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恋愛のことと心のこと 3

 そんな厳選の中でメールの連絡が続いた人がその「お付き合い」をしようとしていた人である。
「いいねありがとうございます、✗✗です。よろしくお願いします」
 自分から「いいね」を飛ばした相手から連絡が来て、相手がその中でも特に高収入で、自分が気になっていることを趣味にしている相手だったため喜んで返事をした。まずはお互いに仕事は何をしているか、どんなことが好きなのか、そういった自己紹介をすることから関係は始まった。

 やり取りをはじめてすぐのこと、彼は引っかかる言葉を返信してきたことがある。というのも、彼は自分のことを「論理的な性格です」と言ってきたのだ。それを見たとき私は少々混乱した。論理的というのは感情的の逆で、筋道を立てて冷静に物事を判断できるということだと私は解釈している。となると、自分が「筋道を立てて冷静に物事を判断できる人だ」という自覚をしているということになる。「私は冷静に物事を判断できる人なんです」と自分で言う人は果たして自分のことを冷静に見られているだろうか。内心引いてしまった。しかも私は自分に自信があると公言なんてできないので、自覚はなくとも、ないなら尚更、自分とは性格のギャップを感じた。
 だが、ここでこの違いに怯んではいいのだろうか、私が重く受け止め過ぎなのではないか。まずこれはメールのやり取りである。一緒に過ごしていくとなってメールのやり取りで意思を伝え合うわけではない。ならばしばらく関係を続けてみて判断してもいいのではないか。第一印象で仲良くできないと判断はできない。好きになれるようまずは自分から歩み寄ることが必要だと思ったのである。

 「論理的」にひっかかってから数通メールでのやり取りをしてから会うことになった。その文章が
「あこさんに何度もメールで返事をさせるの申し訳ないですから会いましょう」
 だった。会うという約束を相手が取り付けてきたということにほっとしたが若干「ん」とした。
 メールでのやり取りが「相手の返事に対する感想を綴ってから会話をスムーズにするために質問を続ける」としているとつい長文になってしまいスクロールバーが小さくなっているのを見て「こんなに長くて大丈夫だろうか」とよく思っていた。でも私は特にそれで疲れていると思っていたわけではないし伝えた訳ではなく、相手に長過ぎるから面倒だと思われたら嫌だなということはあったが返信するのを特に嫌だと思ったことはなかった。相手がどう思ったのかは分からないが気を遣ってくれたのがわかる文章だった。私はこう返事をした。
「特にメールでのやり取りが面倒だとかは思いませんが、お会いできるならぜひ」

 相手からはメールのやり取りを「面倒ではないよ」と返したのに対し「嬉しい」とか「すみません」の言葉は入っておらず、会う日程の提案だけの返信が来た。予想はついていたが、なんとなく違和感を感じた。しかし何も言ってこない以上、私がこの話題を引張るのも重箱の角をつつくようで嫌らしい気がする。私は日程についてだけ返事ををした。
 そうして初めて顔を合わせる日が決まった。

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