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恋愛のことと心のこと 1


もう二ヶ月くらい前になるか。マッチングアプリで知り合った人との関係を絶った。

 そもそも、アプリをはじめようとしたきっかけだが、これは焦燥感からだった。
 知人、友人のLINEのアイコンが目についた時皆赤ちゃんの写真になっている。勿論それは本人の写真ではなく本人が結婚して出産をした子供の写真である。それがその時だけではない。ある時ふとアイコンを見るとそれが増えている。この人も、この人も、子供の写真で、結婚したのが早かったであろう知人の写真はもう入学式の子供の写真になっている。そして私はというと数年前から実家の猫の写真から変わらない。はじめは「ほほう」と思っていただけだったのにこの人も!子供のアイコンになっているのに気が付くとその言いようのない焦りが、「何かしなければ」に変わった。

 これまで恋愛や結婚について「しなければ」と今まで思ったことが無いわけではない。
家族に話しかけられたときは毎回だ。実家に行く度に「彼氏はできた?」「親戚の〜は結婚して子供もいるのにあなたは」と言われることが多い。適当に相槌を打ちながら心では流すことができず、「そろそろ誰かと付き合ったほうがいいんだろうな」とは思っていた。
 だがいざ自分の知る人が結婚をした、となると親からの言葉で感じたことの比ではなく、結婚や恋愛と自分自身を明確に意識した。自分と同じように過ごしていたと思っていた人が、実は自分がいまだ理解できない恋愛をし、結婚をし、出産をしていた。自分よりも何段も上に大人の階段を登っていた。皆がしている「結婚」をしていない自分は「普通じゃない」なのだろうか。皆はきちんと結婚適齢期にそれとなく経験を積んでいたが自分はそれを漫然と過ごしてしまっていたのではないか。これは皆が制服を着ている中気がつくと一人だけ私服でいた、というような居心地の悪さを覚える。普段意識していないがみんなしてないし、という感覚は確かに自分の中にあったようだ。私は「普通じゃない」のだろうか。結婚しないでいいや、という感覚がもうまずいのではないか。不安を吐き出したいけど誰かに相談することさえ普通からより外れていると公言することになる気がしてどうにもしにくい。

 この結婚しなければ「普通じゃない」、そもそも人と同じ「普通」でいなきゃいけないという感覚は、現在では必ずしも適切でないというのは、理屈上は理解できているつもりだ。だが、これらは自分を取り巻く広い世界の「第三者視点」的な見方である。私はその世界に含まれるというのはぼんやりとは分かっているが、それよりも個人の現実に差し迫った心配が心の大半を占めている。そうじゃないということは分かっているが、でも今何かしなければ、後々後悔することになるのではないか。「結婚してない」のは別に恥ずかしいことじゃないと思うけど、周りの人はそう思ってくれるかわからない。
 そう考えるのに疲れ、「心配しているよりやってみたほうが早い。もしかしたら意外と簡単に結婚できるかもしれない」そう、消極的な考え方が逆に私を積極的な行動に駆り立てたのだった。

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