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自惚れてるから性欲を恋と形容する


「愛」「恋」といった言葉にどんな印象を抱くだろうか。

「青春の象徴」だったり「人間のみに与えられた高貴な営み」であろうか。
または「考えることをなおざりにした人間が行き着く愚の骨頂」だろうか。

甘酸っぱかったり、暖かかったり。甘ったるかったり、ドロドロしていたり。

受け取り手によって感じ方は多様だろう。

愛を知らない少年は恋をする。
目の前の彼女以外を背景とし、引き立て役とする。音が遠のいていく。

二人の間にはゆったりとした時間が流れるだろう。

頭の中を支配するは「透き通るような肌に触れたい」「艶のある唇に口付けしたい」

IQが30程下がった思考が頭の中で円を描き始める。

どれほど言い訳をしようと。
綺麗に文章にまとめようと。
それはただの性欲である。

醜く汚い人の業だ。


やがて体を交える。

事前学習を欠かさない少年は、悪くないパフォーマンスを発揮する。
思考停止、手とり足とりだったものが主体的なものとなる。

事を終え、全てを悟った少年は、確かな達成感を抱き、絶望する。

彼女は言う「貴方しかいない」と。
この言葉は次第に腹を立たせるようになる。
だから涙のひとつ流して欲しくなる。

そうなれば、また愛おしく思えるようになる。


元を正せば「恋」などありふれた欲求に過ぎず、「愛」など一緒にいる理由付けに過ぎない。
そもそも、そんなものは存在していないのかもしれない。

一緒に「添い遂げた事実」「愛」と形容しているだけだ。

日々目にする恋愛モノは尊く美しい。
だがどこを歩けど、そのようなものは落ちてなどいない。

人間は少々恋愛感情なるものを過大評価し過ぎだと感じる。

生殖本能に名前をつけて娯楽として楽しんでいる。

これらを娯楽とした時から、女性の求める恋愛映画の道化を演じなくてはいけなくなった。

恋なんてただの性欲なのに、、

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