できない、ということがなんとなく分かった。気持ちが変わることはおうおうにしてあるからまた変わるかもしれないけど。
 まずは自分の気持にしっかり向き合って、今を充実させて生きられるようにしたいなと思っている。
 そして、それがこの文章を書くきっかけになった。これが続かなくても、「続かなかった」ということがわかるのでそれでいいかなと思っている。自分がやってみたいと思う実験を繰り返して、自分を知っていくことが今の私の課題だ。その課題が変化することも、合えば続けられることもあると思う。そういう型筋張らない日々を過ごしつつ、真摯に気持ちに向き合っていく自分は未熟であろうと、普通じゃなかろうと、嫌とも無理に変えようと思わずに認められるなあと思う。
 心のかたちはみえないけど、それ自体は確かなことだと思える。

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